ハッピーな人魚姫 その二
前の記事に《ディズニー映画『リトル・マーメイド』のストーリーを知って,腰を抜かした.だってね,『リトル・マーメイド』は人魚姫の話じゃないんすか.人魚姫は,恋に破れて水の泡になってしまうんではなかったですか? 悲しい恋の物語ではなかったですか.》と書いた.
ところがこれは私が無知であったせいのようで,Wikipedia【美女と野獣】の項に次のように書かれている.
《本作の3年前に制作された『リトル・マーメイド』において、ディズニー社はヒロインの人魚姫アリエルに海の世界の友達や家族を捨てさせ、白人の王子の下に駆け落ちさせるラストを与え、多くの女性団体から抗議を受けている。
「ディズニーによる原作原典の改竄」の一環としての識者からの多くの批判と併せ、「ヒロインが最終的には男性の下で結婚し、幸せになる」というディズニー映画の普遍のパターンは、女性の生き様を狭く限定するものとして、絶えず受け続けている批判である。》
ただし,Wikipedia【リトル・マーメイド】の項目には,上記『リトル・マーメイド』批判は全く書かれておらず,なぜか【美女と野獣】において記述されている.どうしてなのか理由不明.
さて次に「ディズニーによる原作原典の改竄」で検索してみたら,まあ出てくるわ出てくるわ.
その種のディズニー批判を読んで思うのだが,「改竄」と「改作あるいは脚色」との線引きはどうなっているのだろう.
《ヒロインが最終的には男性の下で結婚し、幸せになる》ことに対する批判は,性差別の話であって,原作の改竄とはまた別の問題である.なぜなら,そんな小説や映画は掃いて捨てるほどあるからだ.ディズニーだけの問題ではない.
すると,ディズニーが原作を子供向きに改変したことがいけないのだろうか.そのように主張するなら,白雪姫の物語は実母 (原作者グリム兄弟によって実母から継母へと改変されたが,これは改竄ではないのか) のグロテスクな処刑までを描写しなければいけないことになるし,白雪姫を生きかえらせる王子様は死体性愛者の変態野郎であらねばならない.
しかし私は,そんな白雪姫のお話は観たくない.ディズニー映画『白雪姫』は原作の改竄であるというなら,実写版でいいから原作通りのストーリーで製作して,これを子供のための映画として世に問えばいいではないか.どちらがファンタジーとして質が高いかを競えばよい.それをせずにディズニーを批判するだけなのはフェアでないと思う.批判の方法としては,私は『シュレック』のやり方のほうが洗練されていて好きだが.
ま,ディズニー批判はさておくとしても,私は悲恋物語の人魚姫の方がずっといいと思う.子供でも,そのストーリーは受け入れてくれるだろう.
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