雑多感想 9/17
(一)
つい最近『発言小町』で,続けて「あながち」の誤用をみかけた.
「あながち」は,そのあとに打消の語を伴って「必ずしも」「一概に」の意を表す.例えば「あながち嘘とは言えない」のように使う.
ところが『発言小町』では,「あながち正しい」のように打消の表現を伴わない言い方が始まっているようだ.
最近は言葉の誤用が広まるのにあまり時間がかからない.「あながち」についても嫌な予感がする.
(二)
『発言小町』に《結婚式に主賓で出席しましたが、お車代が出ませんでした》というトピが立っている.
トピ主の言い分は「先日,後輩(新婦)の結婚式に主賓として参加してきましたが,スピーチもしたし,受付も担当したのに,お車代をくれない.新郎新婦は非常識だ」である.どこの世界に主賓が受け付けをする結婚披露宴があるか.馬鹿も休み休みいいなさい.新婦側で最年長であるために自分を勝手に主賓と思い込んだようで,おまけに新郎はトピ主の上司だという.こういう阿呆を部下にもつ新郎が哀れである.
(三)
既に定着したと思われる誤用であるが,最近のネット掲示板では「惣菜」はスーパーやデパートの地下食品売場で売っている持ち帰り惣菜を意味している.「仕事で疲れて帰ってきた夫に惣菜を食べさせるなんて,妻としてありえません」のように使う.「持ち帰り」が脱落したのである.では,それぞれの家庭で作った惣菜はどういうのか.手料理というらしい.この誤用,大した実害はないから黙認可の範囲内であろう.
(四)
白土三平の『忍法秘話』全六巻,『忍者旋風』全二巻,『真田剣流』全二巻,『風魔』一巻を読み終わった.これらに収められた個々の作品の中では,『風魔』の最終章『シジマ無情』がしみじみとよい.『たまかぜ』と同じく抜忍(犬)のエピソード.白土三平らしいと言えば言える.
(五)
週刊文春の先週号『さすらいの女王』で中村うさぎが「寂聴こそがあたしのラスボスなんだ」と書いていた.気持ちはわかる.私ども爺の場合は,寂聴のかわりに日野原とすると同義になる.こらこら.
(六)
週刊アスキーの先週号『神は雲の中にあられる』で,遠藤諭氏が「JR秋葉原駅西側のガード下にあった“山菊ポータブル”というお店が見当たらない」旨の文を書いていた.この山菊ポータブルは秋葉原で一番古い店なのだそうだ.
十年後の秋葉原はどうなっているのだろう.西側ガード下の部品屋街は生き残るだろうが,東京ラジオデパートや少なくなったジャンク屋などが心配だ.私は真空管アンプや真空管ラジオの部品を,お迎えが来るまでに使う分を既に買いためてはあるものの,東ラジがなくなったら悲しい.
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