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2013年11月30日 (土)

鶴はシベリアから

 私は群馬県の生まれ育ちであるので,正月に『上毛かるた』で遊んだことがある.Wikipedia【上毛かるた】には《子供時代を群馬県で過ごした人は、かるたの読み札をほぼ暗記している》と書かれているが,私の両親は新潟県人で,二人とも戦後になって群馬に移住してきた人間であったせいか上毛かるたには関心がなく,家族で上毛かるたを遊ぶのは正月くらいのものだった.

 小学校でも授業でこのかるたが取り上げられることはなく,Wikipedia には《毎年1月の予選大会の後、2月に行われる上毛かるた県競技大会に向けて、群馬県内の子供たちは、冬休みを利用するなどして練習に励む》とあるが,そんな練習はしたことがなかった.私の兄弟や義務教育時代の友達に訊いてみても,私と同じようなものである.私の少年時代は上毛かるたの普及途上時代だったのかも知れない.その後,いつ頃から Wikipedia に書かれているように盛んになったのだろう.
 

 上毛かるた読み札全四十四枚を一体どれくらい覚えているか,ああでもないこうでもないと頭から絞り出そうと試みたのだが,結局私が正確に記憶していたのは,

 縁起だるまの少林山        太田金山子育呑龍
 しのぶ毛の国二子塚        裾野は長し赤城山
 つる舞う形の群馬県        天下の義人茂左衛門
 中仙道しのぶ安中杉並木      沼田城下の塩原太助
 ねぎとこんにゃく下仁田名産    分福茶釜の茂林寺
 誇る文豪田山花袋         昔を語る多胡の古碑
 耶馬渓しのぐ吾妻峡        老農船津傳次平
 和算の大家関孝和

の,たった十五枚であった.さらに,記憶してはいるものの「何だよそれ,誰だよそれ」状態なのが,
 天下の義人茂左衛門        昔を語る多胡の古碑
 老農船津傳次平
である.
 そこで勉強してみました.「義人茂左衛門」「多胡の古碑」「船津傳次平」を.
 それで少年時代から五十年の時を経て,ようやくわかりました.義人茂左衛門とは,すなわち磔茂左衛門であることを思い出したし,「多胡の古碑」については「おお,そうでしたか!」と思ったことである.
 ただし船津傳次平は,Wikipedia に《群馬県民の間では、知名度だけはほぼ100%である。ただし、何をした人物かはほとんど理解されていない。知名度の高さの理由は、群馬県人の間で圧倒的な普及度のある上毛かるたの「ろ」の札(「老農船津伝次平」なる句)で船津が詠われているためである》と書かれている通り,はぁそうですか,であったが.

 こういう郷土愛のない私であるので,上毛かるたの出版元が財団法人群馬文化協会であることを調べ,何かよいことでも書かれているかと,そのサイトを覗いてみた.
 すると,なんということであろう,群馬文化協会は平成25年11月末解散と書いてあるではないか.
 驚いてよく読んでみると,いずれ上毛かるたは公に属するべしとの初代理事長の遺志に基き,上毛かるたの著作権・商標権を群馬県へ無償譲渡して解散するのであるという.私は偶然にも同財団解散の直前に,初めてそのサイトを閲覧したわけであった.

 上記サイトのコンテンツ中,「上毛かるたの祈り」にはこうある.

子供たちへの「貧しいことを恥じることはない。(中略) 君たちは、ひもじさにも耐え助け合い未来に向かって胸を張って堂々とはばたいてほしい」という深い思いがこめられています。

大人たちには当時敗戦後二度目の冬を迎えて捕虜としてシベリアで強制労働に従事させられている六十万人の同胞へ「祖国日本は決して君たちを見捨てない。必ず救出する。シベリアを飛び立つ渡り鳥鶴に思いを託し、一歩でも二歩でも南下し帰る日まで生き抜いてほしい」という誓いと祈りをこめた、留守家族への励ましと救出運動の呼びかけでもありました。

 これが上毛かるたの意義と理念であったという.
 群馬文化協会の前身は,満州から故郷・群馬へ引き揚げてきた後に,戦争犠牲者の支援に取り組んだ浦野匡彦 (のちに二松学舎大学学長に就任) が率いた恩賜財団同胞援護会群馬県支部であったとのこと.そして上毛かるた競技会における最初の読み札である「つる舞う形の群馬県」の「つる」には,シベリアに残された六十万人の同胞への「祖国日本は決して君たちを見捨てない。必ず救出する」との思いが込められていたというのである.
 ああ,今日この日この歳になるまでこれを知らなんだ.子供の頃,もう少し上毛かるたを覚えればよかった.そう思ったことである.

【追記】
 浦野匡彦は,日本民族精神の復興を唱え,首相の靖国神社公式参拝運動のリーダーの一人であった.前半生のシベリア抑留者引揚支援運動は讃辞に値するとしても,その後の活動は私としては容認しがたい.
 私に郷土愛がないのは,極端に頑迷保守的な政治的風土と,勝ち馬に乗って利を得んとする野蛮愚劣な県民性 (なにしろ福田・中曽根時代に,国政選挙の際に選挙運動員が相手陣営事務所に大挙して殴り込みをかけ,かけられた方も報復の殴り込みをするという無法な暴力事件が何度も繰り返しあったほどの愚かさなのである) が大嫌いだからである.一般県民の民度の低さを鑑みるに,群馬が輩出した福田赳夫,中曽根康弘,小渕恵三,福田康夫らの保守政治家がなんと良識的な人物であるかと思えてくるから不思議である.
 高校時代の私は群馬が嫌で嫌でたまらなく,とにかくここを逃げ出して東京に行きたいと思った.その後は数えるほどしか帰郷していない.しかし群馬県人は嫌いでも,群馬の自然は大好きである.群馬県人は嫌いでも,群馬県は嫌いにならないでくださいと前田敦子も言っている.言ってません.
 赤城,榛名,妙義の三山.尾瀬の山と花.草津白根.山深くある温泉郷.みな忘れがたい思い出の中にある.

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