いま伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を読みかえしている.
そのついでに Wikipedia【ヨーロッパ退屈日記】をみてみたら,《本書の表紙には、山口瞳による惹句が「この本を読んでニヤッと笑ったら,あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです」と記載されているが、文中の本来読点であるべき部分がコンマになっており、山口の才気がうかがえる。なお、この惹句は新潮社に出版元が移った現在も引き継がれている》とある.
この部分を書いた人は,あまり賢くない若い人である.
なぜかというと,横書きの文章の読点に「、」でなく「,」を用いたのは山口瞳の才気でもなんでもなく,当時は普通のことだったからだ (当時はどころか,今でも公用文の一部は読点として「,」を使用して書かれている).
山口瞳は大正十五年生まれで,『ヨーロッパ退屈日記』は昭和四十年(1965年) の出版だから,横書きの読点には「,」の方が自然なのである.(ちなみに山口瞳の「才気」というか独特の偏屈さは,横書き文章ではなく,縦書き文章の表記,特に数字の書き方に著しい.これは『江分利満氏の優雅な生活』を読むとよくわかるし,既に指摘されているところである)
Wikipedia【ヨーロッパ退屈日記】の記述は,物事を知らずに書くとこうなってしまうという好例だが,そもそも《山口の才気がうかがえる》は筆者の個人的見解であって,百科事典の記述としては余計なことである.
さて,もう八年前のことであるが,句読点に関するこの辺りのことについて,更新停止した私の個人サイトに書いた文章があるので,このブログに転載しておく.(ただし引用部分をイタリックにするなどの修正をした)
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2006年1月10日
好きずきではあるけれど
先月のことで少し古い話だが,読売新聞《12/10付コラム『編集委員が読む』》に「公用文の読点 コンマとテン混在に困惑」と題した記事が掲載された(これはウェブ上にキャッシュがない).下に内容を要約する.
〈要旨〉 官房長官通達「公用文作成の要領」(1952年,昭和27年)に「句読点は横書きでは『,』および『。』を用いる」とある.戦後,公用文は横書きになり,句読点はピリオドとコンマとされた.しかし日本語にはピリオドの次を大文字にする習慣がなく,弱々しいピリオドでは文の終わりが不明瞭となる.そのためマルに変えられたという.
『通訳・翻訳者リレーブログ』というブログに the apple of my eye(*) さんという人が,この読売新聞の記事を受けて「表記のこと」と題した感想を書いている.
(*) 自己紹介によれば《日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中!》だそうである.
このブログから以下に直接引用する.
《その記事によると、テンとコンマの使い分けの根拠が、1952年(昭和27年)に国語審議会がまとめた「公用文作成の要領」なのだそうだ。理由は明確にされていないが、どうやら欧文の影響があるのだという。戦後、公用文が横書きになったので、読点はコンマになったらしい。》
《スペルを表示したいなどの特定の意図があって原文表記を採用する場合以外、欧文文字を取り混ぜながら日本語を書きはしないので、句点・読点も、縦書きだろうと横書きだろうと、日本語のものでいいと私は思う。》
《友人同士の電子メールや個人のブログでなら構わないが、翻訳文やビジネス文書を書くときは、この辺りのことに少し気を配ることをお勧めする。そんな「点(テン)」で社会人としての良識を疑われるのもつまらないから。》
この人は《句点・読点も、縦書きだろうと横書きだろうと、日本語のものでいい》として「、」と「。」の使用を勧めている.《翻訳文やビジネス文書を書くときは、この辺りのことに少し気を配ることをお勧めする》と書いたあたりに,翻訳者つまり言葉のプロとしての啓蒙意識がちらりと覗いている.しかるに,自分でそう言っておきながらこの人は,自己紹介文で欧文記号「!」を使うという無茶苦茶をやっておられる.さらに言えば「日本語の句読点」なるものは実は存在していないのである.古くは句読点は日本語の表記に用いられていなかったし,今は「、」「。」「,」「.」などが混在無秩序に使われているのが現状なのだ.そもそも読売新聞の記事に書かれているように「、」「。」よりも「,」「.」の方が日本語公用文表記への導入は古かったというのはよく知られたことだ.だがその政府も公用文に「,」「。」を使えとしておきながら省庁によってバラバラである.新聞は「、」「。」派だが,理系の専門書には「,」「.」が多く用いられている.かように句読点やその他の記号の使い方は難しい.
句読点使用の混在状況は,しかしビジネス文書に限っていえば,ほぼ「、」「。」になってきていると思われる.それには,今はもうなくなってしまったものも含めて日本語ワープロソフトのデフォルトが「、」「。」であったことの影響が強いだろうと言われている.私もこの雑文のような私的文章では「,」「.」を使うが,ビジネス文書では「、」「。」にして使い分けている.
私がなぜ通常は「,」「.」を使うかというと,かつて論文をよく投稿した学術誌の投稿規定がそうなっていたからで,これが私には今も違和感がないからである.それに,引用文と私の地の文の境目を明確にできるという効果もあってそうしている.
ちょっと横道に逸れる.読売の記事を下敷きにしているのではないかと勝手に想像するのだが,朝日新聞のコラム『天声人語』(1/7付)がやはり句読点のことを取り上げていた.《》に引用する.
《句読点といえば、福島県猪苗代町の野口英世記念館で見た、母シカ自筆の手紙が忘れがたい。「おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけました」。どうか帰国して下されと英世に訴える書状だが、実物を見ると、マルの一つひとつが字ほどに大きい。しかも行の隅でなく中央に置かれている。
幼い頃に覚えた文字を思い出してつづった手紙だという。テンも兼ねた大きなマルが、母親の一途な思いを伝える。句読点の結晶を見る思いがした。》
その手紙の一部が左の画像だ.「こころぼそくありまする」と書いたあとの「はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。はやくきてくたされ。いしよ(一生)のたのみて。ありまする。」の部分である.文中の「○」は「。」であるが,慣れぬ筆を持って書くのだもの,小さなマルは書けようもなかったろう.
これが句読点の結晶かどうか知らぬが,手紙として人の胸を打つものであることは間違いない.私も最初に「はやくきてくたされ」のリフレインを読んだ時には目頭が熱くなった.細菌学者としての野口英世が忘れ去られることはあっても,その母シカの手紙は不滅だ.円谷幸吉の遺書と並ぶ手紙文の最高峰だと私は思う.円谷幸吉がランナーとして忘れ去られても,彼の遺書は語り継がれるだろう.福島県はもっとこの二人を誇りにしていいと思う.
さて,私には句読点のことより,もっと気になることがある.改行後文頭の字下げだ.
印刷された出版物では現在も厳格に「字下げ」が行われている.校正者が必ずそうする.ところがウェブ上ではむしろ「字下げ」はマイナーな表記になっている.不思議である.
私達の世代も,今の子達も同じではないかと思うが,小学校で作文を指導される.その時に原稿用紙の使い方も習う.習ったはずだ.
題は一行目に,二行目には名前を書く.
三行目の一字下げたところから書き始める.
改行したらそこも一字さげる.
大石先生も無着先生も生徒達にこう教えた筈だ.それがどうしてこうなったのか.
一つには,今は昔のパソコン通信の影響があると思う.字下げも通信コストに関わるのである.とにかく切りつめた書き方が奨励されていて,無駄に空白を入れようものなら厳しく非難されたものだった.いま中高年の人にはパソコン通信の洗礼を受けた人が多く,そういうことがあるのではないかと想像している.
もう一つ.この十年ほどでウェブ上に個人サイトがあふれた結果,それまで印刷された出版物に文章を載せることに無縁だった人々が,自分の文章を書くようになったことがあると思う.特に若い人達だ.マルやテンの使用は実用上仕方ないけれど,改行後の字下げなんかしてもしなくても大して変わんないじゃん,と彼らが思っても不思議ではない.実際,字下げしていなくてもふつーに読めるのだから.
上に引用したお若い翻訳業の the apple of my eye さんだが,もちろん改行字下げはしていない.ほんとに翻訳で活躍しているのかなあという気もするが,しかしプロなら《翻訳文やビジネス文書を書くときは、この辺りのことに少し気を配ることをお勧め》したいと思うぞ.
さあ,私はこれからも字下げを続けていくつもりだが,世間はどうなっていくだろう.「,」「.」を使うのと同じように,絶滅危機下の動物化するような気がするのだが.
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日本語横書き文章における句読点問題については,次の記事が非常に参考になる.句読点に関して思い付き程度のことを書いた他のブログなんぞ読む必要はない.ちなみに,「横書き文の句読点について」は,上に再掲した拙文の元記事にリンクを貼ってくださっている.
横書き文の句読点について
横書き句読点の謎
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