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2013年10月13日 (日)

長すぎる前振り

 某新聞社系掲示板の定番ネタで「食事しているときの手の位置」というのがある.食事の際,椀も箸も手に持っていないときに手はどこに置くか,あるいは左手に椀をもっていないとき(右利きの場合),左手はどこに置いたらいいのか,という問題である.

「膝の上に置く」と言う人がいると,「常にテーブルの上に出していなければいけない.それがマナーだ」という大合唱にあってフルボッコ(若ぶってみました)になるのが常である.
 大合唱する連中の言い分は,手を膝(腿)の上に置いてはいけない.小鉢のものを箸でつまむときは小鉢に手を添えよ,皿のものを取るときは皿に手を添えよ,そうでないときは手は卓上に置け.そうすれば手を膝の上に置くことはないはずだ,というのである.
 この某掲示板で,みんなで袋叩きする状態というのは,掲示板投稿者の大部分が同じ考えを投稿しているというわけではなく,掲示板の検閲者が自分の考えに沿うレスを選択し,全体の論調が一方的になるようにトピを構成していることを意味している.だから本当は皿や小鉢に手を添えてはいけないのだが,掲示板検閲担当者が作法を知らないので,こんなトピの流れになってしまう.

 最近の同趣旨トピで,この手の置き場所問題について次のように小笠原流を持ち出した爆笑レスがあった.
 昔から武士は会食に際して,相手に対する敵意のない証として,手に刀を持っていないことを常に食事の相手に見せていなければならないとされてきた.それが小笠原流の作法である.従って今でも手は膝に置かず,食卓の上に出しておかねばならないと,この投稿者は書いている(このレスの主は作法の教室に通ったらしい).

 馬鹿じゃないか.
 どこの武士がダイニングテーブルで飯を食っていたのだ.(江戸時代の洋館で外国人と食事する場合は小笠原流もへったくれもないので除く)
 この投稿者は銘々膳を見たことがないのだろう.今でも,あらたまった席では銘々膳で食事が供されるが,そのような場面に出くわしたことがないとみえる.銘々膳ならば,特になにもせずとも,手は常に相手から見えているのに,な~にが小笠原流では,だ.
 食器が置かれた銘々膳には手を置くところなんぞないし,隙間に無理に手を置こうとすると前屈みになって見苦しく,まかり間違えば膳がひっくり返る.銘々膳を前にして正座し,背筋を伸ばしたら手の置き場所は膝(腿)の上しかないのである.皿や小鉢に手を添えるのも同じ理由でだめ.食事中は前屈しないのが作法だからである.やや前傾してもよいのは,椀や箸を取る,あるいは置くときである.
 一汁三菜はまだいい.これが正式の二汁五菜や二汁七菜になれば,飯と汁の膳の向こうに焼き魚の膳が置かれるが,その皿に手を添えようとすると必ずや腰椎を痛めるであろう.
 さらにいえば,銘々膳どころか折敷で食事が供されたときはどうするのだ.飯を食いながら「申し訳ございませんっ」状態に平伏するのか.
 銘々膳も折敷も見たことないとは言わせぬ.銘々膳はテレビにも出てくるぞ.あの伝説のテレビドラマ「おしん」を観たことがないのか.リメイクしか観てないですか.そうですね.それなら水戸黄門を観たことがないのかっ,志村のバカ殿様を観たことがないのかあっ.

 というわけで志村のバカ殿様を観たくなり,Amazon で探してみたら,DVD-Box が 12,639円もすることがわかった.いくら面白くても,ここまで高いと諦めざるを得ない.残念である.作法の話はどうした.はあ.

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