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2013年8月29日 (木)

一度は手放して

 年寄りになってみると,やたらと昔が懐かしい.会社を定年になる頃には,これまで生きてきた過去を振り返りながら歩いているみたいな感じであったのだが,今やもう体ごと後ろ向きである.後ろ向きで前進している.そうして天国の門には背中から元気に入っていきたいと思っている.

 昔貧乏学生だった頃に買った本で,その後で手放した本がたくさんある.理由は,結婚して子供ができて,狭いアパート暮らしだったために本をため込んでおくスペースがなくなったからである.

 そんな本のことを思い出すことが少し前にあって,いくつかのネット古書店の中をうろうろと歩いてみた.そしたら學藝書林の『全集 現代文学の発見』が何冊か出品されているのを見つけた.

 『現代文学の発見』は私が大学に入った頃,大学生協書籍部の平台に積まれて飛ぶように売れた全集である.私も乏しい持ち金をやりくりして,ほぼ全巻を買って読んだ.これを手放さざるを得ぬときにちょっと悲しかったのを思い出す.

 というような事情で,古本の『現代文学の発見』を再び手に入れることにした.
「愛情をお金であがなうことはできません けれどお金に 愛情をこめることはできます」と書いたのは谷川俊太郎だが,これを流用して「思い出をお金であがなうことはできません けれどお金に 思い出をこめることはできます」てなことを思いついた.しかしちょっと違うような気がするというか,日本語になっていないような気もするし,お金に思い出をこめるって「人生金や金やっ」みたいだ.でもまぁいいや.文句のある人は出てきなさい.

 一度手放した本をまた買う動機が,青春時代の自分はこんなものを読んでいたのだという記念みたいなものだから,一冊でよい.全巻揃えるのなら,三十数年後に再刊された愛蔵版が,高価ではあるが今も新刊書店で買えるのだが,それでは意味がない.私が欲しいのは初版第一刷の古本なのだ.

 その一冊は『別巻 孤独のたたかい』(昭和四十四年刊).ここに収められた十四作品のうちから一作をあげるならば能島廉『競輪必勝法』である.
 若いときにこれを読んだという思い出をささやかなお金であがなって,その思い出はいま私の書架にある.

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