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2014年1月29日 (水)

雑多感想 1/29

(一)
 ノロウイルスが私たちの身のまわりで常在ウイルスとなって久しい.
 大昔は「忘年会で生牡蠣を食べたらあたっちゃって…」などといったレベルのものだったが,いつの間にか一年中通してノロウイルス食中毒発生が報じられる事態である.
 毎日新聞の朝刊コラム『余録』(1/29) に次のような箇所があった.
浜松市内では……感染源が給食の食パンだったのには驚いた
浜松の例で注目されたのは、感染しても発症しない人が感染源となっていたことだった
 二番目の引用中の「感染しても発症しない人が感染源」となるのは,もうよく知られていることだ.
 給食のパンが食中毒原因食物だったというのも,とくに驚くにはあたらない.そういうこともあるだろうね,という程度のことで,新聞コラムの筆者は,せめて自分とこの新聞は毎日目を通してほしいものだと思う.

(二)
 年末年始に酒飲んで酔っ払っているうちに感想を書き損ねたのだが,昨年末に消費者庁がレストラン等における適正表示のガイドライン案を発表している.
 このガイドラインを巡って,昨日の毎日新聞に「食材表示:ガイドライン案巡り議論百出 業界vs消費者」と題した記事が掲載された.
 同記事は,外食業界が「ニジマス」を「サーモン」とか「サケ」と称するのは不当かどうかということに触れている.
 例としては,サケ弁当の「サケ」がニジマスであるとか,レストランの「スモークサーモン」が実はニジマスの燻製 (安直なレストランのは燻製じゃなくて「くん液」に漬けたものだったりする) である等を挙げている.
 これに関する外食業界の意見を,公益財団法人食の安全・安心財団の中村啓一事務局長が「サーモントラウトは既にサーモンとして広く定着しており [ニジマスをサーモンと称するのは] 許容の範囲内」(「」中の [ ] 内は江分利万作の註) と取材に答えている.
 そうかなあ.
「サーモントラウトとはなんですか」「ニジマスはサケだと思いますか」「サケとマスの違いはなんですか」「鮭缶はなんの缶詰ですか」と街頭で百人に訊いてごらんなさい.
 正解者はごく少ないと思う.
「ニジマス」の方が「サーモントラウト」よりはるかにわかりやすいぞ.
 だいたい「ニジマス」は魚種を示すものだが,「サーモントラウト」は商品名だ.メニューの原材料表示に商品名を用いてどうするのだ.

(三)
 先週書いた記事「句読点について」で,Wikipedia【ヨーロッパ退屈日記】の記述に以下のように異を唱えた.
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本書の表紙には、山口瞳による惹句が「この本を読んでニヤッと笑ったら,あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです」と記載されているが、文中の本来読点であるべき部分がコンマになっており、山口の才気がうかがえる。なお、この惹句は新潮社に出版元が移った現在も引き継がれている》とある.

 この部分を書いた人は,あまり賢くない若い人である.
 なぜかというと,横書きの文章の読点に「、」でなく「,」を用いたのは山口瞳の才気でもなんでもなく,当時は普通のことだったからだ (当時はどころか,今でも公用文の一部は読点として「,」を使用して書かれている).
 山口瞳は大正十五年生まれで,『ヨーロッパ退屈日記』は昭和四十年(1965年) の出版だから,横書きの読点には「,」の方が自然なのである.(ちなみに山口瞳の「才気」というか独特の偏屈さは,横書き文章ではなく,縦書き文章の表記,特に数字の書き方に著しい.これは『江分利満氏の優雅な生活』を読むとよくわかるし,既に指摘されているところである)
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 Wikipedia【ヨーロッパ退屈日記】の,この部分を編集した人が,なぜ唐突に《文中の本来読点であるべき部分がコンマになっており、山口の才気がうかがえる》などと書いたか不思議だったのだが,なんのことはない,関川夏央が新潮文庫の解説で《読点「、」がカンマ「,」になっているのが目を引く。この惹句も山口瞳の手になるのだろう》と書いているのであった.
 Wikipedia【ヨーロッパ退屈日記】の当該部分を書いた人は,これをネタにして,ついでに《山口の才気がうかがえる》と独自研究を書いたものと想像される.
 それにしても,ものを書くにあたって周到な関川夏央が,横書き文の読点に「,」を使うことが当時は一般的であったことを知らぬのに少し驚いた.
 関川夏央は昭和二十四年の生まれ.私と同学年で,博識の人である.
 関川や私たちが義務教育で使った横書きの教科書では読点に「,」が使われていたのであるが,読点のことなどすっかり忘れているのだろう.

(四)
 最近のネットにたむろしている馬鹿者たちが,商品への不平不満について製造会社にクレームの電話をかけたり,世間で批判されているテレビ番組のスポンサー企業に電話で文句をつけて,会社の応対の様子をブログやSNSなどに書くのを「電凸」というのだそうだ.電話突撃の意である.
 彼らのクレーム電話のそもそもの目的がブログやSNSなどに書くことだから,本来の消費者クレームではない.会社の応対に不備があれば,彼らにとっては書くネタができたわけで,むしろ万々歳なのである.
 自分のブログに書いても読者はたかが知れたものだから,目立ちたがりの馬鹿者たちは,たくさんの人たちが目にするところにそのことを書きたい.
 そこで連中は,当該企業の商品を掲載している Amazon で,商品レビューを装って企業攻撃を書き込むようになったという.
 最近,私が Amazon で買い物をしようとしてその商品レビューを読んだところ,「在日」とか「反日」とかの語句が使われているものが目についたのだが,そういうことだったのかと腑に落ちた.
 まるでどこぞの掲示板にあるような唐突かつ意味不明な文章で,購入者の商品レビューでは全くない.
 Amazon はこういう「荒らし」に対処を考えているのだろうか.
 もちろん連中の書き込みを削除はできない.そんなことをしたら検閲になってしまって,商品レビューとして公正さを欠くからであるが Amazon は,レビューを削除したために物議を醸したことがあり,それで放置しているのかも知れないが,せめてそういう似非レビューに「Amazon はこのレビューが適切公正なものとは考えていません」というようなコメントをつけたらどうだろう.
(2016.4.18 記事訂正;赤字部分を削除し,緑字部分を加えた.コメント参照)

(五)
 ピート・シーガーが亡くなった.享年九十四.
 若い人はピート・シーガーの名前も知らないだろうが,『花はどこへ行った』や『ウィ・シャル・オーバーカム』は耳にしたことがあるのではなかろうか.
 え,ピート・シーガーどころかボブ・ディランも知りませんかおにいさん.そうですか.はあ.

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コメント

アマゾンが当該レビューを削除したところで検閲にはならない。
検閲は国家などの権力者が行うものである。
そういう意味でアマゾンは一私企業でしかなく決して国家と比較される権力者ではない。
なぜ日本で検閲が出来ないかといえば憲法にそう書いてあるから。
憲法は国家を束縛するものでありアマゾンを束縛するものではない。
しかもアマゾンの規約で公序良俗に違反するなとあり、レビューを削除する根拠はある。
米アマゾンではステマなどのレビューに対し強権的な態度であるが、なぜか日本のアマゾンではステマだろうがコピペレビューだろうがヘイトスピーチだろうが放置されているだけでなく、こういった質の低いレビュアーが殿堂入りなどの褒章を受けている。

投稿: 亀倉棚尾 | 2016年4月16日 (土) 16時41分

 ご指摘ありがとうございます.
 検閲の定義はその通りでありますし,広義の用例にも外れていました.当該箇所を削除してお詫び致します.
 ところで,もう古い話ですが,御存じのようにかつて日本のアマゾンは商品レビューの削除を行っていました.しかしそれが公正でないとマスコミに袋叩きになりました.
 ご指摘の《しかもアマゾンの規約で公序良俗に違反するなとあり、レビューを削除する根拠はある。》ですが,公序良俗に反することを持って禁止できるのは法律行為であり,商品レビューを書くのは法律行為ではないから,レビューを削除してはならないというのが批判の理由だったと思います.レビュアーが実際に訴訟を起こしたのではなかったと記憶していますが,マスコミの論調はアマゾン批判であったことを思い出しました.

投稿: 江分利万作 | 2016年4月17日 (日) 00時11分

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