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2013年8月14日 (水)

お祝いには白いご飯を

 たまさかに白米の飯たきたれば何の祝と子は問ひにけり
      藤原優 『昭和萬葉集巻七』(講談社)

 小学生の頃,我が家の主食は麦飯であった.
 低学年のときは配給米(死語)と押し麦を六分四分に炊いた.それが次第に米の割合が増えて,たぶん三年生のあたりで母が「今日からお米が八割だよ」と言い,いま私達がとろろ飯にして食う麦飯のレベルになったのをおぼろげに記憶している.
 ではあるが,白米の飯を炊いて食うことがなかったわけではない.

 江分利万作様ご幼少のミギリの昭和三十年代,小学校の遠足には握り飯持参が定番であった.遠足とか運動会とか,そのようなハレの食事には白飯を炊いたのである.
 池田勇人の言と伝えられる「貧乏人は麦を食え」(実際にはそこまで言っていないが)そのものの貧乏人であった江分利家なのになぜ白飯を炊いたかというと,ハレの食事ということの他に,押し麦の割合が多いと,ぱらぱらと崩れて握り飯の形が保てないということがあったからでもある.握り飯にできる麦飯は米八麦二くらいではないか.
 それでは米麦六分四分が家庭の常食であった時代(ちなみに刑務所の塀の中でも,この当時は米麦六分四分であったと,刑務官だった父から聞いた;現在は七分三分だという)に,主婦は日常食としての握り飯をどのようにして製造したのであろう.朝から晩まで雑巾を絞り洗濯板で揉み洗いして鍛えた 50kgw を超える握力で強引に握り飯を成形していたのであろうか.

 話は唐突に戦国時代へ飛ぶ.
 三河国の東端に位置する長篠城に拠る奥平貞昌は天正三年五月,武田勝頼が率いる一万五千の軍に攻囲された.
 城兵達は奮戦防衛するも,武田軍から放たれた火矢のために兵糧庫が炎上焼失した.
ために長篠城は食糧を失い,落城の窮地に立たされた.
 そこで貞昌は徳川家康の岡崎城へ使者を送り,援軍を要請せんとしたが,ここで使者の役目を買って出たのが足軽鳥居強右衛門であった.
 強右衛門は夜陰に紛れて城を抜け出すと翌日には岡崎城に着き,主君貞昌の援軍要請を家康に伝えた.このとき岡崎城には武田軍との決戦のために織田信長が三万の軍勢を率いて到着しており,織田徳川連合軍三万八千が長篠に向けて進軍することとなった.
 役目を終えた強右衛門であったが,援軍の長篠進撃の知らせを一刻も早く自軍に届けるべく長篠城にとって返した.
 しかし不運にも城の近くで強右衛門は武田の兵に捕えられてしまう.

 ここからあとは,軽輩鳥居強右衛門が五百年後の世にもその名を伝えられることになった一世一代の名場面であるからして,歴史好き諸兄ならずんば Wikipedia を参照していただくことにして中略.
 で,その鳥居強右衛門が握り飯となんの関係があるか.
 クライマックスで握り飯が登場するのである.
 強右衛門が長篠城の前に引きずり出される前に,強右衛門の監視をしているうちに親しくなった武田家の家臣落合左平次道久が強右衛門に握り飯を食わせてやるのだ.
 左平次「腹が減っては城に向かって大音声張り上げることかなわぬであろう,ささ,これを腹にいれられよ」
 強右衛門「かたじけない」
 強右衛門は握り拳二つ合わせたほどの大きさの握り飯と,味噌を添えた長ネギ一本をばりばり食いながら平らげると,堂々たる足取りで城の前に歩いて行った.

 以上,講釈師みてきたような嘘を言いというが,上で私が根拠にしたのは五十年も前に見た『太閤記』(1965年のNHK大河ドラマ)であります.つまり嘘ですね.

 戦国時代に,まして戦の最中に武士が白い飯を炊いて食うはずはなく,実際に徳川家康は白飯を嫌い,麦飯を常食していたという記録がある.
 麦飯であんな大きな握り飯は作りようがなく,今からみれば『太閤記』の演出には時代考証に誤りがあったと思われるが,昭和四十年といえば庶民の生活から麦飯が姿を消し,白飯を日常食うようになった時代だから,これはまぁ仕方がないだろう.

 さて最初の疑問に戻る.
 昭和二十年代後半から三十年代初めにかけての時代,押し麦をしこたま入れて炊いた日常の飯で,上手にお握りを作るには何か工夫があったのだろうか.
 海苔で巻けば一件落着だけれど,海苔って高かったのよね.

余談.
 読売新聞社のサイトに『発言小町』なる掲示板コンテンツがある.
 この掲示板に群れをなしている知的水準が低いといって差し支えない連中(主に女性)は,米と飯の区別がつかない.十人中の九人が「炊きたてのアツアツの白米」「お茶わんに白米をよそって」なんてことを平気で書きやがるのである.既にして我が国の米飯食文化は崩れつつある.

補遺:発言小町における白米をボリボリ食う女達
(35歳専業主婦)
>私だけで、一食で白米どんぶり2杯、パン1斤は軽く食べます。

(30代女性)
>昼は前日のおかず、白米、夜は魚か肉、野菜のおかず、味噌汁、白米

(20代女性)
>箸やお茶や白米、お茶のお代わりは全自動状態で目の前に来る。

(20代女性)
>自分だけのご飯だったら白米と野菜炒めとか麺類のみといった感じに済ませているのですが

補遺二:
 発言小町ではごく少数派であるが,飯を白米と呼ぶことに違和感を覚える女性もいる.トピ文によると,カレとやらがご飯のおかわりをするときに「白米おかわりちょうだい」と言うのだそうで,それを聞くと「イラッ」とするというのである.
 定食屋とかトンカツ屋では「ご飯おかわり自由」と書いた紙が壁に貼ってあったりすることがあるが,それでもなお,このテの馬鹿男は店員さんに「白米おかわりください~い」と頼むのであろう.
 件の女性には,そんな馬鹿野郎とはすぐ別れなさいと言ってあげたい.

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