中世の騎馬武者
ある日,古本屋で『日本絵巻物大成13 平治物語絵詞』(中央公論社,昭和52年刊初版本)を購入した.大型の箱入り美装本である.
なんでこんな本を買ったかというと,箱の表に中世の合戦の様子が描かれているのを,店頭で一目見て気に入り,この絵を下敷きにしてPCでイラストを描いてみようと思ったからである.
ところが箱に描かれた合戦絵や,この本の中に収録されている他の絵を眺めているうちに,鎧兜に身を固めた武者が騎乗している馬の体格が,かなり小さいことに気がついた.そして小さい馬に乗った武者達が戦闘している場面は,密集というか,かなりの接近戦のように見えて,これは時代劇映画の,例えば武田の騎馬軍団が戦闘する場面を観て受ける印象と随分違うのが気になった.映画に出てくる馬(競走馬だろう)はかなり大きいから,とても接近戦はできそうにない.
こんなことを考えていたところ,ひょんなことから,川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究』(2010年,講談社学術文庫)という本があることを知った.
この本によると,鎌倉時代の軍馬の体高は約130cmと推定されるという.我が国在来種の木曾馬などもこの位の大きさで,今でいうポニーに相当するのだとか.
それで合点がいった.中世(たぶん戦国時代も)のいくさは,とても小さい馬に騎乗して戦われていたのだ.『平治物語絵詞』の馬はデフォルメされていないのである.
Wikipedia によると日本在来馬の起源はモンゴル高原で,日本在来馬は,古墳時代に家畜馬としてモンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高130cm程の蒙古系馬に祖先を求めることができるという.
少し前のテレビ番組でモンゴルの民族の祭典「ナーダム」が取り上げられ,モンゴルの人々の生活が紹介されていた.それによるとモンゴルの人々にとって乗馬は身近な生活の一部のようだが,それはそれとして,番組に出てきたモンゴルの馬は大変小さかった.な~るほど.
さいとうたかお の劇画版『鬼平犯科帳』あたりをみると,長谷川平蔵がサラブレッドに乗って登場する.ぽこぽことポニーに乗って出てきたほうが時代考証的によいのではないかと思う.
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