旅路の果て
いまJR北海道がたいへんなことになっていて,同社の野島社長が27日の記者会見で「今安全を確立しなければ当社はまさに存続が危ぶまれる」と強い危機感を表明している.
野島社長は自らの進退問題について「先頭で立て直しに当たっていきたい」と辞任の可能性を否定したが,これまでの類似の企業不祥事では社長が「先頭に立って再建をすすめる」と言明したのちに結局は辞任に追い込まれた例が多い.
前社長と交代のあと,野島社長が本当に先頭に立っていたならば(野島社長が鉄道人として有能だという仮定のもとではあるが),こうはならなかったわけで,リーダーシップのない社長が再建に取り組んだために余計に傷が深くなる前に,自力再建をあきらめてJR他社から社長を迎えた方がいいような気がする.
JR北海道はなぜこうなったか.いずれ専門家が的確な分析をしてくれるだろうが,マスコミ報道からちらちらと見えるのは,「安全」に経営資源を投入する体力がなかったのではないかということである.そこら辺は,経営思想として安全を軽視してきたJR西日本と異なるところかも知れない.だからといって同情はできないが.
それはそれとして,北海道を舞台にした国鉄職員の家族の物語で『旅路』というのがあった.放送されたのは1967年,まだ「国鉄魂」という言葉が生きていた時代の NHK 連続テレビ小説である.
『旅路』の出演者は,日色ともゑ,宇野重吉,山田吾一,久我美子,長山藍子,十朱幸代,加東大介,名古屋章,小山田宗徳,松山省二,関口宏他と,今から思うとすごい俳優陣だった.おまけに林寛子のデビュー作で(私は記憶にないが),これはもう伝説的といってよいほどのテレビドラマであった(映像はほとんど現存していないそうだ).平均視聴率は45.8%,最高視聴率は56.9%だったというから,昔と今は視聴率の測定方法が異なるが,それにしても最近の『半沢直樹』最高視聴率42.2%を遙かに上回る.
浅田次郎『鉄道員』(1995年)も北海道の鉄道が舞台だった.映画は1999年で,翌年の日本アカデミー賞主要部門をほぼ独占した.『旅路』にせよ『鉄道員』にせよ,北国,鉄道とくればもう,そこに働く男達のイメージには不動のものがあり,山田吾一や高倉健はまさにそれを体現していたのである.
ただし「国鉄魂」を諸手を挙げて賞賛するわけではない.当時の親方日の丸の経営陣,乗客を見下す態度の駅員と車掌には,本当に腹の立つことが多かった.ではあるけれどその一方で,ハンマー一本で車両の異常を発見するとか,二本のレールの間隔が5ミリ狂っているのを肉眼で判定するなどの職人芸に対する国民の信頼は厚かったように思う.
民営化以後,確かに駅員と車掌の組織人としての資質は大きく向上した.接客は丁寧であるし,むしろ乗客のほうが態度が悪いのでないかと思う.乗客に胸ぐらをつかまれて罵倒され,それでも耐えている駅員を見かけることがあるが,気の毒になるほどである.
そのような面でのJR各社の経営努力は国民誰でも認めるところであろう.ただ,国民と直接に接触しない部分ではどうであったのか.
一部の報道によれば,保全部門が必要とする機材を申請しても許可にならぬことが多く,そのため「補修機材を申請しても無駄だ」という諦めが現場に蔓延していたというのである.
実は私が学校を出て最初に入った会社が,そうであった.入社してから何人目かの経営者は,美食とゴルフが大好きであったが,在任中一度も工場にこなかった.私は工場にいて「あの機械がもうすぐ壊れます.お金をください」「あの建屋の屋根が腐食して雨漏りがします.お金をください」など,いくら予算申請をしても許可にはならなかった.それで私は公然と経営批判を口にするようになり,その結果として窓際に追いやられた.そしてその会社は,その社長の代で存続できなくなり,業界再編成の波に飲み込まれて他社に吸収され,今はない.
このようなことが自分の身にあったので,私はJR北海道の保全部門における現場社員を責める気になれない.修繕すべき箇所を担当部門が放置していたというが,それは違う.放置せざるをえない所に追い込んで,現場の社員達を諦めさせた者達がいるのである.その張本人が「私が先頭に立って再建」と言っても,さらに社員は無気力化するだけだ.私はそう思う.
【補遺】
ここまで書いたら,JR四国が,補修の必要性のある56本の橋を3年以上放置しており,会計検査院に早期改善の必要性を指摘されたと報道された.JR四国は「放置していたのではない,監視していたのだ」と釈明した.橋が崩落して大事故が発生するまで監視していたとして,そんな監視に何の意味があるか.
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