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2013年12月

2013年12月31日 (火)

PATH OF EXILE (1)

 今はもうPC用の新作RPG,特にハック&スラッシュが発表されるのは珍しいことになってしまった.
 それで私は未だにDIABLOⅡを遊んでいるのだが,少し前の週刊アスキーにおもしろそうなゲームの紹介記事があった.そのタイトルはPATH OF EXILEという.
 ベータは去年リリースされたらしく,ようやくハック&スラッシュ好きゲーマーに人気がでているとアスキーの記事に書かれていた.その背景には長年,ほんとに長い間,ハック&スラッシュのファンに期待されていたDIABLOⅢが,いざリリースされてみたらファンが思っていたようなゲームでなかったということがある.
 そこへ降って湧いたようにPATH OF EXILEが現れたわけで,私もこれを少し遊んでみようかと思った次第.
 PATH OF EXILEはネットワークゲームだが,ソロでも無理なく遊べるという評判で,しかも基本的に無料というのが年寄りには嬉しい.
 実はアイテム課金型のゲームではあるのだが,「お金を払っても勇者が強くなるわけではない」という超珍しい運営方針である.課金によってヒーローの見た目が格好良くなるだけなのである.
 想像だが,仮想空間に現実のマネーを持ち込まないという開発者の思想があるんじゃないか.
 ま,ともかくゲームスタートしてみよう.この正月にマイナーバージョンアップがあるとアナウンスされているけれど,今は 1.0.4 だ.
 さっそくキャラメイキングを,と思ったらキャラは固定で,いじらずにそのまま戦いに突入となった.ただしキャラに名前だけはつけてやる必要がある.
 その名付けに暫く時間がかかった.ベータ終了からかなり時間が経っているので,RPGにありがちなヒーロー名は,あらかた既に使用されているのであった.
 これでもかこれでもかと試行錯誤して,ようやくめでたく未使用判定が出た名前は,およそ勇者にふさわしくない「土手鍋」である.DOTENABEだ.
Scrnshot_poe01



 プレイヤーの一部とは言え日本人もいるわけで,ちょっと情けないが仕方ない.こいつの職業設定は“神殿騎士団員 Templer”だが,魔法使い Witch も同時に育成してみる.上が土手鍋のおっさんで,下の画像が「焼き焼き」ちゃんだ.
 一日やってみた感想だが,これはかなり正統的なハック&スラッシュで, DIABLOⅡの嫡流でありますね.DIABLOⅢ嫌いのゲーマーに人気の理由はそこだと思った.
Scrnshot_poe02

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2013年12月30日 (月)

お電話ありがとう

 今年の初めに引っ越すまで私が住んでいた家の近所に,たいへん気前の良いご老人がいて,自分はウイスキーを飲まないからと言って,中元歳暮に届いたウイスキーを片っ端から私にくれた.
 それで私は今,全部飲むのに数年はかかろうかという程のウイスキー長者である.

 その一本の封を切って,昨日の夕飯にした.
 酒肴は,一昨日,娘から送られてきた三崎の冷凍鮪がいい具合に解凍できている.
 それと冬休み用に買っておいたスティルトン.
 自分では買わないようないい酒と,そこらの居酒屋ではお目にかかれない赤身の鮪ではあるけれど,黙々と飲んでも楽しくないので,iTunes を立ち上げてBGMを流す.
 アルバムは“STAR BOX / JO STAFFORD”.
 これには“Thank You For Calling”が収録されている.

Thank_you_for_calling1_5

 もう随分前に途絶えてしまった恋人からの電話.声を聞いた途端に滲んでくる涙.なんだかしみじみとした酒になりそうな気がしてくる.

Thank_you_for_calling2

いつこちらに来られるの? 何時に来るの?
ああ,こちらに来るわけじゃないのね.
うん,わかったわ,そうよね.
じゃあなたも元気で.
ありがとう,わたしはだいじょうぶ.
お電話ありがとう.さよなら.

 私は女を捨てた経験がないので,捨てられたことはありますが,こんな電話をかけてくる男の心理がわからない.

Thank_you_for_calling3

〈通話終わりです〉
ええ,ええ,わかってるわ.
もう終わったの.

 “Thank You For Calling”は1954年にヒットした哀切なバラード.
 そういえば,電話交換手という職業がなくなったのはいつ頃のことだったかしら.
 調べてみたら,NTT東日本のコンテンツに回答があった.
 少し引用してみる.

《1926年から徐々に「交換手」に代わる「自動交換機」が導入されるようになったのです。》
《1952年の日本電信電話公社発足当時、市内通話はステップ・バイ・ステップ交換機で自動的につながるようになりましたが、市外通話では依然として交換手が接続業務を行っていました。》
《交換手を介さず待ち時間もない市外通話は、クロスバ交換機の普及や回線の増設により1967年には県庁所在地級の都市で利用されるようになり、1978年には全国に広まりました。》

 もちろん電話網の発達の点でアメリカは日本の比ではないだろうが,それでも1954年の,遠いところに行って心変わりしてしまった恋人からの市外通話は,オペレーターを介していたのだと歌詞からわかる.

 Thank you for calling. Goodbye. お電話ありがとう.さよなら.
 私が初めてラジオで洋楽を聴いたのは中学二年生の時で,どういうわけか当時の音楽番組ではパティ・ペイジとかドリス・デイ,ジョー・スタッフォードなどをよくかけていて,それで1950年代の曲が今でも好きだ.
 昔の歌はいい.昨晩は一枚のアルバムを繰り返して聴いて,ボトルを三分の一あけて酔ってしまった.

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2013年12月29日 (日)

カツ丼

 刑事が被疑者を取り調べるコントをやるとする.ここで昔から定番のギャグは,カツ丼をとって被疑者に食べさせてやるというものだ.
 このギャグの元になったのは,Wikipedia によると,1960年の映画『刑事物語』シリーズ第三作『灰色の暴走』だそうだ.
 次いで1961年から1969年にかけて放送されたTBSの連続テレビドラマ『七人の刑事』にこの被疑者がカツ丼を食べさせてもらうシーン (面倒くさいので以下はカツ丼シーンとする) が登場したと Wikipedia にある.『七人の刑事』はテレビ放送における刑事もののハシリである.

 私の子供時代,テレビがうちにやってきたのはちょっと遅かった.
 日本でテレビが普及する契機になったのは天皇と美智子皇后の御成婚中継だというが,当時うちの近所でテレビを買った (詳しく言うとその家のご主人の自作品) のは一軒だけだった.
 天皇御成婚中継は,その家に近所中の人達が集まり,正座して中継を観た.
 これが私の父親に「テレビを買おう」と思わせたらしく,やがて我が家の六畳間にテレビが鎮座することになった.御成婚の翌年,1960年のことだった.

 それで『七人の刑事』は放送開始からずっと観ていたわけだが,カツ丼シーンの記憶がない.
 『七人の刑事』の映像は「乾いた土地」(第100回) と「二人だけの銀座」(第256回) を除いて現存しないようだが,カツ丼シーンが書かれた脚本が残っているのだろうか.
 それはともかく,私が覚えているカツ丼シーンは『シャボン玉ホリデー』(1961年~1972年) のものである.
 被疑者役はその時によって色々で,谷啓とか なべおさみ が多く,刑事はハナ肇か植木等だったような気がするが,あまり明確な記憶はない.誰か調べてくれんかと思う.

 その後,カツ丼シーンはドリフターズに受け継がれ,「もしも○○な××があったら」シリーズのコントで色んなバリエーションが生まれた.
 例えば,まず刑事が,ニコチンが切れた被疑者にタバコを勧めるが,口を割らない.そこでラジカセで『母さんの歌』をかけ,カツ丼を食わせると,ようやく「私がやりましたっ」と被疑者が泣き出す,といったパターンである.
 で,この頃までのテレビに登場するカツ丼は,ドラマでも料理番組でも,トンカツを玉葱と煮て卵とじにしたもので,これはトンカツ定食よりも御馳走感があったと思う.卵とじにすることでワンランクアップしていたのである.

 昭和五十年代のいつ頃であったか,群馬県の前橋に帰省したときに義兄が「最近ここら辺でソースカツ丼てのがあるから食べに行こう」と言って,店まで車でつれて行ってくれた.
 しかし注文して出てきたソースカツ丼なるものを見て,なんだこれは,と思った.トンカツ定食を丼に一まとめにして,ワンランクダウンしたものにしか見えなかった.明らかに手抜きの,御馳走感ゼロの貧相な食い物であった.

 Wikipedia【カツ丼】に《(ソースカツ丼の) 発祥説や元祖の主張がなされる地域には、東京都新宿区の早稲田界隈、群馬県桐生市、群馬県前橋市、長野県駒ヶ根市、岩手県一関市、福島県会津若松市、山梨県甲府市など》と書かれているように,「ソースカツ丼はうちが元祖」と主張する店が群馬県にある.平成の世になってソースカツ丼ブームなるものが発生し,それに乗って只の手抜き飯が急に胸を張り,創業○年とか秘伝の味などと称して偉そうに登場したのである.
 東京コンピューターサービス宇都宮支店のK.Hという人が,同支店のブログの《マイブームNO.002》で
《私の生地、群馬県で食べ物といえば、 水沢うどん が有名ですが、定食屋で「 カツ丼 」を頼めば「 ソースカツ丼 」がデフォルトで出てくるほどの隠れたソースカツ丼の名産地〈ママ〉です。県民の中には県外でカツ丼を注文して、 卵とじのカツが出てきて面食らったという話を(かなりネタっぽいですが)ちらほら聞くことができます。》
と書いている.《かなりネタっぽいですが》と自ら書いているとおり,それはネタだ.昭和の頃,群馬県でも御馳走のカツ丼は卵とじのカツ丼だったのだよ.手抜き飯にすぎぬソースカツ丼ではなかった.

 ソースカツ丼ブームの時,東京駅から歩いてすぐの小さな定食屋で,昼飯にソースカツ丼を食った.味が濃すぎて途中で食うのがいやになり,こんな丼じゃあ被疑者が「私がやりました」と泣き伏すことはないだろうと思った.

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2013年12月28日 (土)

不健康なチョイス

 一昨日26日の J-CASTニュースにおもしろい記事があった.
 米マクドナルドの従業員向けサイトに,「ファストフードは忙しい人には便利で経済的だが,高カロリーで脂肪や飽和脂肪酸,糖分,塩分が多く太り過ぎになる危険がある」と書かれているというのである.
 マクドナルトのそのウェブページには

1.チーズがたっぷり乗ったハンバーガー,フライドポテト,コーラのようなドリンク
2.ハムのようなものを挟んだサンドイッチ,サラダ,水

という二つの画像が載っていて,前者が「不健康なチョイス」,後者が「健康なチョイス」だと説明文にあったそうだ.
 残念ながら,この正直すぎるオリジナルのページは既に閉鎖されてしまったそうだが,探せば魚拓がどこかにあるだろう.「マクドナルドx不健康なチョイス」で検索すれば魚拓がたちどころに見つかる.

 インターネットが一般に解放されたころ,永続的に残らないのがインターネットの弱点であると言われた.あるサイトが閉鎖されてしまうと,そのコンテンツも永遠に失われてしまうからであった.
 「こういう情報がある」といっても,情報元のサイトが消えると他の人にはそれを読むことができない.つまり情報の真偽を検証できない.真偽どころか,その情報の存在すら確かなものではない.
 第三者による検証不可能ということは,何かを論じる際に資料,引用文献として使えないということである.例えば辞書編纂者が,インターネット上の言葉の使われ方を言葉の用例として辞書に収録することはできない.(これは今でもそうだが)
 そのようなわけで,ウェブページのコピーを可能な限りサーバーに保存し,検索をそのアーカイブ中で可能にするサイトが現れた.しかしこれは実用にならなかった.インターネットはアーカイブを作るには巨大すぎたのである.もちろん著作権の問題もあった.

 次に登場したのが検索サイトであった.どうせ違法だと言ったところで誰かが丸ごとコピーや無断引用をするであろう,それならそのサイトへのリンクを保存すればいい,アーカイブは必要ない,という立場である.
 現実はそのとおりとなった.今は,いったんネットにアップしたら,もう取り返しがつかないのがインターネットの特性である.(最近は拡散されてしまう時間的余裕なく消えるネットワークサービスもあって,アスキー総合研究所の遠藤諭氏が週刊アスキー誌上でとりあげていた)

 さて米マクドナルドの従業員向けサイトには,同社の賃金が低いことを示す情報も掲載されていたという.
 マクドナルドの低賃金で生活していくためには,こういう風にやりくりするといいです,といった内容であったそうだ.CNNなど米メディアがこれを報道したようだ.(日本マクドナルドは,同社の賃金水準は低くはないとメディアの取材に回答している)

 余談だが,バイトテロのようなおバカ画像をネットにアップしたために,顔も名前もさらされてしまったバイトや客の諸君は,これから就職にも結婚の際にも,一生それを背負っていくわけである.無知の代償として高すぎるような気がするが,誰にもどうにもできない.

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2013年12月27日 (金)

雑多感想 12/27

(一)
 安倍首相は昨日26日,東京・九段北の靖国神社を参拝した.
 その言いぐさは「政権が発足して一年の安倍政権の歩みをご報告をし,二度と再び戦争の惨禍によって人々が苦しむことのない時代を作るとの誓い,決意をお伝えするためにこの日を選んだ」である.(「」は各紙によって僅かな違いがある)
 なんともセンスのない人だ.案の定,ただちに在日米国大使館から異例の批判声明が発表された.どれだけ米国は日中韓の関係の中で日本の肩をもってきたと思ってるんだ,もう面倒見切れんぞというところであろう.
 「恒久不戦の誓い」声明などと,たわけたことを言っているが,センスがないというのは,先ずその声明を国民と同盟国を相手に語り,然るのち,ついでだからという風を装って靖国に行きたければ行けばよいのに,そういうちょっとした手順の踏みかたがわかっていないという意味である.
 いくらアメリカが反対したって,ボクは行きたいから行くんだい.こういう子供みたいな頭の持ち主が一国の首相であるのはまことに情けない.靖国参拝に関して振り返ってみると,大勲位中曽根康弘という人の頭のよさが懐かしい.

(二)
 JR電車内の書籍広告で,渡辺雄二の『食べるならどっち』が「たちまち○万部」とか宣伝されていた.
 渡辺雄二は,1999年に『買ってはいけない』を出したとき,そこら辺の大学生ほどの知識もない無知ぶりを,日垣隆に文藝春秋誌上でタコ殴りにされて生き恥をさらしたことで知られる男.まだやってるのね.
 こういう程度の低い人間が粗製本を出すと,同じく程度の低い女達が「○言○町」あたりで,したり顔の講釈をたれるわけで,これまた情けない.
 「○言○町」といえば最近,豚肉の緑変現象,いわゆるグリーンミートについての質問トピが立てられた.そのトピ中に「輸入肉にはホルマリンの一種が保存料として使用されている.豚肉の緑変はそのせいだ」という趣旨の妄想レスがあった.
 まるで渡辺雄二みたいな無知ぶりだなあと思って,久しぶりに反論レスを書いたのだが,掲示板検閲者に無視されてボツになった.私ゃまだアカバンのようである.

(三)
 週刊文春先週号『福岡ハカセのマンハッタンマトリクス』で福岡先生が,マウスにアセトフェノンの匂いをかがせる実験のことを紹介し,《もしこの実験が正しければ、アセトフェノンに対する警戒情報は、DNAに乗って伝達されていることになる。いったいどのようにして。研究者達はそのメカニズムの一端までも明らかにした。この発見のインパクトは強力で、たとえばiPS細胞の安全性を考えるうえでも重要なので、さらに詳しく論じてみたい。つづく。》と書いていた.(関連記事「マウスの恐怖は遺伝する」 12/21)
 その続きが今週号に掲載された.私は原著論文を読んでいない (読んでもわからない) ので,福岡先生の解説でようやく「なるほど~」と理解した.いやまあ,理解といってもイメージがわかっただけだけど.
 しかしながら,イメージだけでも掴めて腑に落ちるのは気持ちがいい.進化論はどこまで行くのだろうと思ったことである.

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2013年12月26日 (木)

雑多感想 12/26

(一)
 缶コーヒー市場で本数シェア一位はコカ・コーラシステムの「GEORGIA (ジョージア)」であるが,そのコカ・コーラシステムには「 LUANA (ルアーナ) 」という新ブランドがある.
 このルアーナは,ネット上のCМでは「ミルクで仕上げた甘くないカフェスタイルのコーヒー」となっているのに,いまJR電車内で盛んに広告されているコピーは「ミルクで仕上げた甘くないラテ」である.
 つまり「ミルクで仕上げた甘くない牛乳」というわけで,意味がわかりません.

(二)
 電車内には書籍の広告も多く,昨日も池井戸潤『ロスジェネの逆襲』が「87万部突破!」などと書かれているのを見た.
 この「ロスジェネ」はロストジェネレーションの略で,バブル崩壊後の就職氷河期に新規卒業者となった世代のことだが,ネット上の辞書では「さまよえる世代」の意味と書かれていて,朝日新聞の記事が最初の用例だという.
 この「さまよえる」に私は違和感がある.
 確かに辞書的には「ロスト」は「道に迷った」だから「さまよえる」で結構なのだが,問題はE. ヘミングウェイに対して“You are all a lost generation.”とG. スタインが言ったとき,“lost”は「自堕落」という意味だったことだ.
 要するに,既に定着していた「ロストジェネレーション」という言葉に,就職に苦労してかわいそうな世代とでもいったニュアンスが無理矢理に付与されてしまったのは,朝日新聞に責任がある.

(三)
『近世庶民の日常食』という本がある.サブタイトルは「百姓は米を食べられなかったか」で,なかなか面白そうなのだが,書評によっては「信憑性がない」と一刀両断にしているものもあって,注文しようかどうか迷っている.

(四)
 人は,クリスマスと聞くと心優しくなるらしい.そして心優しい物語がこの時期だけ思い出されたりする.
 毎日新聞のコラム「余録」に,毎日がクリスマスならいいのに,NHKが放送した米国ドラマ『アリー・マイ・ラブ』に,毎日がクリスマスならいいのに,と言い張る老教師が登場したことがあると書いてあった.私は『アリー・マイ・ラブ』を観ていなかったので,そのお話は知らない.
 アメリカの大手映画批評サイトが発表した2013年版クリスマス映画ベスト25によると,一位は『三十四丁目の奇蹟』(1947) で,二位は『スイング・ホテル』(1942) だという.
『三十四丁目の奇蹟』は昔買ったDVDを持っている.いま Amazon を検索すると,スペシャル・カラー・バージョンというのが売られている.これは元々モノクロ作品であった『三十四丁目の奇蹟』をカラー作品化したものと,オリジナルとが両方とも収録されていて,評判がとてもいい.しかも ¥709.食指が動くが,二つ持っていても仕方ないしなあ.
 一昨日の夕方,飲み屋のカウンターでボケーっとニュース番組をみていたら,誰のものかわからないが,アニメーション作品が流れた.
 クリスマスイブの晩に,道路脇のダンボールに入れられていた捨て猫がサンタクロースに拾われ,一緒にソリに乗って子供達にプレゼントを届けるという内容だった.これからますます寒くなる.今夜もネコ達が凍えませんように.

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2013年12月25日 (水)

上州名物片原饅頭

 昨日の記事で触れた前橋市紅雲町の龍海院には,上野厩橋藩第四代藩主,酒井雅楽頭忠清の墓がある.
 酒井忠清は三河以来の譜代名門酒井氏の嫡流で,江戸幕府老中を勤め,第四代将軍徳川家綱の治世期に大老となった.
 将軍家綱を補佐して,伊達騒動などのお家騒動の裁定に関わったことで知られるが,延宝八年に家綱が死去して家綱の異母弟綱吉が将軍となるや大老職を解任された.
 酒井家の上屋敷は江戸城大手門下馬札付近にあり,下馬札より内側へは徒歩で渡る下馬の礼を取らなければならないことから,酒井雅楽頭の権勢を比喩して,忠清は下馬将軍と呼ばれたという.

 さて前橋市に「下馬将軍」という忠清の通称を冠した銘菓がある.製造元は明治十五年 (1882年) 創業の新妻屋という菓子司である.
 私が中学生の時に読売新聞に連載された記事で,全国の菓子を紹介する趣旨の囲み記事があった.その記事に「下馬将軍」は群馬からただ一つ掲載された.
 この連載記事は,のちに読売新聞社から一冊にまとめて出版され,確か『和菓子風土記』といった.記憶を確かめようと古本を探したが,残念ながらみつからなかった.(現在入手できる同名の書籍があるが,著者も出版社も異なる)
 これには各県の有名な菓子が掲載されていて,例えば言問団子や羽二重餅,日本三大銘菓の一つ「長生殿」などが載っていたと記憶している.
 つまり,かの有名な「長生殿」を「下馬将軍」と同列にしてはいけないが,県外の人からみれば昭和三十年代においては「下馬将軍」が上州を代表する菓子だとされたわけである.

 ところが,県外ではほとんど無名でありながら,「下馬将軍」よりも群馬県人にはよく知られ,好まれた菓子があった.前橋市内中心部に店を開いていた片原饅頭志満屋本店の「片原饅頭」である.
 志満屋の創業は天保三年 (1832年) らしく,これは上記の新妻屋より五十年も古い.さらに「下馬将軍」は新妻屋三代目の考案だというから,これはもう「下馬将軍」は「片原饅頭」とは比較にならないくらい最近できた菓子だということになる.
 そういうわけで前橋市民にとっては,前橋を代表する菓子といえば「片原饅頭」だったのである.
 それに,私が大学に入って上京する前の「片原饅頭」が一個いくらであったか覚えていないが,客は十個とか二十個を買い求めるという,いたって庶民的な饅頭であった.
 ところがこの志満屋本店は平成八年に閉店し,百六十四年続いた歴史に幕を下ろしてしまった.後継者がいなかったとされている.
 後継者がいなかった,ということについて地元の人があれこれと書いているブログがあるが,店の事情を詮索するのは失礼だからここには書かない.
 昨日,水沢うどんの元祖とされる清水屋は,うどん打ちの技を一子相伝にしている (店主が新聞のインタビューにそう答えて公表している) と書いたが,一子相伝にはそういうリスクがあるということである.

 ところがこの「片原饅頭」の歴史が途絶えたのをたいそう惜しんだ人物がいた.
 元競輪選手で,中野浩一が競輪界を制覇するほんの少し前が全盛期だった福島正幸である.
 前橋市出身である福島氏は「片原饅頭」の復元を決意し,酒饅頭作りの技術習得を基礎から始めて,試行錯誤を何年も繰り返したという.そのあたりのことは「群馬よもやま話」というサイトでも紹介され,地元ではよく知られている.
 ともあれ「片原饅頭」は復元され,今は商品名を「片原饅頭復元」という.
 復元のでき具合について,いやちょっと違うとかなんとか評論する人もいるが,それは「片原饅頭」がどれほど愛された菓子だったかということの裏返しで,気にすることではなかろう.

 実はこの暮れに,通販で「片原饅頭復元」を取り寄せようと思っていた.水沢うどんと同じく,娘と娘の亭主に食わせようとの算段である.
 ところが,つい最近まで取り扱っていた高島屋オンラインストアのサイトを探しても,定番から下ろされてしまったようで,見当たらない.何か事情が生じたのだろうか.帰省した折に地元の人に聞いてみなければ.

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2013年12月24日 (火)

上州名物水沢うどん

 吉永南央さんの『紅雲町珈琲屋こよみ』シリーズで,主人公の草お婆さんが経営する和食器屋は,高崎市がモデルと思しき北関東の地方都市にあり,町の名は紅雲町という.
 紅雲町という町名は高崎市の隣の前橋市に実在する町名である.
 もう昭和の中頃の昔話だが,その紅雲町にある名刹龍海院の敷地のすぐ近くに,小さなうどん屋があった.うどん屋といっても,店内で客にうどんを提供する飲食店ではなく,うどんの玉を製造する店だった.
 市内の蕎麦屋にうどん玉を卸している製麺業者だったようだが,小売りもしていた.小学生だった私は母親に「龍海院でうどんを買っておいで」と言われて,てこてこと隣町の紅雲町まで歩いて,うどんを買いにいったものだ.そのうどん屋は,近所では寺の名を借りて「龍海院のうどん」と呼ばれていたのである.
 「龍海院のうどん」は手打ちうどんで,店に入るとすぐ作業場があり,そこで布に包んだうどん生地を,おっさんが一所懸命に足で踏んでいた.当時は,うどんの機械製麺はあまり一般的ではなかったと思われる.
 前橋市あたりでは (高崎や桐生,伊勢崎,館林など群馬全域でもそうだと思う) うどんは日常食だったから,わざわざ自分のうちでうどんを打ったりはしなかった.上に書いたような製麺屋があちこちにあって,普通の家庭では,製麺屋でうどん玉を買ってすませていたと思う.うどん玉は,町なかの蕎麦屋でも分けてくれたし,製麺屋から仕入れた八百屋なんかでも売っていた.

 余談だが,群馬には「おっ切り込み」と呼ばれる郷土料理で,ちょっと変わった垢抜けないうどん料理が今もあって,家でうどんを打つのが当たり前の農村部では家庭料理なのだろうが,都市部の住民にはあまり縁のないものだった.

 さて普通のうどんの話.
 「日本三大うどん」というと,讃岐うどん,稲庭うどん,それと群馬の水沢うどんとするのが一般的だろう.(「世界三大うどん」という,わけのわからないのもあって,同じく讃岐,稲庭,水沢のうどんである.当たり前だが)
 その水沢うどんは,渋川市伊香保にある水沢観音の門前の名物であるが,私が初めてこれを食べたのは昭和の五十年頃だった.私が帰省したある日,義兄が車で水沢観音に連れて行ってくれて,参拝の帰りに門前に並ぶうどん屋で姉夫婦がご馳走してくれたのである.これはうまい,と思ったのが第一印象であった.

 少し前の Wikipedia【水沢うどん】では,「水沢うどんは門前の名物であって群馬の食文化というわけではない」と書かれていたのだが,いつ編集されて記述が変更されたのかわからないけれど,今は【水沢うどん】は《地元の食文化であるが価格が高く、参拝客向けの門前店を起源とするため、湯治客と参拝客などの観光客が多く食している》と書き直されている.
 私も水沢うどんは地元の食文化ではないと思う.今でこそ「日本三大うどん」と呼ばれてはいるが,昔は知る人ぞ知るだけの水沢観音名物だった.群馬県民でも水沢のうどんを食べたことがない人が大半だったわけで,そこが讃岐や稲庭との違いだろうと思う.
 昨今の日本人は,テレビにあふれているグルメ番組をみればわかるように,やたらと食い物にうるさくて,それも「食文化」などと蘊蓄をたれるのが大好きである.それで水沢うどんも「食文化」に昇格したようで,めでたいことである.ではあるが,食「文化」というなら,詳細略するが,上記の「おっ切り込み」のほうが余程その資格があると思われる.

 ま,それはそれとして水沢うどんはうまい.今度の正月に娘夫婦が来るというので,通販の水沢うどんを注文した.亭主に食わせてやろうという目論見である.
 讃岐うどんの店や製麺屋は,うどんのコシにこだわりすぎるものだから,うどんとしては禁じ手である (と私は思う) 加工澱粉の使用に手を染めている業者が多いと聞く.実際,私は香川県の某所にある小ぎれいな讃岐うどん屋で,小麦粉二種類と加工澱粉を調合しているのを実見したことがあり,ああ讃岐うどんてのはこの程度のものかと思ったことがある.加工澱粉を使えば,特段の技術がなくても麺にコシを付与できるからである.
 それに比べると水沢うどんは,小麦粉と水と塩だけで打つのがウリである.といっても,それが本来のうどんであるのだが.

 水沢観音の門前で一番古いうどん屋といわれるのは清水屋だが,この店はうどん打ちの技術を一子相伝にしているのだそうだ.大丈夫かなあ,と心配になる.群馬には,かつて一子相伝のために途絶えてしまった前橋の名物「片原饅頭」があるからだが,その話はまた別の稿にする

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2013年12月23日 (月)

雑多感想 12/23

(一)
 蓮舫元行政刷新相は12月20日,猪瀬知事について《「アマチュア」発言だけは流せない。政治家の「プロ」なら多額のプライベートな借金や説明が果たせなくてもいいとの認識なんだろうか》とツイートした.
 埼玉県の上田知事は,《分かりやすく県民に説明するのがリーダーの大事な仕事、資質だ。その部分がうまくできなければリーダーとして失格だ》と批判した.(《》は読売新聞- YOMIURI ONLINE 12月20日- から)
 滋賀県の嘉田知事は一昨日の21日,辞職を表明した猪瀬直樹東京知事が「(自分は) アマチュアの政治家だった」と発言したことについて,《本当の政治家なら隠し通すということなのか。政治家に対して失礼だ》と批判した.(《》は読売新聞- YOMIURI ONLINE 12月22日- から)
 以上は報道された順である.全国紙各紙の報道によれば,であるが,批判の元になった猪瀬知事の発言は,
・プロの政治家は政策と政務の両方に通じていなければいけない,
・自分は政策には自信があったが,政務,つまり個人的借入といえども選挙前にしてはいけないということに暗かった.
・その意味で私はアマチュアの政治家であった.
というものである.
 埼玉県知事の批判はまともであるが,あとの二人の発言は一体なんだ.
 隠し通すのがプロの政治家などと猪瀬知事は言っていない.こういうのを悪意の曲解という.二人とも随分と自信がおありのようである.
 特に蓮舫氏は,何を言っても嫌われるのであるから,人の先頭に立ってああだこうだと言うのはやめたほうがいい.
 嘉田知事も,猪瀬知事について発言すれば当然,阿部知子議員のことを突っ込まれて困るのだから,何も言わないのが良い.ペラペラしゃべれば,政治家としてアマチュアであるとバカにされるだけだ.

(二)
 阪急電鉄の三宮駅が,神戸三宮駅に駅名変更するという.これまではJRの駅が三ノ宮駅で,阪急と阪神が三宮駅という,関西以外の人間にはややこしいことだったのであるが,これからは三ノ宮,神戸三宮,三宮の三つになるわけね.
 地元のひとが今までどのように言い分けていたかよく知らないが,私の周囲ではJRの三ノ宮,阪急三宮,阪神三宮と呼んでいるように思う.三ノ宮も三宮も会話では一緒になってしまうから,鉄道会社名をつけるのが一番わかりやすいと思うのだが.

(三)
 堀井憲一郎の『ディズニーから勝手に学んだ51の教訓』に,「ジャックスパロウ」を変換したら「惹句スパ老」になった,と書いてある.試しに私の ATOK で変換してみたら,「ジャックスパ老」が第一変換候補で,次が「惹句スパ老」だった.私は少数の文節ごとにどんどん変換しちゃうので,カタカナ人名ならもう最初からF7キーを押しちゃうけどね.

(四)
 昨日,大阪市浪速区の居酒屋でアルバイトをしている四十歳の女が,その店に飲みに来た夫と喧嘩になり,店から逃げた夫の背中に包丁を投げつけて刺殺した.
 その筋の人が書いたものであったか,あるいはその人の監修を受けた映画であったかよく覚えていないが,刺殺の仕方について昔知ったことがある.
 刺殺というのは,左手で匕首の柄を持ち,右の手のひらを柄の尻に当て,体毎ぶつかるようにして刺すというものであるらしい.
 
 それくらいにしないと,フェンシングのフルーレのように「突く」ようにできていない,斬るための刀剣の類で衣服を突き破るのはむずかしいのだそうだ.
 包丁を投げつけた距離とか包丁の種類がわからないのだが,それにしても凄い膂力である.この女,身はアルバイトにやつしても,実は武家の出であろうか.
 白土三平は忍法を「科学的に」解説する人だったから,軽い手裏剣で衣服を突き通すことの困難さは理解していたようで,それで巨大な手裏剣を作品に登場させている.それくらいの重量があれば突き刺さるというわけだが,どうやってそれを持ち歩くんだという難問に対しては答えていない.子供の頃は「おおっなるほど~」と感心したのだが.

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2013年12月22日 (日)

マグカップ

 私が愛用しているマグカップは少し小さめで,コーヒーにはちょうどいいサイズだが,インスタントスープの場合は適量のお湯を入れると,フチのギリギリになってしまう.

 それでスープ用のカップが欲しくなり,Amazon でマグカップを探していたら,「検尿マグ SAN2051」という商品を見つけた.
 これには三件の購入者レビューがあり,三件とも五つ星の大好評である.

 また「よく一緒に購入されている商品」として「便器のカタチのカレー皿 SAN1972」が掲載されている.
 こちらは「ご飯とカレールーを分けて食べたい人にもオススメ 」と説明があり,七件のレビューのうち六件が五つ星をつけている.Amazon 販売商品としては絶賛といっていい.

 かなり前だが,どちらも雑誌で紹介されていたのを思い出した.
 検尿マグは買ってもいいかなと思うが,カレー皿のほうは逡巡している.

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「和食」とはなにか 番外編

 前の記事で述べた『和食ガイドブック』が「和食」の例としている新潟県三条市の給食献立例を以下に示す.

[月曜日]
・ごはん
・いかのかりんあげ
・なっとうあえ
・きのこけんちんじる
・のむヨーグルト
(小学校619kcal/中学校731kcal)

[火曜日]
・えだまめごはん
・さけチーズフライ
・くきわかめきんぴら
・かきたまじる
・牛乳
(小学校687kcal/中学校823kcal)

[水曜日]
・ごはん
・とりにくのぴりからやき
・いかときゅうりのあえもの
・しょうがみそスープ
・牛乳
(小学校639kcal/中学校752kcal)

[木曜日]
・ごはん
・さんまうめに
・たくあんあえ
・にくじゃがに
・牛乳
・なし
(小学校688kcal/中学校814kcal)

[金曜日]
・ごはん
・カレーふりかけ
・ほうれんそうオムレツ
・フレンチサラダ
・パンプキンスープ
・牛乳
(小学校708kcal/中学校833kcal)

 『和食ガイドブック』はこれを牽強付会に「和食」であると言い張っているが,和洋中華折衷の,なかなか美味しそうな献立である.一汁二菜に乳製品が付いて,ちょっと野菜が少ないような気もするが,栄養的にもまずまずであろう.

 昭和三十年代,私が小学生のときの給食は,コッペパンと脱脂粉乳を溶いたミルクと,おかずが一品だった.おかずは取り立てていうほどのものではなかったと思うが,その中で記憶にあるのは,鯨の大和煮とか竹輪の磯辺揚げ,塩味のシチューくらいのものだ.

 それでも戦後すぐの時代に比べれば大したもので,今はネット上から資料が消えてしまったが,神奈川県のある小学校で,ララ物資による最初の給食は,わずかな豚の脂身が浮いているスープだけであったという.この給食を食べた児童の感想文も掲載されていたのだが,私のスクラップブックの事故 (HDD のクラッシュ) で失われてしまったのが残念だ.ある児童は,その具なしのスープを家に持って帰り,妹に飲ませてあげたいと書いていて,私は涙なくして読めなかった.

 スープだけの給食から,パンとミルクとおかずの給食になるまではそう時間がかからなかった.当時の日本の児童達は,ララと,その後を引き継いだユニセフのおかげで,成長期の低栄養から幾分なりとも救われたのであった.

 しかし私よりも年下の世代の中に,海外からの援助物資であった給食のミルク (脱脂粉乳) を,米国の穀物戦略に基づく陰謀であるとか悪し様にけなす風潮が現れ,これには腹立たしい思いを禁じ得なかった.その思いから書いた記事を以下に再掲する.

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2001年12月22日
僕達の脱脂粉乳

 昨日の毎日新聞に「学校給食:大阪府の中学校で5年間にわたり基準下回る」という記事があった.文部科学省の基準では中学生の1食当たりの摂取基準は820kcalであるが,大阪府四条畷市の中学4校で今年の4月~12月にかけて平均摂取量が約750kcalだったという内容である.給食に対する国庫補助が減額されたことにより,財政が悪化したためだという.この市内の小学校でも基準(中学年で640kcal)を毎月,10~30kcal下回っているとのことである.
 文科省学校健康教育課は,基準と同等の給食を作るようにと指摘しているらしいが,むしろヘルシーかも,という声もあるらしい.

 750kcalの昼食がヘルシーなのか少し足りないのか難しいところだが,昔はどうだったのだろう.ちょっとWebを見てみたら容易に資料が見つかった.そのWebページによると1946年(昭和21年)の文部・厚生・農林次官通達「学校給食実施の普及奨励について」によれば(以下は,おそらく誤りと思われる個所を訂正してある)
 1.完全給食最低基準量  1人600kcal たんぱく質25g
 2.毎週授業日に5回給食を行うこと
という基準であったそうだ.熱量だけを見てみると,この基準量は何度か改定されており,小学校では以下のようである.
Kyushoku_cal

 前記記事の大阪府の小学校では,1954年当時の基準熱量よりも少し多いくらいであることがわかるが,まあ大した差ではないだろう.
「大した差ではない」というのは,給食の熱量が少しばかり少なくても家庭の食事で十分に補えると考えられるからだ.しかしその差が大きな意味を持っていた時代が,かつてこの国にあったのである.

 私くらいの年齢の,いわゆる団塊の世代の人間が集まると,昔の小学校の給食のことが話題になることがある.大抵は当時「ミルク」と呼んでいた脱脂粉乳の話になる.誰かが「あれはまずかった」と言うと「あれはアメリカの家畜の餌だったんだよね」と続く.我々は可哀想なことに牛豚の餌を食って育ったのだという意味である.
 だが本当にそうだったのだろうか.

 1945年の秋,国民経済は疲弊の極みに達し,都市部における食糧危機は深刻の度を増しつつあった.
 当時サンフランシスコに在住の日系アメリカ人,浅野七之助氏(1900~1998年)は祖国日本の窮状を知り,この年の11月に「日本難民救済有志集会」を開き,日本救済運動を開始した.
 翌1946年1月,浅野氏を中心とする「日本難民救済会」は,サンフランシスコ在住の日系人から募った浄財で救済物資を購入し日本に輸送しようとしたが,適当な窓口団体がなかった.そこで浅野氏は宗教団体に働きかけ,大統領直轄の救済統制委員会に「日本難民救済会」を公認団体とするよう陳情した.

 敗戦後,日本政府はGHQに対して緊急食糧援助を要請していたが,どれほどの量が不足しているのか推計する根拠がなかった.
 アメリカ陸軍省の報告によれば,日本の食糧不足量は3,000万tとされたが実態は不明であった.そのため政府はその基礎資料の作成を開始した.これは昭和22年の「暫定標準食品栄養価分析表」,次いで昭和25年に国民食糧及栄養対策審議会編「日本食品標準成分表」として公表されることになる.その前書きに

 『昭和20年以来我が国においては食品分析値を用いての計算による対外交渉が増加して来たのでその必要性から、さきに厚生省、農林省協定による暫定標準食品栄養価分析表を作製し目的に沿うてきたのであるが、分析表に採録された食品の数があまりにも少なく、色々不便であったので、速やかに更に多くの食品を追加す可しとする要望切なものがあった。一方連合国最高司令部からも同じような希望があり…』

という記述があるが,文中の「対外交渉」とはGHQに対する食糧輸入要請を意味している.
 この1月にはフィリピンから,3月にはアメリカから食糧輸入船が日本に到着し,またGHQは小麦や魚缶詰等を放出したが,主食の配給遅配はいよいよ著しくなった.
 5月に入りGHQは食糧3374万ポンド相当の払い下げを発表し,6月には京浜地区に米麦22,000tを放出した.

 この頃,浅野氏らによる祖国救援活動は,ようやく実を結びつつあった.これに大きく貢献したのが在日経験を持つクェーカー教徒,E.B.Rhoads女史(1896~1979年)であった.Rhoads女史は後年,再来日して皇族の英語教師を務められた方である.女史らの献身的な尽力により1946年9月,浅野氏の日本難民救済会は公認団体“ララ(LARA;Licensed Agencies for Relief of Asia)”として発足し,クリスマスに間に合うように衣類や脱脂粉乳などのいわゆる「ララ物資」第1便450tが日本に向けて出航した.

 この月の2日には,弁当を持参できない生徒のために1日だけの給食が実施され,GHQ放出小麦粉によるコッペパンが全国の児童に配給された.また9日には生活保護法が公布されている.

 11月にはGHQが学校給食用に日本陸軍の貯蔵食肉5,000tを供給すると発表,同月30日にララ物資第1便が横浜港に到着した.翌月にはララから更に210,000tもの救援物資が我が国に寄贈され,これを基に1947年(昭和22年)1月,全国の都市部児童三百万人に対し学校給食が開始された.実に我が国の学校給食は,ララ物資による一椀の脱脂粉乳から始まったのである.先に述べた大阪府の小学校の事例とは異なり,わずかに数十kcalの熱量と動物性タンパク質が大きな意味を持っている,そういう時代であった.
 なぜ学校給食として脱脂粉乳が提供されたかについては,時期が手元の資料では明確でないのだが,GHQ民政局と文部省との間で相談がなされた結果であるという.
 「日本食品標準成分表」編纂のところで述べたように当時我が国には国民栄養に関する基礎資料が全くなかったため,GHQは当時東北大学医学部の教授であった近藤正二博士(近藤教授は,長寿者の多い地域と短命な地域を比較調査した栄養学研究で知られる)に助言を求めた.近藤教授はGHQからの問い合わせに対し,成長期の児童には動物性タンパク質が不可欠であり,小麦粉のパンよりも脱脂粉乳が適当だと回答したとされる.

 その後,1949年(昭和24年)10月にユニセフ(国際連合児童基金)から脱脂粉乳の寄贈を受けて「ユニセフ給食」が始められ,翌1950年には米国から無償提供された小麦粉でパンが給食に登場し,全国8大都市の小学校で完全給食が始められた.
 しかし1952年4月28日,サンフランシスコ講和条約の発効により日本は独立国となったため,給食用物資の財源であった米国政府の「ガリオア資金」が打ち切られた.学校給食は廃止の危機にさらされたが,国庫負担による給食存続運動が全国的に展開され,翌1953年には小麦粉の半額国庫補助が実現し,この年の4月に全国すべての小学校を対象に完全給食が実施された.
 そして昭和29年には学校給食を教育活動の一環として明確に位置づけた「学校給食法」が成立したのであるが,この年は前記「日本食品標準成分表」が改定された年でもあった.その「改訂日本食品標準成分表」の序文には
 『現段階において、わが国の食糧事情はきわめて重大であり(中略)、栄養学の見地に立って、すべての国民が健康を維持向上し十分な社会活動をなしうるに要する食糧の確保に基盤をおかなければならない。(中略)、このためには、食物に含まれる栄養素の質と量を明らかにする必要がある』
と記され,昭和29年に至っても戦後の食糧不足が完全に解消されていなかったことが窺われる.

 仔牛は生後しばらくの期間,成牛と同じ飼料を与えることができない.この時期に消化不良を起こすと,その後の成長が著しく阻害されるため,脱脂粉乳またはそれに類する組成の飼料で育てられる.
 アメリカという国は工業国家であるが,また世界最大の農業国家でもある.いま我々が「家畜の餌」と言う時,それは人の食料以下のあたかも残飯のごとき物であるが,当時のアメリカにとって脱脂粉乳は重要な農産物だったはずである.また極東の小さな島国へと太平洋を越えて輸送し,すべての児童に平等に配布できる物資は,小麦粉か脱脂粉乳であったろう.私達の父母の世代は子供達のために脱脂粉乳を要請し,その希望はかなえられた.そしてその資金は初めサンフランシスコの日系アメリカ人の人々による祖国救援活動によって,続いて世界中から集められた善意に基づくものであった.だから私は,あの脱脂粉乳は決して「家畜の餌」などではなかったと思うのだ.そのララ物資の浅野七之助氏は遂にアメリカに帰化することなく1998年,98歳で亡くなられたという.

【参考資料】
 日本食品標準成分表はこれまで暫定版から5度改定されている.
初期の版と現行五訂版に収載された食品数を以下に抜粋する.
暫定版でわずかに104品目であった収載食品数は五訂版で1,882に増加した.現在の我が国における国民食生活の豊かさを示すものである.
Seibunhyo
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 これまで述べてきたように,農水省がどう言い張ろうと,日本の伝統食は一汁一菜あるいは一汁無菜であった.一汁三菜とか栄養バランスのよい食事なんぞは,年に数回しかないハレの日の食事であった.
 また,かつての東日本内陸部の人々は食事からの食塩摂取量が多かった.少しの塩辛い漬物,梅干し,塩蔵魚で飯を食うのが一般的であった.
 このような日本独自の食生活の結果として高血圧になる人が多く,これが農村部に住む人々の短命の原因であった.

 これには,第二次大戦前後に陸軍関係者 (食養会) が提唱し,のちに疑似科学「マクロビオティック」となった「身土不二」思想の影響もある.
 戦後,農家の女性や高齢者の生き甲斐と所得を向上させる目的に生まれた生活改良普及員が農村部の伝統的食生活の改善に取り組んだのに対して,「身土不二」説信奉者は「三里四方のものを食え」をスローガンとして,「地元の食品を食べると身体に良く,他の地域の食品を食べると身体に悪い」「伝統食は完璧だから手を加える必要がない」「生活改良普及員が伝統食を破壊して洋食を指導した結果,若者が早死にしている」と非難した.(「」は Wikipedia【身土不二】から引用 [註*])

[註*] 2014年4月18日追記.Wikipedia【身土不二】は,このブログ記事を書いたあと,誰かが編集したようで,「」の記述が削除されている.編集履歴を残さずに書き直されてしまうのが Wikipedia の最大の欠陥である)

 日本の伝統食における塩分過剰摂取の解消に功あったのは生活改良普及員であるが,農村部でない地域では学校給食の寄与が大きいと考える.
 パンは漬物がなくても食える.初めは米国西海岸在住の日系人による祖国救援活動によって,次いでユニセフによる学校給食支援によって,これを知った私達戦後生まれは,抵抗なく食事の欧米化を受け入れることができた.そしてこれが,行きすぎた欧米化への変化の前に過渡的に生まれた,栄養的に優れた和洋折衷の「日本型食生活」の基礎となったのであった.

【関連記事】
三里四方に 2008年3月20日

「和食」とはなにか 2013年10月25日

「和食」とはなにか その二 2013年12月9日

「和食」とはなにか その三 2013年12月12日

永山久夫氏の主張  2013年2月5日

「和食」とはなにか 番外編の二 2014年4月30日

【参考図書】
小泉和子編『ちゃぶ台の昭和』 (河出書房新社)

アスペクト編集部・編『なつかしの給食』 (アスペクト)

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2013年12月21日 (土)

マウスの恐怖は遺伝する

 今月の初めに,朝日新聞DIGITAL (12月4日) に《恐怖の記憶、精子で子孫に「継承」》という見出しの記事が掲載された.米国の研究チームが科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス電子版に発表した論文の紹介記事である.
 この短い記事を読んだ多くの理系爺さん婆さん父さん母さんは「あっ」と驚いたであろう.(最先端を勉強している若者達は驚かないだろうが)
 以下,その論文の概要をわかりやすく箇条書きにしてみる.

(1) オスのマウスにアセトフェノンの匂いをかがせる.アセトフェノンは,サクラの花びらの香気成分である.
(2) アセトフェノンをかがせた直後,マウスの脚に電気ショックを与える.
(3) この訓練を繰り返すと,マウスはアセトフェノンの匂いをかぐと電気ショックが与えられることを学習し,アセトフェノンの匂いを恐れるようになる.いわゆる条件反射であり,獲得形質である.
(4) このマウスをメスとつがいにして,生まれた子どもに様々な匂いをかがせたところ,父親が恐怖を感じたアセトフェノンの匂いのときだけ強くおびえるしぐさをみせた.孫の世代でも同様であった.
(5) 父マウスと子孫の精子のDNAを調べると,嗅覚を制御する遺伝子に変化が認められ,子孫マウスの脳の嗅覚神経細胞の集まりが大きく発達していた.

 上の概要を読めば,朝日新聞の記事を読み落としていた全国の理系爺さん婆さん父さん母さんは「あっ」と驚くのではないか.ずばり言えばこの実験は「獲得形質は遺伝する」ことを示しているからである.

 獲得形質は遺伝する.これを聞くと,理系文系を問わず,爺さん婆さんの中にはスターリンとルイセンコを連想する人がいるだろう.
 我ら爺さん婆さん達が生まれたばかりの戦後,主として平野謙vs中野重治・宮本顕治らという「どっちもどっち」な人々による,いわゆる「政治と文学」論争があった.これと同様な趣旨で,私のような理系学生には「政治と科学」という関心事があった.そして学生達が「政治と科学」について言い争うときに必ずでてくるのがルイセンコだった.
 ルイセンコその学説についての詳細は,ここで紹介するには膨大なので Wikipedia に譲る.またラマルキズム(用不用説)も忘れちゃった人は Wikipedia を参照して欲しい.
 ともあれ,ルイセンコの名はスターリンとワンセットであり,ラマルキズムを極端に政治化したルイセンコの学説は,努力すれば (その結果である獲得形質は) 必ず報われる (遺伝する) という共産主義国家のスローガンとして都合のよい理論であり,スターリンが強く支持したのであった.そしてたくさんの学者や農民がその犠牲となった.
 中国でも毛沢東が大躍進政策の中でルイセンコの学説を採用して,その結果,多くの餓死者を出した.
 我が国では,ルイセンコ学説に基づくヤロビ農法を日本共産党や日本社会党が支持した.
 北朝鮮では金日成・金正日親子によってルイセンコ学説を利用した主体農法が実施されたが,これは1990年代から今に続く食糧不足につながる大失敗であった.ルイセンコ学説なかりせば,今の北朝鮮国民の悲惨はなかったかも知れない.(いわば,対空機関銃弾90発で張氏を肉の破片にした金正恩は,ルイセンコ学説の直系子孫なのである)

 このような忌まわしい事情があるために,「獲得形質は遺伝する」は二十世紀におけるタブーとなった.
 ところが今世紀に入ったころから,一見するとラマルキズムに似た学説が進展しつつある.
 どういうことかというと,Wikipedia【ネオ・ラマルキズム】にこう書かれている.
《2000年ごろまでの分子遺伝学では、専ら「遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する」とされ、「一方通行である」とされていた。この説、仮説を「セントラルドグマ」という。この仮説の枠内においては「個体が獲得した形質がDNAに情報として書き戻されることはあり得ない」とされる。つまり「獲得形質の遺伝は認められない」とする。この仮説は原則的には現在も広く認められているところである。》
《ただし、この説は、すでに若干の例外となる現象、すなわち細胞レベルでの「遺伝子の後天的修飾」が知られるようにはなってきており、セントラルドグマが過大視されすぎたとして、それを修正するための研究が進行中である。このような研究は「エピジェネティックス」と呼ばれており、各国で盛んに研究が行われており、後天的修飾の起きる範囲は一体どの程度なのか(どの程度にとどまるのか)、その仕組みはどうなっているのか、といったことが日々解き明かされようとしてはいる。》

 実は先週,週刊文春の連載コラム『福岡ハカセのマンハッタンマトリクス』で,福岡伸一先生が,上に書いたマウスにアセトフェノンの匂いをかがせる実験を取り上げていた.
 コラムの末尾に《この発見のインパクトは強力で、たとえば iPS 細胞の安全性を考えるうえでも重要なので、さらに詳しく論じてみたい。つづく。》とあって,来週は福岡先生の解説が読める.来週号が待たれる.

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2013年12月20日 (金)

アサギマダラと神秘主義

 朝日新聞DIGITAL (12月18日) に,群馬県中之条町六合地区で9月28日に放蝶されたアサギマダラが,11月27日に沖縄県与那国町の宇良部岳で再捕獲されたとの記事が載っていた.この個体は,二ヶ月で直線距離で2013キロを移動したことになる.また同時に放蝶されたアサギマダラのうち二匹は,高知県内で再捕獲されている.
 前の記事で,《今週号の週刊文春で池澤夏樹氏が『謎の蝶アサギマダラはなぜ海を渡るのか?』を紹介して,「その先にある著者の仮説はいよいよすごい」と書いている.その仮説は神秘主義あるいは疑似科学ぎりぎりのところにあるようなのだが,同書を読んでみないことには始まらない.即座に Amazon に注文した》と書いた.

『謎の蝶アサギマダラはなぜ海を渡るのか?』は,アサギマダラの長距離移動についてフィールドワークのデータを詳しく説明したあと,最後の最後でドンデン返しがある.これがミステリーなら「あっ」と驚くところだ.
 著者の栗田昌裕氏は東京大学大学院修士課程(数学専攻)を経て同大医学部卒.現在は群馬パース大学 (看護師,保健師,助産師,理学療法士,臨床検査技師の養成を行っている医療系大学) の教授で,アサギマダラのフィールドワークで著名な人であるらしい.テレビ出演は百回以上で,アサギマダラの調査研究に関してNHKに二度出演しているという (これは『謎の蝶…』の中でも書かれている).

「最後でドンデン返し」というのは,科学分野におけるこれだけの経歴と学識を持つ人物であるにもかかわらず,それを裏切って堂々とこの本の最後で神秘主義を唱えていることである.池澤夏樹氏の書評に遠慮がちに書かれていた通りであった.
 その神秘主義とは,例えば群馬県から沖縄県まで移動するアサギマダラの集団があるとして,その集団には目的地に移動しようという全体意思があると説明しているところである.
 旅をしているのはその全体意思 (著者は「心」と呼んでいる) であって,個々の個体はその物理的要素にすぎないというわけだ.
 なぜそのように考えられるのかは本書では全く説明されていない.「私はそう思う」と言うだけである.

 また著者は,自分が放蝶した個体を何度も再捕獲することに成功しているが,これはアサギマダラの方が著者に会いにくるのだと書いている.そうでなければ,このように確率の低いことが起きることの説明がつかないと.
 だが私達の常識では,起き得ないこと以外は必ず起きるのである.放蝶した本人による再捕獲の確率が如何に低かろうと,実際にそのような放蝶の本人による再捕獲という現象が何度も起きることは否定されない.従ってわざわざ「アサギマダラが著者に会いに来る意志をもっている」と神秘的に考える必要は全くないのだ.

 神秘主義とか反科学主義ならまだわかるが,著者の研究方法は非科学的である.
 普通の論理的思考であれば,似たような行動をとる渡り鳥や回遊魚とアサギマダラとの比較を試みるであろうが,著者は鳥の旅にも魚の旅にも一切触れようとしない.なぜ比較しないのかについて触れようともしていない.非科学的という所以である.

【関連記事】
アサギマダラ (10/6)

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2013年12月19日 (木)

知事 進退窮まる

 

今月15日の記事「知事の手帳」に「猪瀬知事の進退は,そろそろ最終段階かと思われる」と書いたが,昨日,猪瀬知事は辞意を固め,今日にも発表するようだ.
 自民党の高村正彦副総裁はこの日,記者団に対し「五千万円という大金を受け取ったという外形的事実だけで,出処進退を決断するのに十分だ」と述べた.
 つまり湘南鎌倉総合病院の病室で徳田理事長と猪瀬知事が何を相談したかについて,そろそろ内容がリークされて火がつき始めていたわけだが,百条委員会を開けば,その話が出てくる.そうはさせないということだろう.なかなか知恵が働くではないかと感心した.

 ともあれ,これでカジノ大好き政治家が表舞台から一人消えたわけで,ギャンブル嫌いの私はよしよしと思ったところである.

【関連記事】
転落(11/24)
知事の手帳(12/15)

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奇想天外なゆでたまご

 味付ゆでたまごを製造する際に,現在畜舎の消毒などに広く使用されている消毒剤,いわゆる逆性石けんである塩化ジデシルジメチルアンモニウム (DDAC) を使用したとして,盛岡市の鶏卵製造・加工会社「岩手ファーム」の食品加工場を,盛岡市保健所は12月16日,無期限の営業禁止処分とした.
 同社は保健所の調べに対して最初は DDAC の使用を否定していたが,16日に認めたという.
 盛岡市保健所が発表した処分は以下の通り.
公表年月日     2013年12月16日
違反食品名     味付けゆでたまご (ママ)
適用条項      食品衛生法第55条第1項
違反内容      食品衛生法第10条違反
違反食品製造者名  有限会社岩手ファーム
違反商品製造施設の所在地  盛岡市玉山区下田字古河川原65-20
行政処分内容    営業禁止(*)

(*) 有期限である営業停止に対して,営業禁止という行政処分は,当該事業者に改善が見込めない場合に行われる.
 食品衛生法に対する知識がなかったとかであれば期限を定めた営業停止として指導が行われるのであるが,岩手ファームは意図的に DDAC を使用し,かつ使用の事実を隠ぺいするなどして,著しく保健所の心象を損ねたものと思われる.
 また新聞記事から,発覚は内部通報ではないかと推測される.

 このニュースは読売新聞が最初に報じた.一日遅れて朝日新聞.毎日新聞はさらに遅くなってから報道したが,なぜか有料ページに掲載した.
 その時点 (12月17日午前) で岩手ファームのサイトを見てみたが,何も書かれていなかった.

 私は一度しか食べたことがないが,同社の味付ゆでたまごはコンビニ等で販売されている.一部のネット情報では,キヨスクの味付ゆでたまごは岩手ファームのものだと書かれたが,誤解と思われる (キヨスクは回収広告を出していない).
 主要コンビニも,12月17日午前時点では,この事件に関するサイト上でのアナウンスをしていなかった.

 盛岡市保健所の行政処分公表から二日経過した12月18日になって,ようやく岩手ファームは味付ゆでたまごの回収広告をサイトに掲載した.
 回収広告が遅い.遅すぎる.しかも回収広告の日付が実際の公表より一日早い12月17日になっているのが妙である.なにがあったのか.
 以下,製造者である岩手ファームと,回収作業にあたる販売各社のサイトを調べてみた.

岩手ファーム

マルエツ
 JA全農たまごが販売者の商品と,マルエツ自身が販売者のものがある.
 マルエツの回収広告の文章に一部不適切な文言がある.それは《一部商品から、指定外添加物である動物用医薬品(塩化ジデシルジメチルアンモニウム)が基準値を上回って検出された為、商品を回収することになりました》である.
 DDAC はそもそも食品衛生法で使用が禁じられているから回収するのであって,「基準値を上回」っていたからではないのだが,岩手ファームは全国紙各紙の取材に対して,基準値を上回っていたから回収すると答えている.
 これからわかるのは,岩手ファームが最初に回収依頼したのはマルエツで,しかもマルエツは岩手ファームの言い分を鵜呑みにしたということである.
 岩手ファームの回収広告も最初に見たときにはそうなっていた気がするが,記録しなかったので断言できない.

サークルKサンクス
 JA全農たまごが販売者

ユニー
 JA全農たまごが販売者

JA全農たまご
 JA全農たまごが販売者のものと,(株)中島鶏卵市場のものがある.

ローソンおよびローソンストア100
 コンビニ各社の中で,ローソンの回収広告が一番遅かった.

 さて新聞報道では鶏卵をゆでる熱水に添加していたように読める.しかし,ゆでたあと塩味をつけるために卵を食塩水に漬けるが,その食塩水にも添加していた可能性はないのだろうか.
 消毒薬を使って卵をゆでるとは奇想天外であるが,なぜ味付ゆでたまごの製造ラインで DDAC を使用したのか.
 岩手ファームは新聞社の取材に対して「カビ防止の目的で使用した」と言っているが、ちょっと腑に落ちない.販売店で長期在庫するわけでもない味付ゆでたまごにカビ対策をする必要がない.別の理由があるように思われる.
 そこで DDAC の用途だが,鶏舎 (一般的には畜舎) に従業員が出入りするときに,入り口に大きなバットを置き,そこに DDAC の水溶液を入れ,ゴム長靴を消毒するために使う.何を消毒するかというと,サルモネラ菌である.
 また,鶏舎の中でサルモネラが検出されると,鶏舎内部全体に散布されることがある.
 岩手ファームは,鶏舎だけでなく,ゆでたまごを作る加工場もサルモネラ汚染されていたのではないか.そのため,ゆでたまご製造ラインでも日常的に DDAC を使用していたのではないか.サルモネラ汚染のことは言いたくなかったのだろう.そんな気がする.
 岩手ファームは新聞社の取材に「基準値以下ならいいと思っていた」と答えているが,使用禁止なのに基準値なんぞあるわけがない.こういう嘘八百の言い訳をする岩手ファームの恥知らずに呆れるが,それをそのまま記事にする新聞社も新聞社である.

 余談だが,現在既に岩手ファームのサイトは閉鎖されて,回収広告のみが閲覧できる状態にある.
 なぜ閉鎖したかというと,社長が,食の安全がどうのこうのと偉そうに書いていたからだろう.これでは恥ずかしくて閉鎖せざるを得まい.流通からも非難ごうごうに責められたに違いない.
 閉鎖前の岩手ファームのサイトではトップページに,味付ゆでたまご以外の,生卵の取引先としてJA全農,ウインファーム,横浜鶏卵,阿久津食品,キューピータマゴが特記されていた.
 気の毒なのはオムライスで有名な「日本橋たいめいけん」で,「たいめいけんのオムライスはうちの卵です」と誇らしげに書かれてしまっていた.

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2013年12月18日 (水)

犬あれこれ

 最近の毎日新聞に犬の話題がいくつも掲載されていた.
 一つは高齢の犬を飼い主から預かって面倒を見る介護施設「老犬ホーム」の記事 (12月15日) .
 ペットフード協会 (東京) が昨年,五万人を対象にして実施したインターネット調査によると,五十代の21.4%,六十代の18.2%が犬を飼っている.年代別の犬の飼い主は五十代が一位で,六十代は二位だという.
 日本愛玩動物協会 (東京) と東京農工大が十年ほど前に行った調査では,1990~1991年に8.6歳だった犬の寿命は2002~2003年には11.9歳まで延びた.前記のペットフード協会が2012年に調査した結果では約14歳である.
 現在,全国の犬の飼い主の中心は中高年以上であるから,やがて人と犬が共に老いてしまう時期がくることになる.そこで今注目されているのが「老犬ホーム」だというわけである.現在は全国に十数施設あり,これから更に増えるだろうとの見込みという.
 私の愛犬は七歳の小型犬なので,あと十年生きるとすれば,私は七十代の半ばである.私と愛犬とどっちが先に逝くか.私が何としてでもがんばって生きて,愛犬の最後を看取ってあげなければいけない.今日から節制します.はい.

 次は忠犬ハチ公の最後の写真が見つかったという話.(12月13日)
 写真の持ち主が昨年5月に白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に寄贈し,同館で見ることができる.渋谷駅の利用者にかわいがられた犬だったということが写真からうかがわれる.ハチ公は,その写真が撮られてから二ヶ月半後に死んだ.

 鳥取県警の嘱託警察犬に柴犬の小太朗 (雌,二歳) が採用されたというニュースもあった.
 同県警には既にトイ・プードルのカリン (雌,三歳) とフーガ (雌,四歳) がいて,一緒に写真に写っている.いずれもお利口な顔をしている.うちの犬は無芸大食で,飯のときだけ愛想がいい.えらい違いだ.

 先月の記事 (11月15日) だが,フィンランドの研究者らが米科学誌サイエンスに発表した論文によると,犬の起源は欧州なのだそうである.
 これは犬の起源は中東や東アジアだとする従来の説を覆すもので,DNA分析の結果だという.食べ残しを求めて集落に近付いたハイイロオオカミが人になつき,護衛や狩猟のパートナーという役割を通じて家畜化したというが,その「なつく」という行動について,何年か前に竹内久美子氏が週刊文春に連載していたコラムでは,オオカミ (ハイイロオオカミ?) の子供には,ある一定の割合で人間に「なつく」のが出現すると書かれていた.あの説は一体どうなっちゃったんだろう.
 ともあれ,イヌの起源に関わる説もヒトの起源のそれと同じと思われ,新説が現れては消えるのであろう.十年経たないと定説になるかどうかわからない.眉に唾して聞いておこう.

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2013年12月17日 (火)

よくないよ

 ネットのそこらじゅうにある「f いいね!」に違和感がある.
 昨晩(12月16日) の共同通信が配信したニュースで,昨年二月頃から同八月末まで平日のほぼ毎朝,JR鹿児島線千早駅構内のエレベーター内で放尿し機器を腐食させた男が,福岡地裁から男性に全額の支払いを命じられたそうだ.
 これに「f いいね!」をポチった人がいる.よくないが.

 同じく昨夜の J-CASTニュースで,北朝鮮の張成沢氏が,金正恩と正哲兄弟の眺めるなか,旧ソ連の四連装対空(!)機関銃「ZPU-4」で木っ端みじんに粉砕されたあと,肉片は火炎放射器で焼かれたらしいと報じた.この「処刑」には,機関銃ではなく,120匹の飢えた犬が用いられ食い尽くされた説もあるという内容だった.
 これにも「f いいね!」がポチられている.よくないぞ.

 「f いいね!」を押した人に違和感があるのではない.その人は別に「良い話だ愉快愉快」と思っているわけがない.そうではなくて私は,この凄惨な報道記事の画面にも平然と鎮座している「f いいね!」という,へらへらと軽薄な言葉が嫌いなのである.どうにかならんものか.

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訪問ありがとう

 丸一日障害が発生していたココログのアクセス解析が,昨日ようやく復旧した.それで昨日の「リアルタイム足あと」を見てみたら,まだ私が定年前だった五年前に書いた「ハーバーライト」と題した記事を読んでくれたかたがいた.
 それはこんな文章である.

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2008年3月12日
ハーバーライト
 明け方のニッポン放送を聴いていたら,私とほぼ同年のリスナーからのリクエスト曲が流れた.
 そのリスナーは三十九年前に高校を出て上京し,何人かが一緒に六畳間で暮らす勤め先の寮に入ったそうだ.布団にくるまって深夜のラジオを聴いていると,いつも京浜急行のCMがあり,そのCMのバックに流れていたのが,プラターズの“ハーバーライト”だったという.懐かしい歌だ.
 住み処は雑魚寝の独身寮とか四畳半一間の安アパート.すぐそばを京浜急行が走っていればなおいい.夜中に部屋の隅で膝を抱えて,電車の音が聞こえて,ラジオからプラターズの“ハーバーライト”.
 この先,自分がどうなるのか不安だという点では十八の時も今も同じではあるのだけれど,定年後の生活資金が,というのと,自分はこれから何者になっていくのだろうかという不安では大違いだ.青春期の胸ふるえる不安を宝物のように思い出す人は多いだろうと思う.
 “ハーバーライト”を聴いて,朝からセンチメンタルになってしまった.
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 どういう検索の結果で訪問してくれたのかわからないけれど、私が自分でも忘れていたような記事を読んでもらって,少し嬉しかった.

 ちなみにプラターズは,メンバーチェンジやら分裂やらで,1990年代には同名のいくつかのコーラスグループが存在した.今入手できるCDは「本家プラターズ」のものだと思われるが,古いオールディーズ集などに収録されているものはボーカルが異なるものがある.

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2013年12月16日 (月)

いろいろ爆発 その二

 前にも書いたが,中国では軍事といわず民生といわず,様々なところで色々な物が爆発している.例えば広東省広州市の住宅街ではバキュームカーのホースが破裂したという.減圧になっているのに,なぜ破裂するんだ.わけがわからない.
 中でも特に私達がびっくりするのは家庭用品の爆発である.少し古い SAPIO (2011年7月20日号) によれば,最近では洗濯機,冷蔵庫,電気湯沸かし器,電子レンジ,IH調理器,電気あんかなどが火を噴いているという.浙江省のマンションで,シャワートイレ便座が水漏れし,漏電のために便座が爆発した.パソコンや充電器は言うにおよばず,家電では液晶テレビの爆発が目立つと上の SAPIO の記事にある.中国の新聞各紙は「テレビ爆発・自然発火を防ぐ方法」と題した特集記事を組んだほどであるという.日本最大の中国情報サイト Serchina の調査によれば,四人に一人がテレビの爆発を経験しているらしい.

 その他,Serchina のニュースにはスイカ (江蘇省鎮江市や河北省保定市) やトマト (福建省福州市) が爆発して怪我人が出たなんていうのもある.もう意味が分かりません (笑).こうなると八百屋は全店爆発の可能性もある危険物取扱業であるが,畑のスイカやトマトにやたら生長促進薬剤を投与するので,果皮よりも果肉が異常に増大して内圧が高まったせいではないかとの推測がされてはいる.

 湯沸かし器とか石油ストーブの事故は日本でもあるわけで他人を笑っていられないが,中国と日本の違いは,事故を起こした製品の回収が不可避か否かであろう.中国には製造物責任とか消費者保護といった概念は (まだ) ないと思われ,メーカーが「我々に責任はない」「爆発したのは我々の製品ではない,偽物だ」と言い張れば通用すると中国情報通のブログに書かれていたりする.
 法律がだめなら,製造業のマネジメントシステムはどうか.現役の大手機械メーカー社員の岩城真というかたが Serchina に掲載しているコラム『中国調達:中国の ISO9001 認証取得のメリット・デメリット』(ご関心ある向きは検索されたし) によると,中国にも ISO9001 認証機関はある.存在してはいるが,認証機関でありながらコンサルもするというから,そもそも認証機関の体をなしていないようである.

 こういう生活家電の爆発とか,北京の大気汚染の状況 (日本にもかつてそんなことがあった) をみると,中国では政治体制よりも先に国民生活が崩壊しそうな勢いである.
 中国の国民生活がどれだけ突拍子もないことになっているかについて『爆発しないケータイをください、を中国語で言ってみよう』(近兼拓史著;宝島社,980円) という中国語会話の本が先月出版された.
 中に収められた会話例から引用すると,こんな調子である.
「このミカンマークではなく、アップルのiPhone4Sをください」
「iPhone8ではなく、iPhone5sをください」
「あそこで倒れている老人を助けても大丈夫ですか?」

 これはジョーク本であるが,著者によると,その他もすべて実話に基づいた会話例であるという.確かに上のiPhone のパクリの一件はパソコン誌に写真入りで紹介されていたように記憶している.「倒れている老人・・・」は,中国人の心の荒廃云々として日本でも広く報道された事件をもとにしているのだろう.中国の皆さんは難儀なことである.

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2013年12月15日 (日)

回転寿司

 昨日の記事にスシローのことを書いたが,私が前に住んでいた家の近くにスシローがあって,そこの店内は四人がけのテーブル席が主であった.しかもベルトコンベアの上に湯飲みなどを置く棚があり,厨房からは客席が見えない構造になっていた.晒し者になったバカ客の写真を見ると,同じような客席構造のようだ.
 小さい回転寿司ならばカウンター席が多く,これだとバカ客が醤油差しを鼻に突っ込みたくてもコンベアの中で寿司を握っている従業員から丸見えだ.スシローはバカ客の標的になっているのだから,内装工事をやりなおしたらどうかと思う.

 というか,私が以前時々行ったスシローには醤油差しがなく,醤油は小袋入りのものが箱に入れてテーブルに置いてあった.その醤油の小袋は菱形で,鼻に突っ込むと痛い形のものだった.
 急に心配になったのだが,そのスシローは大バカ野郎が醤油差しを鼻に入れたのを捕まえたことがあったんじゃないか,そして菱形醤油小袋はその対策のような気がしてきた.でも,この対策は鼻くそ醤油差しには有効であろうが,しゃぶられたら無効だ.うう.

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知事の手帳

 一昨日の日刊ゲンダイが,猪瀬直樹都知事は手帳記録魔であるとの記事を載せていた.
 この記事の根拠は,2007年発行の『人生を変える手帳術』(朝日新聞出版) に書かれている猪瀬知事本人へのインタビュー記事である.

 『人生を変える手帳術』には,知事が使っているのはスケッチブック大の無印良品の週間カレンダーであること,これを十年間も愛用していること,これまでの毎年使用した手帳はすべて保存してあることが紹介されているという.
 そしてこの手帳には,知事が誰に会って何をしたか,いつ誰から電話がかかってきたか,など知事の行動と,その日一日の出来事が細大漏らさず記録されているそうだ.明日以降の都知事追求で,この手帳の存在を取り上げる議員がいるのではないかと思われる.これまでの「記憶にない」という答弁はもう通用しない.

 何についてもそうだけれど,事実をそのまま語っているなら何度発言してもブレることはない.ブレるのは事実でないことを発言するからで,言ったことをあとで訂正するのは,辻褄合わせが周到でないからである.また辻褄を合わせようにも,前述の知事の手帳の中身は個人事務所のスタッフと共有されているらしいから,自分一人では辻褄合わせが容易でないこともあろう.この手帳の件,全国新聞各社は傍観を決め込むだろうが,週刊誌が知事スタッフに張り付いたら一たまりもない.猪瀬知事の進退は,そろそろ最終段階かと思われる.

【関連記事】
転落(11/24)
知事 進退窮まる(12/19)

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2013年12月14日 (土)

雑多感想 12/14

(一)
 最近の読売新聞の記事で目を引いたのは,飼い猫二十匹と野良猫約百匹,合わせて約百二十匹を飼っていた男が,餌代に困って空き巣を繰り返し,ついに12月11日,大阪府警に逮捕されたというもの.
 この男の窃盗回数は約90回で (本人の供述) ,明らかになっている範囲では昨年九月からの一年間に現金やアクセサリーなど32件 (総額1920万円) にのぼる.窃盗の理由は「猫を抱くのが至福の時だった」からであるという (「」内の表現は新聞によって微妙に異なる).
 私も生き物好きなので,この男の気持ちがわからないではないが,普通はどこかで歯止めがかかる.金がなくなったから止めるとか,家中猫だらけになったので止めるとか.
 男が無罪放免になるとは思えない.このあと残された飼い猫二十匹のことを思うと胸が痛む.

(二)
 10日発売の週刊誌「女性セブン」が,千葉県産トウモロコシから放射性セシウムを検出したとの記事を掲載した.千葉県が発行元の小学館の相賀昌宏社長宛てに抗議文を送ったところ,毎日新聞 (年10月21日) によれば《女性セブン編集部は「次号で訂正、おわびを掲載する予定」と謝罪するコメントを出した》そうである.新潟県や青森県からも抗議があったという.
 この週刊誌は取材なしに憶測で記事をでっちあげるのに慣れきっているのだろう.デタラメは皇室記事だけにして,社会ネタに手を出さぬほうがよろしい.

(三)
 回転寿司のスシローで,客が醤油差しの注ぎ口を鼻の穴に突っ込んだり (男),口に咥えたり (男一人,女一人) しているところを写真に撮り,ネットにアップする事件が続いている.そのうちの一人が身元を晒された.スシローを標的にした最初の事件は,客の顔が写っていなかったのではないかと思うが,今度は顔のアップ写真だ.これで身元が割れないはずがない.身元を晒されて人生を棒に振ることがわかっていて,どうしてこんなことをするのか,私のような爺さんには理解できない馬鹿者達である.

(四)
 航空会社スカイマークは,来年三月から導入するエアバスの大型旅客機 A330 の第一号機を公開した.それはいいが,同時に客室乗務員の新制服も発表し,これが懐かしの超ミニワンピ.三月から半年間着用する期間限定の制服だというが,期間限定の意味が新聞報道からはよくわからない.ビジネス客への A330 就航記念サービスなのかしら.私には関係ないが,新聞に載っている客室乗務員さん達の画像をみると,なんだかレトロ感がある.

(五)
 今日の買い物.
  堀井憲一郎『いますぐ書け、の文章法』
  同『ディズニーから勝手に学んだ51の教訓』
  同『江戸の気分』
  薬師丸ひろ子『時の扉』
 このCDは彼女の愛唱曲を収めたものらしいとの説あり.収録曲は以下の通り.『我が母の教え給いし歌』『仰げば尊し』『故郷』『浜辺の歌』『椰子の実』『I'll Be Home For Christmas』『冬の星座』『秋の子』『Look For A Star』『黄昏のビギン』『夢で逢えたら』『セーラー服と機関銃』  (ボーナス・トラック) 『You Raise Me Up』

【追記】
 薬師丸ひろ子『時の扉』で残念なことが一つ.唱歌を歌うときに息継ぎの音が強く入りすぎ.同じ歌でも,安田祥子・由紀さおり姉妹の歌唱では全く気にならないのであるが.
 『セーラー服と機関銃』は,このCDのセルフカバー・バージョンよりデビュー当時のオリジナルの方がよい.『夢で逢えたら』は,これはもう文句ない文句ない.これを聴いて文句あるやつは出てきなさい.

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2013年12月13日 (金)

豆腐つながりの新聞コラム

 昨日は小津安二郎の誕生日にして命日だった.今年は没後五十年である.それで12月12日の朝日新聞『天声人語』は,小津安二郎『東京物語』を取り上げていた.(冒頭から余談であるが,グーグルのトップページのイラストも『東京物語』の一シーンだったのには感心した)
 そのコラム中に小津の「おれは豆腐屋だから豆腐しか作らない」という言葉が出てくる.これは何かに書いてあったのを読んだ覚えがあるのだが,思い出せない.ネットを調べてみたら,『人間臨終図鑑』(山田風太郎) に「おれは豆腐屋だ。がんもどきや油揚げは作るが、西洋料理は作らないよ」とあるのがわかった.そうだそうだ,これは『人間臨終図鑑』に出ていたのだった.随分前に読んだものだったので,すっかり忘れていた.
 さてしかし,これと『天声人語』の記述とが食い違っているのはどうしてだろう.『天声人語』と『人間臨終図鑑』が引用した大もとの資料があって,どちらかが不正確な引用をしているのだろう.どっちが正しいかといえば,私は山田風太郎の肩を持ちたい.「豆腐しかつくらない」と「がんもどきや油揚げは作るが、西洋料理は作らないよ」とでは,後者の方が信憑性があるように思える.なぜなら『人間臨終図鑑』には,このあと冗談好きの小津がガンを発病したときに「これでおれも一人前の豆腐屋になれたよ。ガンもどきを作ったんだからね」と言ったという記述があるからである.これが山田風太郎の創作とは思われない.

 豆腐つながりというか,毎日新聞の『余録』の書き出しも豆腐だった.ただしこちらは小津安二郎ではなく,江戸時代の料理本『豆腐百珍』をネタにして,例の「和食」が世界遺産に登録されたことについてであった.「季節の移ろいを表現する」のが「和食」の登録理由だから,湯豆腐がいい.あるいは冬野菜を使って鍋料理を楽しむのが和食の伝統であると書いている.
 それで思い出したことがある.私が懇意にして頂いたある大学の教授は,私よりも一世代年上で,農家の生まれであった.先生が物心ついてから大学に入るまで,先生の家では一年中囲炉裏に鍋がかけてあって,冬の囲炉裏鍋の中身は大根の汁だったという.毎日毎日,朝も昼も夜も,その大根汁をおかずのようにして飯を食ったとのことである.大根の季節が終わると,タケノコを煮たのが毎日のおかずになった.夏になれば今度は,というわけで毎年毎年同じローテーションが繰り返された.確かに先生の家の食事は,鍋の中身が「季節の移ろいを表現」していたと言えば言える.しかし「江分利さん,今の時代は,昨日と違うものを今日食べられて,幸せな世の中になりましたねえ」と先生が語ったのを思い出す.
 私はといえば,小学生の頃の朝飯は一年中納豆だった.夜はなにか煮物のようなものを毎日食べていたのだが,よく覚えていない.一年中同じものを食べていて,季節の移ろいもへったくれもない.それが昭和の前半のことだった.
 昭和三十年代後半以降の中学高校時代になって,ようやく鮭や秋刀魚,鯵などの焼魚が食卓に登場したが,それは「鯵が旬だから食べよう」ではなく,出回る季節には干物が安くなるからであった.安い魚がない時季には夕飯に肉屋のコロッケなんかを食べていた.朝飯は相変わらず納豆だったが.(笑)
 ちなみに私は大学三年生の一年間,賄い付きの下宿にいたのであるが,この下宿の主人である老未亡人は,しょっちゅう鯖の味噌煮を拵えては下宿人達に食わせた.私は普通の人の一生分くらいの鯖味噌煮をその一年で食ったので,もう食べたくない.

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2013年12月12日 (木)

「和食」とはなにか その三

 12月9日に書いた記事の続き.
 農水省のサイトに掲載されている『和食ガイドブック』について,少々長いが、突っ込みどころを以下に引用しながら補足しておく.《》は同ガイドブックからの引用である.

《「和食」には、おかずと汁と漬物でご飯を食べる「一汁三菜」という基本的な組み合わせがある。これは主食であるご飯をおいしく食べるために工夫された様式だ。またこれは、ご飯とおかずを合わせて食べて、味わうという特徴を生み出した。「和食」は、このかたちをベースにしながら継承されてきた》

 『和食ガイドブック』の最大の問題は,同ガイドブックが「和食」について論じる際,上の記述のように「いつの時代の」「どの階層の人々」の食事に関することかを明示せずに書かれている点である.ある時は富裕層の食事について述べ,またある時は一般庶民の食事について書き,さらには時代による変化も無視して論じている.農水省のいうところの「和食」は,鎌倉時代に成立してから今日に至るまで,上から下まで皆同じような食事をであったかのように読み取れる.ガイドブックは論文ではないから根拠とする資料を示せとまではいわないが,それならそれでガイドブック本文を読めばわかるように書くのがあたりまえであろう.

《日常の食事である一汁三菜に対して、江戸時代によく登場するのは二汁五菜。つまり汁が二種に菜が5つ。これが昔のおもてなし料理の基本で、お膳もふたつ出た。いいかえると一汁三菜はひとつのお膳に載る、ふだんの家庭の食事であることがわかる。》
《一汁三菜という和食の基本型がなくなったら、外国の料理と変わらなくなってしまうだろう。》

 これについては Wikipedia 【一汁一菜】が妥当な見解を示している.『和食ガイドブック』は「一汁三菜はふだんの家庭の食事である」としているが,実は Wikipedia 【一汁一菜】にあるように,武士でも庶民でも日常の食事は一汁一菜,またはそれどころか飯・汁・漬物が普通の構成だった.一汁三菜はハレの日の食事だったのである.『和食ガイドブック』が何を根拠に「江戸時代は一汁三菜がふだんの家庭の食事であった」としているのか理解に苦しむ.
 元国会図書館専門調査員・渡辺善次郎氏 (現在都市農村関係史研究所主宰)(*) が書かれたものによれば,飯と汁と菜の三要素からなる「和食」という食事が成立したのは江戸時代の中頃であり,武士でも町民でも一汁一菜であった.それ以前はというと,雑穀に野菜を入れて煮た雑炊を一日二回食べていた (石田三成の家来の娘が書き残した資料による).日常食には「菜」という概念がなかったのである.『和食ガイドブック』は,実際にはハレの食事であった一汁三菜を,無理矢理に日常食だと言い張っているのである.
  (*) 主著:『聞き書・東京の食事』『巨大都市江戸が和食をつくった』『近代日本都市近郊農業史』

《一汁三菜の献立の最大の特徴は、汁も香の物も菜も、すべてご飯を食べるために存在するという点かもしれない。ご飯が主食で、その他の3つの要素が副食という考えが一汁三菜の根底にある。少ない菜でたくさんのご飯を食べ、ご飯の量でカロリーの摂取量を調整するのが、かつての和食の基本的な食べ方だったのだ。》
《米、麦、雑穀などを炊いたご飯を主食として、これに魚介・肉類、野菜類に発酵調味料、だしを組み合わせた和食は、栄養学的にみてもバランスをとりやすい食事である。歴史的にみると、日常食では主食を大量に摂る習慣が続いた穀類偏重の食生活だったといえよう。》

《和食は、栄養学的にみてもバランスをとりやすい食事である》と書きながら,歴史的に日本人の食事は栄養バランスのとれない穀類偏重の食生活だったと自ら書いている.こうなるともう支離滅裂と言うしかない.飯に魚介や肉類と野菜を組み合わせた一汁三菜が日常の食事だったとすれば,歴史的に穀類偏重の食事が行われてきたはずがないではないか.この引用箇所を日本語として意味が通るようにするには「和食は,栄養学的にみればバランスをとりやすい食事の形式ではあるが,実際には,歴史的にみると、日常食では主食を大量に摂る習慣が続いた穀類偏重の食生活だったといえよう」と書かねばならない.

《1980年頃までは、多くの家庭で和食の基本型が続いた。主食の量がやや減り、副食が増加、とくに乳・乳製品、肉類の割合が増加した。この頃、栄養バランスをはかる一つの指標であるPFCバランスが理想的な比率を示した(左記参照)。しかし、その後、外食の日常化、家庭料理の欧米化が進み、米の摂取量が激減し、脂質摂取の過多などから、生活習慣病が問題となった。》

 『和食ガイドブック』作成者の「和食」賞賛の意図に反して,ここで書かれているように,1980年頃から外食の日常化と家庭料理の欧米化,すなわち「和食」離れが進行していく過程でようやく,一定の期間のことではあるが,日本人の食生活において理想的な栄養バランスが達成されたのであった.そしてそれは,『和食ガイドブック』が「和食の基本形」としている一汁三菜という形式によってではなく,食事内容の変化つまり《乳・乳製品、肉類の割合が増加した》ことによる.富裕層以外の国民にとって「和食の基本形」は《穀類偏重の食生活》であり,貧相な体格と短寿命の原因であったのである.
(続く かも知れない)

【関連記事】
三里四方に          2008年3月20日

「和食」とはなにか  2013年10月25日

「和食」とはなにか その二  2013年12月9日

「和食」とはなにか 番外編  2013年12月22日

永山久夫氏の主張  2013年2月5日

「和食」とはなにか 番外編の二 2014年4月30日

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2013年12月11日 (水)

薩摩醤油の今

 ずっと前のこと,某新聞社の妄想系掲示板と私が呼んでいるネット掲示板に「九州の醤油はどうして甘いのか」という趣旨の質問トピが立った.私はそのトピに,薩摩醤油と琉球の砂糖との関係とか,薩摩藩による欧州への醤油輸出など歴史的事情についてレスを付けた.ところがしかし,トピ主と何度かやり取りして,なかなか良いトピになったと思ったとたん,何が掲示板検閲者の機嫌を損ねたのか知らないが,トピ丸ごと削除されてしまった.
 昨日そんなことを思い出したものだから,歴史的な意味での薩摩醤油の製造法はもはやわからないとしても,現在製造されている薩摩醤油の製造法はどうなっているか,原材料を調べてみた.
 現代の薩摩醤油には自称「老舗」がいくつかある.それらは怪しからぬことに自社サイト上に原材料を全く書いていないか,「原材料についてはお問い合わせください」などと書いている.なにか秘伝のレシピでもあるのだろうか (笑).
 そこで原材料表示を明らかにしている製造者または販売者の製品限定ではあるが,調べた結果を以下に列挙する.(書かれているそのままを引用したので表記に不統一の点がある)

【A】
原材料;脱脂加工大豆・小麦・食品(註)・アミノ酸液・砂糖・調味料 (アミノ酸等)・カラメル色素・甘味料 (甘草・ステビア・サッカリンNa) 保存料 (パラオキシ安息香酸)・ビタミンB1   (註)食塩の誤りであろう.

【B】
原材料;糖類 (果糖ぶどう糖液糖,砂糖),脱脂加工大豆,小麦,食塩,アルコール,調味料 (アミノ酸等),甘味料 (ステビア,カンゾウ),カラメル色素,ビタミンB1

【C】
原材料;アミノ酸液,食塩,脱脂加工大豆,小麦,果糖ぶどう糖液糖,アルコール,カラメル色素,調味料 (アミノ酸等),甘味料 (サッカリンNa,ステビア,甘草),ビタミンB1

【D】
原材料;アミノ酸液,砂糖・ぶどう糖果糖液糖,脱脂加工大豆,小麦,食塩,発酵調味料,調味料 (アミノ酸等),酒精,カラメル色素,甘味料 (ステビア,サッカリンNa,カンゾウ),ビタミンB1 (原材料の一部に小麦・大豆を含む)

 一方,東日本や関西地方でメジャーな醤油の原材料は次の通りである.

【E】商品名「キッコーマンしょうゆ」(キッコーマン株式会社)
原材料名;脱脂加工大豆 (遺伝子組換えでない),小麦,食塩,大豆 (遺伝子組換えでない),アルコール

【F】商品名「こいくちしょうゆ」(ヒガシマル醤油株式会社)
原材料;小麦,食塩,脱脂加工大豆 (遺伝子組換えでない),大豆 (遺伝子組換えでない),アルコール

【G】商品名「うすくちしょうゆ」(ヒガシマル醤油株式会社)
原材料;食塩,小麦,大豆 (遺伝子組換えでない),脱脂加工大豆 (遺伝子組換えでない),米,ぶどう糖,小麦たんぱく,アルコール

 こうしてみると,現代の薩摩醤油 (A,B,C,D) と一般的な醤油 (E,F,G) では原材料が全く異なることが一目瞭然である.
 まず【A】は,調味料 (アミノ酸等),カラメル色素,甘味料 (甘草・ステビア・サッカリンNa),保存料 (パラオキシ安息香酸),ビタミンB1 など食品添加物のオンパレードである.
【B】は,一番使用量の多い原材料が「糖類(果糖ぶどう糖液糖),砂糖)」というから驚く (「果糖ぶどう糖液糖」は簡単にいうと水飴のこと).これはもう,ほとんどシロップに醤油が混合してあるものといっていい.主原料が水飴と砂糖なのに,さらに甘味料 (ステビア,カンゾウ) を添加しており,どれだけ甘くすれば気が済むのか理解に苦しむ.
 また,保存料こそ使用していないが,日持ち向上剤である「調味料 (アミノ酸等)」を使用している.笹団子の記事でも書いたが,この「調味料 (アミノ酸等)」の主成分はグリシンで,特有のいやな味がする.
【C】と【D】の特徴は,最も使用量の多い原材料がアミノ酸液であることだ.アミノ酸液とは,大豆や小麦を塩酸で分解し,水酸化ナトリウムで中和したものである.
 第二次世界大戦前後の食糧不足の時代に,醤油の醸造に必要な原料である大豆や小麦の入手が困難となったため,魚介類などの雑多な原料を分解してアミノ酸を作り,これに醤油粕の絞り汁等で風味を付けたものが作られた.本来の醤油とは全く異なるもので,これを代用醤油という.【C】と【D】はこの代用醤油の直系子孫である.(詳しくは Wikipedia【代用醤油】 参照)

 こうしてみると,キッコーマンやヒガシマルはさすがである.きちんと醤油作りをしている.
 私は,着色料等を除いて食品添加物の使用を肯定するものである.しかし食品添加物の使用によって得られるメリットは,その食品のおいしさとトレードオフの関係にあると考える.使わずに済むものなら使わぬほうがよい.
 キッコーマンやヒガシマルが,保存料やグリシン,甘味料,カラメル色素等を使わずに醤油を製造できている以上,食品添加物を多用する現代的薩摩醤油のメーカーは技術的に劣っていると断定してよい.技術的に劣る製造者の製品がおいしいわけがない.

 私がネット検索して調べた現代の薩摩醤油は,あまりにもひどい.鹿児島には,こんなシロップに代用醤油を混ぜたような代物ではなく,伝統的な薩摩醤油を作っている製造者はいるのだろうか.いると信じたいが.

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2013年12月10日 (火)

私のクリスマスソング

 昭和三十年代に少年時代をすごし,四十年代は貧乏学生,五十年代は安サラリーマンだった私には,クリスマスという日本の年中行事は無縁のものだった.年末の繁華街を楽しげに歩く皆さんを,ただ横目で羨ましく見ていたのであった.
 そんなことを思い出しつつ昨日の日曜日,買い物に街中にでたのだが,商店街が大変静かだったので「?」と思った.いわゆるクリスマス・ソングが流れていないのだった.

 大昔はクリスマス・ソングといえば『ジングル・ベル』と『ホワイト・クリスマス』だった.日本人はそれしか知らなかったのだろうと思う.それが次第にレパートリーが増えて,『赤鼻のトナカイ』とか『サンタが街にやってくる』『ママがサンタにキスをした』など色んなのが年末商店街で流れるようになった.この頃は日本が右肩あがりの時代だった.
 そしてバブル経済(1986~1991年) の直前にリリースされ,やがて商店街クリスマス・ソングの頂点に立ったのが山下達郎の『クリスマス・イブ』(1983年) であった.そのリリースから五年後,人々が好景気の雰囲気を感じ始めた1988年のまさにその時,『クリスマス・イブ』はJR東海「ホームタウン・エクスプレス」のCMソング (X'mas編) に採用され,《1989年12月にはオリコンシングルチャートにて、30週目のランクインで1位を獲得》 (Wikipedia【クリスマス・イブ (山下達郎の曲)】から引用) し,単にクリスマス・ソングとしてではなく,バブル経済期を代表する曲の一つとなったのであった.

 さてバブル期のヒット曲『クリスマス・イブ』が,CM中で遠距離恋愛する恋人達が再会するシーンの背景に流れていたのに対して,バブル経済が終わった直後にリリースされた稲垣潤一『クリスマスキャロルの頃には』は,恋人達の別れを歌った.それ故,高揚感から程遠い『クリスマスキャロルの頃には』は,クリスマス商戦には全然使われなかった.そしてそれ以後,大したクリスマス・ソングのヒット曲は出ていない.

 というような訳知り顔の解説をしつつ,クリスマスに無縁だった私が選ぶクリスマス・ポップスのベストスリーはこれだ.

Bing Crosby “White Christmas” (*1)
The Jackson 5 “I saw Mommy kissing Santa Claus” (*2)
Connie Francis “Baby's First Christmas” (*3)

(*1) 音源としては1942年に録音されたものが残っているが,現在流布しているのは1947年に再録音したもの.“White Christmas” は,第二次世界大戦下のラジオリスナーの共感を得て,米軍放送にはリクエストが殺到したという.
1975年4月30日にベトナム戦争の最終局面でサイゴンが陥落した際、米国関係者などを撤退させるフリークエント・ウィンド作戦において、米軍放送は、米国関係者にサイゴンからの撤退を促す暗号放送として、予め告知されていた天気予報のメッセージとともに、クロスビーの「ホワイト・クリスマス」を、陥落前日の29日から頻繁に放送した》と Wikipedia【ホワイト・クリスマス (曲)】にある.
 こんな話を聞くと還暦過ぎの皆さんは映画『史上最大の作戦』を思い出すのではないか.第二次世界大戦における連合国軍のノルマンディー上陸作戦 において,連合国軍は全欧州の対ドイツレジスタンスグループに向け,上陸作戦の予告と作戦開始の暗号として,BBC 放送を用いてヴェルレーヌの『秋の歌』第一節の前半,すなわち「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」と,『秋の歌』第一節の後半「身にしみて ひたぶるに うら悲し」を放送した.ドイツ国防軍情報部はこの放送を傍受し,各方面に警報を発したが《西方軍集団司令部参謀長ギュンター・ブルーメントリットは「商業ラジオで作戦を予告する軍司令部など、この世にあるはずがない」と、この情報を無視した》という (Wikipedia【ノルマンディー上陸作戦】から引用).
 サイゴン陥落前日,ベトナムのラジオから流れる “White Christmas” を人々はどのように聴いたのだろう.私の書架には,買ったままになっている牧久著『サイゴンの火焔樹』がある.サイゴン陥落時のこの放送のことは書かれているのだろうか.
 ちなみに,山下達郎の『クリスマス・イブ』のシングルCDには,『ホワイト・クリスマス』がカップリングされているというが,私は持っていない.

(*2) 原曲は1952年リリース.たくさんの歌手がカバーしているが,クリスマスの商店街で流れているのは,まず The Jackson 5 のものと思われる.

(*3) 現在入手可能なコニー・フランシスのベスト盤CDには収録されていない.私が持っているCDでは,『クリスマス・イン・マイ・ハート 』に入っている.これはまだ中古品が手に入る他,オムニバスの『ベスト・クリスマス100 』(USMジャパン) にも収録されている.しかし “Baby's First Christmas” だけならリマスター版の MP3 がダウンロード販売されているので,こっちがよいだろう.

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2013年12月 9日 (月)

「和食」とはなにか その二

 10月25日に書いた記事の続き.
 先月12日,農水省のサイトに『和食ガイドブック』というコンテンツが掲載された.一読して驚いたので,その冒頭の記述を《》に引用する.

日本人でいながら、あまり考えてこなかったけれど、「和食」ってなんだろう? 家庭で食べる和食といったら、ご飯とみそ汁、おかずと漬物。町の食堂の焼き魚定食も和食。カレーライスや寿司もご飯が中心だから和食のひとつだろう。麺類も餅も和食の中に入るだろう。伝統的な和食の世界はとても広い。

 先に無形文化遺産に登録申請したとき,政府は以下のように言ったはずだ.

「和食」の特徴
* 多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
 日本の国土は南北に長く、海、山、里と表情豊かな自然が広がっているため、各地で地域に根差した多様な食材が用いられています。また、素材の味わいを活かす調理技術・調理道具が発達しています。
* 栄養バランスに優れた健康的な食生活
 一汁三菜を基本とする日本の食事スタイルは理想的な栄養バランスと言われています。また、「うま味」を上手に使うことによって動物性油脂の少ない食生活を実現しており、日本人の長寿、肥満防止に役立っています。
* 自然の美しさや季節の移ろいの表現
 食事の場で、自然の美しさや四季の移ろいを表現することも特徴のひとつです。季節の花や葉などで料理を飾りつけたり、季節に合った調度品や器を利用したりして、季節感を楽しみます。
* 正月などの年中行事との密接な関わり
 日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。

 上に記した四条件が「和食」の特徴であると国民に説明したはずである.それなのに一転して今度は《町の食堂の焼き魚定食も和食。カレーライスや寿司もご飯が中心だから和食のひとつだろう。麺類も餅も和食の中に入るだろう。伝統的な和食の世界はとても広い》と言うのだ.
 上記《「和食」の特徴》で述べている《一汁三菜を基本とする》食事スタイルは,日本人の一部階層の食事スタイルとして一時期に成立し得たものであり,今ではほとんど消えつつある食生活のワンシーンである.そこには《町の食堂の焼き魚定食》や《カレーライスや寿司》《麺類》《》の入る余地はない.そのことに気がついた政府は,慌てて前言修正を図ったようだ.
 また,『和食ガイドブック』の中の記述で,いわゆる「日本型食生活」を「和食」と区別して書いておきながら,米飯を採用した学校給食の献立を「和食」として取り上げている.例としてあげられている献立を見ると,揚げ物や乳製品が入っていて,しかも一汁二菜である.学校給食の献立は,成長期の学童を対象にした「日本型食生活=和洋折衷」の一典型であるが,しかしこれは当然ながら政府がいうところの「和食=一汁三菜を基本とする日本の食事スタイル」ではない (栄養のことを考慮すれば,学校給食は和洋折衷が優れている) .
 すなわち無形文化遺産に登録した「和食」と,『和食ガイドブック』に書かれている「和食」が異なっている.無形文化遺産の「和食」にはカレーライスが含まれないが,『和食ガイドブック』はカレーライスは《ご飯が中心だから和食》だと言う.その論理なら栄養バランス崩れまくりの日本的ジャンクフードである牛丼も和食だ.香港の粥麺専家のメニューである中華粥も,ドリアもチャーハンも,ドイツのミルヒライスもスペインのアロス・コン・レチェも「和食」になってしまう.一体何を考えているのか.無定見もここに極まれり,といえよう.同じ文書に関して,諸外国向けの説明と国内向けの説明を二つ用意するのは我が政府の常套手段ではあるが,ユネスコに二枚舌を使ってどうするのか.

 農水省は,『和食ガイドブック』の記述に従って「和食」紹介リーフレット英語版に,カレーライスと牛丼と立ち食い蕎麦 (註) と,サラリーマンのガッツリ昼飯の定番「カツ丼と盛り蕎麦セット」を掲載せよ.ユネスコが腰を抜かすであろう.

(註) 植木不等式氏はこれを「サラリーマンの三大栄養素」と呼んだ.(笑)

【関連記事】
三里四方に

「和食」とはなにか 

「和食」とはなにか その三 

「和食」とはなにか 番外編  

永山久夫氏の主張

「和食」とはなにか 番外編の二

【参考資料】 農林水産省「我が国の食文化

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2013年12月 8日 (日)

雑多感想 12/8

(一)
 森山愛子という若い歌手を最近知った.早朝のTBSラジオ番組の「今週の推薦曲」として『忘れないで』が毎日流れたのを聴いたのである.なかなかいいバラードなので,他にどんなのを歌っているのか You Tube でを探したら,驚いたことに森山愛子は「こぶし」をグリグリ回す演歌歌手だった.自身がレギュラー出演者であったテレビ番組で,ゲスト出演していたシンディ・ローパーを前にして童謡『あかとんぼ』をド演歌調にして歌った場面が You Tube に載っているが,これはローパーが賞賛したと Wikipedia に書かれている.
 いわゆる演歌歌手が全国に何百人いるか知らないが,バラードを「こぶし」の呪縛から逃れて自由に歌える歌手は数少ない.あの坂本冬美ですら,ビリーバンバンをカバーした『また君に恋してる』を,「演歌」にしてしまった (あれはあれでいいけれど).
 夏川りみだって元々は演歌歌手だった.森山愛子も夏川りみのような歌手になれるかも知れない.それには,他の人のカバーでいいから,もう演歌を歌わずにいくことだと思う.あと,一曲歌い終えるごとに口角を上げてニッコリ笑うのはやめたほうがいい.それは演歌歌手の暗黙のお約束事項だからである.
 演歌のお約束は他にもあって,歌い終えて右斜め上方に遠い目をして,それから視線を正面に戻し,声に出さずに口の動きだけで ありがとうございます と言いながらお辞儀をするってのもあるが,それだけはしちゃだめ.それはカラオケボックスで演歌を歌うときに使われるギャグだからね.

(二)
 一部報道の報道で生活の党の小沢一郎代表は,少数党に転落して以降,政治資金の調達に苦しんでいると書かれていたが,昨日の新聞報道では昨年の国会議員の資金管理団体と政党支部の収入合計で小沢氏が首位であった.資金管理団体名義の不動産を売却して資金を捻出したことなどがその理由だという.二位が亀井静香,三位に安倍晋三と続く.

(三)
 十月に亡くなった やなせたかし さんにロングインタビューした本『ぼくは戦争は大きらい−やなせたかしの平和への思い』が今月21日に刊行される.私は Amazon で予約注文したが,これを買って読むのは私達年寄りだけなんじゃないかという気がする.

(四)
 先日の記事「LED人柱」の【追記】に《この選択は失敗であった.六畳間に 810ルーメン x 2灯では暗すぎた.さらに,ホーローのシェードは,シェードよりも上の方には光が行かないから,天井と壁の上部は暗い影になる.ある意味で懐かしの昭和が再現されている.ま,いいか.》と書いたが,Panasonic LED 電球/一般電球タイプ/広配光タイプ/10.0W (電球色相当)/E26口金/電球60W形相当/810 lm/型番 LDA10LGK60W ではどうにも部屋が陰気くさいので,東芝 E-CORE LED 電球/一般電球形/10.6W/光が広がるタイプ/白熱電球60W相当/1000ルーメン/昼白色/型番 LDA11N-G に交換した.(商品説明は Amazon から引用)
 東芝製に交換してどうにかマシになったが,机で字を書いたりするには,まだ手元が暗い.それで,外した Panasonic の LED 電球を電球式のスポットライトに装着して,手元照明用に使うことにした.
 LED 電球の商品説明には「電球60W形相当」などと書かれているが,これは消費者をミスリードするものだと思う.蛍光灯との対比で表現しないと,消費者に選択を誤らせることになるだろう.例えば LED 電球に代える前に30W蛍光管を二本使用していたリビングルームの場合は,東芝 E-CORE LED 電球(1000ルーメン) を三個使用してやっと同等の明るさになると思われ,従って LED 電球に代えると消費電力は半分になるが,コストパフォーマンスは LED 電球が著しく悪い.家庭の照明用としては LED 電球は暗いが,その将来も暗いと思う.ただし,バーとかレストランとか,照明によってできる陰影を演出にうまく使えるシーンには適していると思われる.部屋をオサレにしたい向きは検討の価値あり.書斎には向かない.

(五)
 「某新聞社の妄想系掲示板」と私が呼んでいるネット掲示板に,政府主導で和食が無形文化遺産に登録されたことについてのトピが立っている.
 そのレス中で「どこにでもいる主婦」というハンドルの人が一汁三菜の例として次のような献立を挙げている.

 大根の味噌汁 鯵の干物 漬物か納豆 青菜の和え物 米

 この主婦は,米を炊いて飯にすることなく,米をそのままボリボリ食うようだが,それはさておき,漬物は「菜」のうちに入らないということを知らないのが情けない.一汁三菜は鎌倉時代に始まるとか講釈は一人前なのだが.
 昨今,教養という言葉は大変に評判がわるいのであるが,それにしてもこれだけ無教養だと,この掲示板なら偉そうなレスをつけることは可能だが,一般社会では恥をかくことが多いのではないか.

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2013年12月 7日 (土)

The Tennessee Waltz

 著名人の訃報の今年最初はパティ・ペイジだった.享年八十五.Wikipedia によると《1月1日,カリフォルニア州で死去》だが,日本に伝えられたのが何日であったかよく覚えていない.

 私が育った家は貧しかったが,それでもラジオくらいはあった.近所に父親の同僚でラジオ作りを趣味にしている人がいて,その人に製作してもらったものである.昭和三十年代だというのに,その人の家にはオシロスコープやテストオシレータ (今思い出せば,の話で,当時小学校低学年の私に機器の名称がわかろうはずもないが) があったのだから大したもので,たぶん軍隊ではそっち方面の技術者だったのではないか.このラジオは,後に私が中学生のときに分解してしまったのであるが,MT管の五球スーパーで,なかなか良い感度のものであった.ちなみにAMラジオは,「感度がいい」とは雑音が少ないことを意味していて,すなわち「いい音」なのである.
 さてその高感度ラジオから時折流れていた洋楽で,今もうっすらと記憶にあるのがパティ・ペイジの“The Tennessee Waltz”(1950年) と“Mockin' Bird Hill”(1951年) である.
 日本では,まだ流行歌とか歌謡曲という言葉が使われていた時代だから,この二曲とパティ・ペイジの歌唱は強く印象に残った.アメリカ人の歌ってこういうのなんだ,と田舎の小学生は思ったのである.

 日本の歌手で“Mockin' Bird Hill”をうまく歌えた歌手は雪村いずみだけだろう.これに対して“The Tennessee Waltz”は,ブログで江利チエミのカバー曲を推している人が多い.Wikipedia にも《日本では1952年、和田壽三の訳詞によって江利チエミが歌唱したものが最も有名である。当時14歳だった江利チエミはデビュー曲として本楽曲を唄って40万枚を売り上げる大ヒットとなり、江利チエミの代表曲になった》と書かれている.しかし江利チエミは英語の発音が中学生並だったので,彼女が歌ったのは“The Tennessee Waltz”のカバーではなく「テネシー・ワルツ」という歌謡曲なのであった.子供心に「なんだこのヘンな歌は」と思ったものである (ただし,今にして思えば「テネシー・ワルツ」の歌詞は原曲から遠く離れた滅茶苦茶なものであるが,その歌詞中で「歌う」を「ウトウ」と発音している江利チエミはほめられてよい).

 パティ・ペイジの曲は You Tube に《The Tennessee Waltz - singer Patti Page 1950》というタイトルでアップされたものがとてもいい.テレビ番組を録画したものであろうか.レコードジャケットなどの写真に残っている彼女よりもずっと美しく,お勧めである.

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2013年12月 6日 (金)

もっと暇になりたい

 この春に転職して新しい仕事に就いた.それまでは定年再雇用だったから,役職を降りた自由の身といってはなんだが、大げさにいえば御意見番みたいなもので,特に問題案件が発生しなければ定時に出社して定時に帰るノーストレス状態だった.頭の中はすっかりお花畑で,六十五歳までの再雇用が終了したら,それから何をしよう,アレもしたいコレもしたいと楽しい毎日だった.

 その「アレもしたいコレもしたい」の一つに,真空管ラジオの製作があった.
 会社帰りに秋葉原に立ち寄っては,真空管屋さんで懐かしのST管,GT管,メタル管やロクタル管を買い集めた.
 秋葉原ラジオセンターの内田電気で中古品と新古品の中間周波トランスやらバリコンを手に入れ,通販サイト『ラジオ少年』で新品の中間周波トランスを購入した.電源トランスは,いまだに同じくラジオセンターにある春日無線で新品が売られているので,それを買った.シャーシはもちろん自作だから,必要な工具も揃えた.少年の頃に「ああもっとお金があれば,あれが買えるんだけど」と思ったものを手当たり次第に買いまくった (といっても,PCの自作に比べれば大した金額ではないが).
 真空管ラジオというのは全然実用性がなく,出来上がってもインテリアになるだけであるが,ST管ラジオは軍用通信機の雰囲気が似合うだろうから,シャーシの塗装はオリーブグリーンにしようとか色々計画して,まぁ楽しい毎日であったのである.

 それが今の勤務先に移ってから,別に激務ではないが,やはりある程度の責任ある仕事というのは趣味になかなか時間がとれない.仕事から帰宅して夕食をとり,風呂に入った後でブログを書くという平日はもちろん,土曜日曜でも何だかんだと用事ができてしまって,まるでラジオの製作に取り掛かれない.
 今の勤務先との契約が六十七歳までなので,仕事から解放されるまであと三年以上ある.男は早ければ七十くらいで死んでしまうこともあるので,私に残された時間はあまりないような気がしてきた.

 一昨日,前の会社で先輩だった人が亡くなったと聞いた.享年七十.訃報に接するのが遅く,告別式に参列することができなかったので,夫人に手紙を書き,現金封筒で香典を届けることにした.いま現金封筒の口を糊で閉じ,捺印したところである.
 その先輩の時代は再雇用制度が普及していなかったから,彼は六十歳で定年退職した.あれから十年.彼は,若いときにやり残したこと,やりたいことをやって楽しい晩年だったのだろうかと,少し考え込んでしまった.

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2013年12月 5日 (木)

LED人柱

 私が書斎兼寝室と称して,ベッドとPCラックと,その他いろんな物を詰め込んでいる部屋の照明器具は,今の住所に引っ越す前から使用している蛍光灯ペンダントライトである.これは和室向けのデザインで,今の部屋の調度に対して違和感ありまくり.
 この蛍光灯は随分と昔 (二十年くらい前) に買ったもので,そろそろ買い替えようと思っているのだが,どうせ更新するなら LED 電球にしようと思った.
 LED 電球というと一種の賭けみたいなもので,何千円もするのにチョー短時間で点灯しなくなったりすると言われたものだが,今もそうなのかしらん.
 電球型でない LED 照明器具に関しては,天井に直接設置するシーリングライトや直管型の LED 照明が,私が前に勤めていた会社の幾つかの工場で問題なく導入が進んでいるのを知っている.しかしネット検索すると,技術的に詳しい人が二年ほど前に書いたブログ記事で,電球型 LED には本質的に構造的な無理があると結論しているものが見つかった.また LED 照明は依然としてカタログ的には寿命保障無しではあるが,まぁ物は試しである.

 シェードはレトロっぽいものがいいと思うので,そのようなデザインのやつを通販で探したが,電球ひとつのタイプでアルミ製シェードの,男おいどん大山昇太昭和レトロ四畳半物語みたいな製品は見つからなかった.残念.
 それで止む無くホーロー製のシェードの中から選択する.電球一個タイプは構造的に紐を引っ張ってオンオフするプルスイッチなしになるが,二個タイプはスイッチ付きのものがあったので,それで決まり.

 LED 電球はアイリス・オーヤマが斯界のパイオニアであるが,パナソニックから広配光タイプ(*) というのが出ているので,それを二個シェードに付けることにする.
 シェードは今日 Amazon から配送されてくるが,LED 電球はまだ配送連絡がない.電器運の悪い私のことだから,LED 電球二個とも初期不良という可能性があるが,そうなったらシェードには電球型蛍光管を付けることにする.物は試しというより,人柱でありますな.

(*) Panasonic LED電球 一般電球タイプ 広配光タイプ 10.0W (電球色相当) E26口金 電球60W形相当 810 lm LDA10LGK60W

【追記】
 この選択は失敗であった.六畳間に 810ルーメン x 2灯では暗すぎた.さらに,ホーローのシェードは,シェードよりも上の方には光が行かないから,天井と壁の上部は暗い影になる.ある意味で懐かしの昭和が再現されている.ま,いいか.

関連記事 「雑多感想 12/8

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2013年12月 4日 (水)

同世代を応援

 昨日武道館で,ザ・タイガースが結成時のメンバー,つまり森本太郎,瞳みのる,岸部一徳,沢田研二,加橋かつみの五人によるコンサートを開いたと報道された.このメンバーは私よりも少し年上であるが,みんな元気だなあ.(嬉)
 谷村新司が沢田研二と同じ年の生まれで,現役で活躍 (私は今年リリースのアリスのアルバムを買って持っている).
 私と同年齢では武田鉄矢と堀内孝雄がいる.あ,志村けんと間寛平も同じ.あまりテレビを観ない私だが,同年齢のよしみで志村動物園は欠かさず観ている.

 先月末のニュースだが,相撲界ではこのあいだの千秋楽を最後に三人の親方が相撲協会を退職している.私は知らなかったが,相撲界では定年の区切りは千秋楽なのであるね.さもありなん.
 三人の親方というのは元大関増位山の三保ヶ関親方,元関脇青葉城の不知火親方,元関脇黒姫山の武隈親方である.この三親方は1948年生まれだから,谷村新司や沢田研二と同じ歳である.相撲界では今年に入って既に元横綱三重ノ海の先代武蔵川親方,元大関魁傑の先代放駒親方ら六人が定年を迎えたそうだ.
 それで思い出すのは,大相撲史上屈指の人気を誇った初代貴ノ花,すなわち貴ノ花利彰氏のことである.
 初代貴ノ花は1950年2月19日青森県弘前市出身.平成十七年没.享年五十五.存命なら今六十三で,まだ六十五歳の相撲協会定年を迎えていない.
 私は初代貴ノ花と同じ年の早生まれで,誕生日はひと月も違わず,ほぼ同じ時にこの世に生を受けたせいか,この初代貴ノ花の活躍は今も忘れない.現役引退の時には,横綱になれなかった一力士としては破格の扱いで,国営放送がドキュメンタリー特別番組『さよなら貴ノ花』を放送したのを覚えている.
 私より若いのに既に亡くなった人達もいる.河島英五は私より少し若く,生きていれば六十一歳のはず.忌野清志郎はその一つ年上であったか.

 私と同世代の皆さん,どうかこれからも元気で活躍して欲しい,と心から思う.

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2013年12月 3日 (火)

バラ一輪

 先日買ってきたポインセチアのこと.
 仕事から帰ってきたら鉢を窓際から食卓テーブルに移し,朝に水やりをしてまた窓際に移す.こんな風にしているのだが,どうやら枯れる気配なく安定しているので,欲が出てきた.ずっとこのポインセチアは窓際に置いておき,テーブルには別の花を飾ろうというのである.
 花瓶なんか持っていないので一輪挿しをネットで物色したところ,ビール中瓶ほどの大きさのアンティークの陶器瓶がいくつか見つかった.これだこれだ,という感じで即注文.
「この瓶に挿すならやっぱりバラでしょう」と,バラの活け方をネットで勉強した.もうなんでもかんでもネットに相談.

 若い頃の私はマイコン趣味はなく,コンピュータはシャープの MZ-80B に触ったのが最初である.それからPC-9801.日立とか東芝製のものにも手を出したが,家庭内LANを敷いた時は Windows 3.1 を載せた富士通のPCを使っていた.これをメイン機にしてパソ通を始め,次いで時代はインターネットの黎明期に突入した.
 あの頃は個人で開設しているサイトなんて数えるほどで,まさか今のようにネットを探せば大抵の知識は手に入る時代が来るなんて思いもしなかった.
 私の愛機には平凡社の世界大百科事典が入れてあるのだが,もうほとんど出番はなくなってしまった.北隆館が牧野富太郎『原色牧野日本植物図鑑』をデジタルデータ化したCDも入れてあるけれど,ネットを検索すれば現物画像を見られるので,これもお蔵入りしている.大変な時代になったものだ.

 で,一輪挿しにする瓶が届いたら,駅前の小さな花屋でバラを買ってこようと思うのであるが,問題はそこから先.水あげをしなさいという解説サイト (多数派) と,そんなことは不必要だと書いてあるサイト (少数派) と,色々なのである.どっちも花屋のサイトだから困ってしまう.どうしよう.

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2013年12月 2日 (月)

無臭中年がトレンド(かも)

 男性化粧品メーカーのマンダムが先月18日,三十~四十代の中年男性に特有な脂っぽいにおい「おやじ臭」の成分を特定したと発表した.
 頭皮などにいるブドウ球菌が汗に含まれる乳酸を分解することで生じるジアセチルが「おやじ臭」の成分なんだそうである.資生堂が発表した「加齢臭」と同じく「おやじ臭」発生の機序がわかれば対策が可能となり,それ (おやじ臭対策商品) が研究の目的であろう.
 このことを報じた毎日新聞の記事によると,私は知らなかったが,二十代の体臭は「汗臭」というのだそうである.五十代以降は「加齢臭」であるからして,これで二十代から死ぬまでの男の体臭が解明されたことになる.残る十代少年の臭いはどうなのか.(洗剤のCMで,お母さんが鼻をつまんでいる,あれですな)
 未解明の分野はそれだけだ.他の化粧品メーカーもがんばれ.あ,がんばらないで頂戴.頼みます.

 バブルの頃,女性が結婚相手に求める条件 (最近はスペックというそうだ) は高年収と高身長および高学歴と言われていた.その後,これにイケメンが加わり,次は無体臭だ.その次はなんだろう.これって世の中がどんどん不寛容になっているということなんだろうね.棺桶というマラソンゲートに向かって走っている私はもう傍観するしかないが.

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2013年12月 1日 (日)

冬の花

 私が食卓にしているテーブルはウォルナット材のものである.少々華奢な作りであるが気に入っている.
 このテーブルの上には,ウォルナット材に映えるような明るい色で塩ビ製のランチョンマットを置き,あとはラジオとウイスキーのボトルと,毎日服用する薬を入れた樹脂ケースが載っている.しかしこれではちょっと殺風景だなあと思ったので,先日の会社帰りに花屋に寄ってみた.
 駅ビルの中にある花屋の中は,ポインセチアやシクラメンなどが盛大に置かれていた.どれにしようか迷ったが,二千円ちょっとするお値段のポインセチアの鉢を買った.その鉢は,コットンならば生成り色というのか,僅かな黄色みを帯びた白い色のアクリル毛糸で編んだポットにすっぽりくるまれていて,室内の飾りとしてとてもいい感じである.家に帰ってこれを食卓テーブルに置いたら,それまで暗く寂しかった部屋にキラキラとした灯りが満ち,天使が現れて「メリークリスマス!」と言った.うそ.

 赤と青と,どっちが十二月の色ですかと問われたら,大抵の人は赤と答えるのではないか.私の場合は,なんといってもサンタクロースの服の色が赤いので十二月の色は赤だと思うのだが,ポインセチアの影響もあるような気がする.
 楽天とか Amazon でクリスマス・リースを見てみると,リースの飾りにポインセチアをあしらったものが多く見つけられる.これに松ぼっくり (パインというらしい) とを組み合わせると,シンプルかつ華やかで,なかなかよろしいと思う.
 さてクリスマス・リースではなく,生きているポインセチア.
 私は植物を育てることについて全くの素人なので,ネット検索してポインセチアの育て方,というより冬期の注意点を調べてみた.鑑賞期の鉢植えにはもう肥料はいらないようだが,水やりは欠かさぬようにという注意が書かれていた.土の表面が渇いたら,朝のうちにたっぷりと水をやるように,とのことである.たっぷり,というのは,鉢の下の穴から水がしみ出るくらいのことらしい.
 ところが,水やりの間隔は「土の表面が渇いたら」というより,実際にはほぼ毎日水やりが必要な感じである.鉢を買って帰ってからこれまで,およそ毎日100ccくらいずつ水やりをしているが,これを一日さぼると,葉に元気がなくなるようだ.
 実は今日,若い葉が一枚,しおれて落ちてしまった.クリスマスまで大丈夫か,私のポインセチア.

 吉永南央『萩を揺らす雨』(文春文庫) に入っている『0と1の間』を読んでいたら,主人公である杉浦草おばあさんの経営する店のカウンターにはクリスマス・ベゴニアの鉢が置かれていた.この短編の舞台は十一月末の北関東,群馬県は高崎市 (註1) と思われる地方都市である.
「ベゴニアはどうなんだろう」と思ってネットにあたってみたら,ベゴニアは,冬咲きのものでもあまり寒さに強くないらしい.花が咲いているときの適温は15~18℃だという.冬はできるだけ暖かい室内におくように,とのことである.たぶん草おばあさんは,店が閉じたあとには鉢を店の奥にある暖かい住まいのほうに移しておくのだろうが,私は冬でも暖房をつけずに寝るから,室温は10℃以下になってしまう.ベゴニアの鉢を私の部屋に飾るのは無理のようだ.
 昔にくらべると北関東の冬はかなり暖かくなって,今では土地の人は冬でも東京と同じような服装だが,昔はそりゃもう寒かった.高校には自転車で通学していたが,朝でかける時にセーターの上に学生服を着て,その上に厚いハーフコートを重ねてもまだ寒く,学校に着くころには赤城おろしの烈風のせいで顔が強ばり,口もきけない状態になるのであった.烈風と書いたのは誇張に聞こえるかも知れぬが,萩原朔太郎の詩編「帰郷」(註1) の冒頭に「わが故郷に帰れる日 汽車は烈風の中を突き行けり」とある,その通りなのである.級友の中には,学生服の上に,まるで石川五右衛門のごとき綿入れ半纏を重ね着する者もいた.ちょっとくらい遅刻しても,「風が強かったので遅れました」と言い訳すれば先生は「そうか」と許してくれる,というジョークがあったのを思い出す.
 埼玉県生まれの吉永南央さんの学生時代 (群馬県立女子大学) は,群馬県もかなり暖かくなっていたとみえて,『萩を揺らす雨』には,かつての冬の群馬県の,厳しい寒さの描写はない.草おばあさんは,十一月の夜なのにショールを羽織っただけで外出をしたりしているくらいだ.
 さて『萩を揺らす雨』は,下手をすると徘徊老人に見間違われてしまうくらい高齢の女性を探偵役とした視点で書かれている.こういう設定のミステリーには他にないのではないか.ミス・マープルを徘徊老人と間違うやつはいない.
 女性視点の作品は数多いが,これに「老い」が加わって,どことない寂しさが『萩を揺らす雨』に漂っている.こういう印象は北村薫の円紫さんシリーズにはない.たぶん『萩を揺らす雨』に続く『その日まで』も買って読むことになりそうだ.(註3)

(註1) 草おばあさん経営する和食器と珈琲豆の店があるのは高崎市がモデルだろうが,その店のある町は紅雲町であり,この町名はお隣の前橋市に実在する.もう大昔といっていい頃の話だが,全国の住居表示を「○○市○○(町)○丁目○番○号」に統一しようということになり,その時に全国各地で多くの由緒ある地名が消えてしまった.幸い紅雲町の名は残ってこの作品に登場することになったわけである.紅雲町という古い町名を知っているということは,吉永南央さんは前橋に住んだことがあるのかも.

(註2) 「帰郷」  氷島 (1934年刊)
昭和四年の冬、妻と離別し二児を抱へて故郷に帰る

  わが故郷に帰れる日
  汽車は烈風の中を突き行けり。
  ひとり車窓に目醒むれば
  汽笛は闇に吠え叫び
  火焔は平野を明るくせり。
  まだ上州の山は見えずや。
  夜汽車の仄暗き車燈の影に
  母なき子供等は眠り泣き
  ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
  鳴呼また都を逃れ来て
  何所の家郷に行かむとするぞ。
  過去は寂寥の谷に連なり
  未来は絶望の岸に向へり。
  砂礫のごとき人生かな!
  われ既に勇気おとろへ
  暗憺として長なへに生きるに倦みたり。
  いかんぞ故郷に独り帰り
  さびしくまた利根川の岸に立たんや。
  汽車は曠野を走り行き
  自然の荒寥たる意志の彼岸に
  人の憤怒を烈しくせり。

(註3) 作品そのものではなく,本としての『萩を揺らす雨』には一つ気に入らない点がある.それは表紙カバーの絵.そのイラストに描かれている草おばあさんは,後頭部にお団子が載っている,典型的な婆さん髪型である.しかし本文中では,盆の窪に櫛を刺していると書かれている.首筋のところで髪をふんわりまとめているのだろう.草おばあさんは,ちょっとおしゃれな店の主人なんだから,著者が書いているイメージ通りに絵を描いて欲しいものである.

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