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2013年12月13日 (金)

豆腐つながりの新聞コラム

 昨日は小津安二郎の誕生日にして命日だった.今年は没後五十年である.それで12月12日の朝日新聞『天声人語』は,小津安二郎『東京物語』を取り上げていた.(冒頭から余談であるが,グーグルのトップページのイラストも『東京物語』の一シーンだったのには感心した)
 そのコラム中に小津の「おれは豆腐屋だから豆腐しか作らない」という言葉が出てくる.これは何かに書いてあったのを読んだ覚えがあるのだが,思い出せない.ネットを調べてみたら,『人間臨終図鑑』(山田風太郎) に「おれは豆腐屋だ。がんもどきや油揚げは作るが、西洋料理は作らないよ」とあるのがわかった.そうだそうだ,これは『人間臨終図鑑』に出ていたのだった.随分前に読んだものだったので,すっかり忘れていた.
 さてしかし,これと『天声人語』の記述とが食い違っているのはどうしてだろう.『天声人語』と『人間臨終図鑑』が引用した大もとの資料があって,どちらかが不正確な引用をしているのだろう.どっちが正しいかといえば,私は山田風太郎の肩を持ちたい.「豆腐しかつくらない」と「がんもどきや油揚げは作るが、西洋料理は作らないよ」とでは,後者の方が信憑性があるように思える.なぜなら『人間臨終図鑑』には,このあと冗談好きの小津がガンを発病したときに「これでおれも一人前の豆腐屋になれたよ。ガンもどきを作ったんだからね」と言ったという記述があるからである.これが山田風太郎の創作とは思われない.

 豆腐つながりというか,毎日新聞の『余録』の書き出しも豆腐だった.ただしこちらは小津安二郎ではなく,江戸時代の料理本『豆腐百珍』をネタにして,例の「和食」が世界遺産に登録されたことについてであった.「季節の移ろいを表現する」のが「和食」の登録理由だから,湯豆腐がいい.あるいは冬野菜を使って鍋料理を楽しむのが和食の伝統であると書いている.
 それで思い出したことがある.私が懇意にして頂いたある大学の教授は,私よりも一世代年上で,農家の生まれであった.先生が物心ついてから大学に入るまで,先生の家では一年中囲炉裏に鍋がかけてあって,冬の囲炉裏鍋の中身は大根の汁だったという.毎日毎日,朝も昼も夜も,その大根汁をおかずのようにして飯を食ったとのことである.大根の季節が終わると,タケノコを煮たのが毎日のおかずになった.夏になれば今度は,というわけで毎年毎年同じローテーションが繰り返された.確かに先生の家の食事は,鍋の中身が「季節の移ろいを表現」していたと言えば言える.しかし「江分利さん,今の時代は,昨日と違うものを今日食べられて,幸せな世の中になりましたねえ」と先生が語ったのを思い出す.
 私はといえば,小学生の頃の朝飯は一年中納豆だった.夜はなにか煮物のようなものを毎日食べていたのだが,よく覚えていない.一年中同じものを食べていて,季節の移ろいもへったくれもない.それが昭和の前半のことだった.
 昭和三十年代後半以降の中学高校時代になって,ようやく鮭や秋刀魚,鯵などの焼魚が食卓に登場したが,それは「鯵が旬だから食べよう」ではなく,出回る季節には干物が安くなるからであった.安い魚がない時季には夕飯に肉屋のコロッケなんかを食べていた.朝飯は相変わらず納豆だったが.(笑)
 ちなみに私は大学三年生の一年間,賄い付きの下宿にいたのであるが,この下宿の主人である老未亡人は,しょっちゅう鯖の味噌煮を拵えては下宿人達に食わせた.私は普通の人の一生分くらいの鯖味噌煮をその一年で食ったので,もう食べたくない.

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