冬の花
私が食卓にしているテーブルはウォルナット材のものである.少々華奢な作りであるが気に入っている.
このテーブルの上には,ウォルナット材に映えるような明るい色で塩ビ製のランチョンマットを置き,あとはラジオとウイスキーのボトルと,毎日服用する薬を入れた樹脂ケースが載っている.しかしこれではちょっと殺風景だなあと思ったので,先日の会社帰りに花屋に寄ってみた.
駅ビルの中にある花屋の中は,ポインセチアやシクラメンなどが盛大に置かれていた.どれにしようか迷ったが,二千円ちょっとするお値段のポインセチアの鉢を買った.その鉢は,コットンならば生成り色というのか,僅かな黄色みを帯びた白い色のアクリル毛糸で編んだポットにすっぽりくるまれていて,室内の飾りとしてとてもいい感じである.家に帰ってこれを食卓テーブルに置いたら,それまで暗く寂しかった部屋にキラキラとした灯りが満ち,天使が現れて「メリークリスマス!」と言った.うそ.
赤と青と,どっちが十二月の色ですかと問われたら,大抵の人は赤と答えるのではないか.私の場合は,なんといってもサンタクロースの服の色が赤いので十二月の色は赤だと思うのだが,ポインセチアの影響もあるような気がする.
楽天とか Amazon でクリスマス・リースを見てみると,リースの飾りにポインセチアをあしらったものが多く見つけられる.これに松ぼっくり (パインというらしい) とを組み合わせると,シンプルかつ華やかで,なかなかよろしいと思う.
さてクリスマス・リースではなく,生きているポインセチア.
私は植物を育てることについて全くの素人なので,ネット検索してポインセチアの育て方,というより冬期の注意点を調べてみた.鑑賞期の鉢植えにはもう肥料はいらないようだが,水やりは欠かさぬようにという注意が書かれていた.土の表面が渇いたら,朝のうちにたっぷりと水をやるように,とのことである.たっぷり,というのは,鉢の下の穴から水がしみ出るくらいのことらしい.
ところが,水やりの間隔は「土の表面が渇いたら」というより,実際にはほぼ毎日水やりが必要な感じである.鉢を買って帰ってからこれまで,およそ毎日100ccくらいずつ水やりをしているが,これを一日さぼると,葉に元気がなくなるようだ.
実は今日,若い葉が一枚,しおれて落ちてしまった.クリスマスまで大丈夫か,私のポインセチア.
吉永南央『萩を揺らす雨』(文春文庫) に入っている『0と1の間』を読んでいたら,主人公である杉浦草おばあさんの経営する店のカウンターにはクリスマス・ベゴニアの鉢が置かれていた.この短編の舞台は十一月末の北関東,群馬県は高崎市 (註1) と思われる地方都市である.
「ベゴニアはどうなんだろう」と思ってネットにあたってみたら,ベゴニアは,冬咲きのものでもあまり寒さに強くないらしい.花が咲いているときの適温は15~18℃だという.冬はできるだけ暖かい室内におくように,とのことである.たぶん草おばあさんは,店が閉じたあとには鉢を店の奥にある暖かい住まいのほうに移しておくのだろうが,私は冬でも暖房をつけずに寝るから,室温は10℃以下になってしまう.ベゴニアの鉢を私の部屋に飾るのは無理のようだ.
昔にくらべると北関東の冬はかなり暖かくなって,今では土地の人は冬でも東京と同じような服装だが,昔はそりゃもう寒かった.高校には自転車で通学していたが,朝でかける時にセーターの上に学生服を着て,その上に厚いハーフコートを重ねてもまだ寒く,学校に着くころには赤城おろしの烈風のせいで顔が強ばり,口もきけない状態になるのであった.烈風と書いたのは誇張に聞こえるかも知れぬが,萩原朔太郎の詩編「帰郷」(註1) の冒頭に「わが故郷に帰れる日 汽車は烈風の中を突き行けり」とある,その通りなのである.級友の中には,学生服の上に,まるで石川五右衛門のごとき綿入れ半纏を重ね着する者もいた.ちょっとくらい遅刻しても,「風が強かったので遅れました」と言い訳すれば先生は「そうか」と許してくれる,というジョークがあったのを思い出す.
埼玉県生まれの吉永南央さんの学生時代 (群馬県立女子大学) は,群馬県もかなり暖かくなっていたとみえて,『萩を揺らす雨』には,かつての冬の群馬県の,厳しい寒さの描写はない.草おばあさんは,十一月の夜なのにショールを羽織っただけで外出をしたりしているくらいだ.
さて『萩を揺らす雨』は,下手をすると徘徊老人に見間違われてしまうくらい高齢の女性を探偵役とした視点で書かれている.こういう設定のミステリーには他にないのではないか.ミス・マープルを徘徊老人と間違うやつはいない.
女性視点の作品は数多いが,これに「老い」が加わって,どことない寂しさが『萩を揺らす雨』に漂っている.こういう印象は北村薫の円紫さんシリーズにはない.たぶん『萩を揺らす雨』に続く『その日まで』も買って読むことになりそうだ.(註3)
(註1) 草おばあさん経営する和食器と珈琲豆の店があるのは高崎市がモデルだろうが,その店のある町は紅雲町であり,この町名はお隣の前橋市に実在する.もう大昔といっていい頃の話だが,全国の住居表示を「○○市○○(町)○丁目○番○号」に統一しようということになり,その時に全国各地で多くの由緒ある地名が消えてしまった.幸い紅雲町の名は残ってこの作品に登場することになったわけである.紅雲町という古い町名を知っているということは,吉永南央さんは前橋に住んだことがあるのかも.
(註2) 「帰郷」 氷島 (1934年刊)
昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
鳴呼また都を逃れ来て
何所の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未来は絶望の岸に向へり。
砂礫のごとき人生かな!
われ既に勇気おとろへ
暗憺として長なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に独り帰り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒を烈しくせり。
(註3) 作品そのものではなく,本としての『萩を揺らす雨』には一つ気に入らない点がある.それは表紙カバーの絵.そのイラストに描かれている草おばあさんは,後頭部にお団子が載っている,典型的な婆さん髪型である.しかし本文中では,盆の窪に櫛を刺していると書かれている.首筋のところで髪をふんわりまとめているのだろう.草おばあさんは,ちょっとおしゃれな店の主人なんだから,著者が書いているイメージ通りに絵を描いて欲しいものである.
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