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2009年1月

2009年1月10日 (土)

ババア連呼

 私は小田和正という人にあんまり興味がなくて,若い頃の代表曲しか知らない.で,先日ある同年代の女性と話した時のこと.
 彼女が昨年末にテレビを観ていたら,小田和正がツアーで年配の女性ファンに対して「ババア」を連呼していて,大変不愉快なのでもう小田の歌は聞かないと言う.「自分だってジジイじゃないか」と大層なお怒りであった.
 ウェブで検索すると,小田和正という人は前から年配女性をババア呼ばわりしているのだという.
 これを想像するに,小田はジジイでなかった時からババア連呼を売りにしていたのだが,自分がジジイになってしまってもそれに気づかず,ウケルと思って未だに連呼しているということか.あるいは「ババア」と言うことで敢えて年配女性を怒らせ,自分のファン層から彼女らを排除したいとの意図なのであろうか.確かにライブの観客席が還暦の女性ばかりってのは,やってる本人は意気上がらないかも.ま,還暦前後の我々ジジイとしては,どうせ小田のマーケティング対象になんか入ってないだろうから,どっちでもいいが.

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2009年1月 7日 (水)

われも撃ちしや

 昨日の毎日新聞『余録』にこうあった.
《スタインベックの小説「怒りの葡萄(ぶどう)」は「町という町の外れにフーバービルがあった」と書いている。その暮らしは栄養失調で死ぬ子供も珍しくない悲惨なものだった。そのうえ不衛生などを理由に追い出しを図る地元警察の襲撃も受けた》

《不衛生などを理由に追い出しを図る地元警察の襲撃》で思い出したのは,都庁付近の道路から路上生活者の排除を初めて行った青島元都知事だ.あれはまさに《地元警察の襲撃》だったなあ.いま都内での凍死者は毎年どのくらいいるのだろう.

 美智子皇后の歌.
  知らずしてわれも撃ちしや 春闌くるバーミアンの野にみ仏在さず

 知らずしてわれも撃ちしや.『年越し派遣村』の報道をテレビでみながら結局見たままで終わった私は,彼らを撃ったことになるのだろう.

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2009年1月 6日 (火)

頭が軽いと口も軽い

 『年越し派遣村』に関して昨日,「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」と発言して問題化した坂本総務政務官が,今日6日に前言撤回して謝罪した.発言内容のお粗末さは野党各党首が批判する通りであると思うが,それより何より問題は,雇用を巡るこの情勢下で,こんな発言をすればただではすまないことも理解できていなかった坂本総務政務官の頭の悪さである.この程度の知的レベルの人間を政務官に据えた人間のアホさ加減である.

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郵便だいじょぶか

 昨日と一昨日に届いた年賀状がある.昨日,差出人である会社の同僚達にその話をしたら,彼らは昨年末の早い時期に投函したという.
 また近所の郵便ポストに集荷時刻が書いて貼ってあるのだが,これが全くの嘘っぱちなのである.てきとーに集めに来ているようだ.大丈夫か郵便事業株式会社.

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2009年1月 4日 (日)

偽装吉

 昨日は朝からぽかぽかと暖かい,いい日だった.大学駅伝八区,先頭を行く東洋大と早稲田のランナー二人が海岸通りから左へ藤沢方面に向かった頃,家を出た.遊行寺に向かって歩いて行くと,遊行寺坂の上の辺りは日大の校友会がピンクの幟旗を林立させていた.
 読売新聞の販売店関係者だろうか,私に紙旗を二本くれて,応援お願いしますと言った.この付近は下り車線側の歩道がかなり高く盛り上げられているので,観戦にちょうどいい.それで暫くここで選手達を待つことにした.
 一昨日,東洋大の五区はすごかった.あれを見せられたら復路の選手達は奮起せざるを得ないだろう.遊行寺坂上の,まだわずかに登り傾斜の道を八区の選手も堂々とトップで通過していった.一方,予想外の展開に早稲田の方は顔つきが厳しいように思われた.
 全校が通過したあと,遊行寺坂を下って藤沢駅へ.
 駅南口にあるBecker'sでコーヒーとフライドポテトのSを買って昼食にした.あとで昼酒をくらうつもりだから軽めにしなければいけない.そして十二時に店を出て,江ノ島方面に出発.
 龍口寺と稲村ヶ崎で立ったまま一休みしてから長谷寺へ向かい.到着がちょうど二時だった.拝観料三百円,お賽銭百円の都合四百円を投資して観音様に今年一年の健康をお願いし,百円の御仏籤を引いてから境内のレストランへ.正月,この店で昼酒を頂くのが例年の私の習慣となっているのだ.
 お銚子二本(千円)とおでん(六百円)の食券を買い,昼飯時を過ぎていたのでそれほど待たされずに席に案内された.運ばれてきた熱燗には,突き出しに細く切った塩昆布(乾いて粉をふいたもの)がついていて,これをマッチ棒の先ほど口に含んで燗酒をぐいとやる.日本酒は久し振りだなあ.去年の十一月から十二月まで,アレルギー性の皮膚病に悩まされ,医者がお酒を控えなさいと言うから,日本酒は一切口にせず,焼酎だけだったのである.こらこら.
 さて,長谷寺の籤は江戸時代から明治末にかけて作られた版木を基にしている由緒あるものだ.ぐい(お酒を飲む音).
 引き当てた運勢は以下の通り.( )の註は原文通り.ぐい.(サムネイルをクリックすると拡大)
Omikuji20090103_2





長谷寺御鬮七十九吉
 残月未還光
 樽前非語傷
 戸中有人厄
 祈福保青陽

 此みくじにあふ人は、天道をいのり、くわんをん(観音)をしん(信)じてよし。病十が九つ迄本ぶく(復)なし。悦事半吉。さいなん(災難)うれい(憂い)おほ(多)し。まち(待)人おそ(遅)し。そせう(訴訟)事半吉。かな(叶)ふ。ゆひぶん(言い分)、あらそひ(争)事くらう(苦労)、かつ(勝)事も有。屋作、げんぷく(元服)、わたまし(引越し)、よめむこ取、たび(旅)立、人をく(置く)半吉。のぞみ(望)事かなふ。生死十に九つ死。うせ(失)物おそく出。うりかい物おそきがよし。道具は刀、わきざし(脇差)、かヾみ(鏡)、さかづき(盃)、てうし(銚子)のるい(類)なり。

 吉といいつつ「さいなんうれいおほし」「病十が九つ迄本ぶくなし」「生死十に九つ死」て,マジすか.大凶とちゃいますか.

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2009年1月 3日 (土)

反省

 元旦に「冥土喫茶ってのを思いついたのだが」と書いたのだが,あとで調べてみたらもう三年前の2006年に「冥土喫茶」がウェブ上に現れていた.調べもせずに書くとこうなると反省して訂正.オリジナルは他の人です.m(_ _)m

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2009年1月 2日 (金)

水増し大吉

元旦は近所の時宗総本山遊行寺に初詣.御神籤は大吉であった.

 長き夜の 心の闇も しるべせよ
   なお残りける 法(のり)のともし火

 (意) 心の闇も晴れて これからは次第に運が向いてきます
    御仏のお恵におすがりなさい 幸福がやって来ます
    迷わず嘆かず合掌の心で仕事に励めば大吉

 ありがたい御歌である.とは思うが,解釈がどうも違うのではないか.「しるべせよ」「なお残りける」をそのまま素直にとればこうであろう.

 長く苦しいときが続きます.心の闇も晴れません.しかし,そんな時にも心の中にわずかに残った御仏の教えを掲げて生きていきなさい

まあ全体には末吉がいいところではないだろうか.細かい運勢も例えば
 争事 負けて勝て
 商売 暫く苦しい時が続く
 待人 便りあり 来ない
 旅行 日を延ばせ
 縁談 暫く待て だまされるな
 出産 産後に気をつけよ
 病気 日頃から用心せよ
などとあり,縁談出産はどうでもいいが,とても大吉と思えぬのであるね.今日は他のところで御神籤の引き直しをしよう.

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2009年1月 1日 (木)

年頭所感

2009ushi  昨年の元旦には「今年も来るぞ大晦日」と書いたが,正月の戯れ歌としては「門松は冥土の旅の一里塚」の方が有名だろう.一休禅師のお言葉である.
 ネット上ではこの「門松」を「元旦」とか「元日」などと誤用する人がいるので,一応Wikipediaで『一休宗純』を確認してみた.するとどういうわけかその記述の中にアントニオ猪木がでてきたので,途中であるが素直にそっちのリンクへ移動した.そして小項目「猪木語録」を読んで,猪木の数々の発言が一休さんを遙かに上回るおもしろさであることを再認識させられた.
 それはそれとして,冥土喫茶ってのを思いついたのだが,流行りそうもないですか.はあ.

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