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2013年11月 4日 (月)

直訴

 先に行われた秋の園遊会で,天皇陛下に直接手紙を渡した山本太郎参議院議員の行動について,与野党,マスコミが大騒ぎである.

 その騒動のどさくさに紛れて,戦後暫くの間生きていて,しかし今はもう死に絶えたと思われていた「世が世なら不敬罪だ」という言葉が,亡霊のように蘇ってしまった.与野党議員がこの言葉を使っていることを批判したのは,私の知る限り毎日新聞のコラム『余録』だけである.山本議員は,その意図に反してであっても,「世が世なら不敬罪だ」を生き返らせた責任はとらねばならない.

 もう一つ.山本議員は,記者団の取材に対して「原発作業員の現状を伝えたかった」と語ったと報道されている.この発言は,天皇が原発作業員の現状を知らないとの前提に立っている.どこからそのような前提が出てくるのか,山本議員は明らかにしなければならない.

 自らの行動の意図を語らぬ,あるいは自由に語ることを制限された天皇に代わって,皇后はかつて皇室存在の意義は「祈り」であると表現した.
 私は昭和天皇の戦後の生き方に不快な思いを持っている国民の一人であるが,しかし現天皇と皇后には敬愛の念を持っている.戦後一貫して,「祈り」の必要とされる時と所で「祈り」続けてこられたと思っている.それは,最近のことを例にあげれば,東北へ水俣へと訪問の旅を続け,現地で被災者や水俣病患者の人々と会話を交わすご夫妻の姿をテレビの画面でみるだけで私達に伝わる.
 繰り返す.「天皇に原発作業員の現状を伝えたかった」すなわち「天皇は原発作業員の現状を知らない,知ることを怠っている」と山本議員が考えるならば,なぜそのように考えるに至ったかを明らかにせねばならない.山本議員の行動は天皇の人間性に対する批判であり,批判するならその根拠を示すのが最低限の礼儀だからである.

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