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2008年12月

2008年12月31日 (水)

幕末は暑かった

 一昨日と昨日の毎日新聞に面白い記事があった.
 一つは,カナダ・アルバータ大の研究チームが米アラスカ州に近いカナダ北部で7年前に発見した永久凍土に関するニュース《2008年12月30日東京朝刊》.凍土に含まれる火山灰を放射性年代法で測定した結果,約74万年前にできたものであることが判明したという.地球の気候は気温が高い間氷期を約10万年間隔で繰り返していることからすると,この永久凍土は間氷期でも融解しなかったことになる.北極圏の永久凍土が地球温暖化で融解すると大量の二酸化炭素が放出されて温暖化に拍車をかけるとされてきたが,年代測定が正しいとすればこの予測に疑問を投げかけるものである.
 もう一つは茨城大の磯田道史准教授(日本近世史)が,幕末の水戸藩の商人日記『大高氏記録』に1852年(嘉永五年)から約15年間,寒暖計でほぼ定刻に測定した気温記録が記載されていることを確認したという報道《12月29日東京朝刊》.それによると,その15年間の1月の推定平均気温は2.3度(現在の平年値2.8度),8月は25.9度(同25.0度)であるという.
 『気候変動に関する政府間パネル(IPCC)』の2007年2月報告は《既にこの100年で地球の平均気温は0.74度も上昇しており,これは人間がもたらしたものであることは,ほぼ間違いない》と言い切っているが,多くの理系おとーさん達は,ほんとかよ,と思っていることと思う.我が国の縄文時代の青森県が今よりずっと暖かかったのは常識だ.100年などという短期間の話ではなくもっとずっとロングスパンでは,むしろ寒冷化しているかも知れぬのである.
 地球温暖化肯定派と懐疑派の主張を冷静に比較すると,どうしても懐疑的にならざるを得ない.量的に最大の水蒸気による温暖化効果を無視するなど,肯定派の議論はあまりにも非科学的だからである.米国も中国も,本心では地球温暖化なんぞ信じてはいないのではないかと思われるが,温暖化肯定論の杜撰さをみると無理からぬところがあると言わざるを得ない.
 ではあるが,私は二酸化炭素問題に無関心であって良いとは思わない.温暖化問題ではなく,古くて新しい化石資源問題のことがあるからである.
 地球温暖化問題とは,限りある資源を,いわゆる途上国と先進国とで奪い合うという不都合な真実を「地球にやさしい」言葉で覆い隠すベールであり,科学の問題ではなく政治的課題なのだ.
 地球温暖化防止の啓発活動によりノーベル平和賞を受賞したゴア前米副大統領のテネシー州の豪邸の光熱費が,エネルギー垂れ流しの米国一般家庭の,さらにその二十倍であるという「不都合な真実」が暴露されたのは二年ほど前のことだが,ゴア氏だって地球温暖化を本気で信じてはいなかったのではないか.日本政府も,地球環境問題を来年は本音で語る必要があると思う.IPCCは「もう議論する余地がない」と言うが,懐疑派に正面きって反論したことはないのではないか.我が国のメディアはIPCC発表を垂れ流すだけでなく,少なくとも自分で温暖化論の検証記事くらい掲載するようでなければいかんと私は思うのだ.

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2008年12月27日 (土)

北方『三国志』(三)

 先日から北方『三国志』を読み始めたのは,ひょんなことから同僚に「吉川英治の『三国志』を若い頃から二度読んだ」と聞いたのがきっかけだ.彼は,三国志はおもしろいぞとも言った.それじゃあ読んでみるかと本屋に行ったら北方謙三の『三国志』が平台に積んであったというわけである.いや,吉川『三国志』も置いてあったので,それからいくのがよいかも知れないとは思ったのだが,吉川本は分厚くて通勤かばんに入れるのがちょっとね,と思ったのだった.
 というわけで私は,中国のこの時代と,そこに生きた英雄達については一般的知識しかないので著者の語るところをそのまま書くと,北方『三国志』に描かれた呂布の人間像はかなりオリジナリティのあるものだ.赤兎馬も然り.従来の赤兎馬の伝説が余りリアリティのないものなので,こっちの方がずっといいと思う.

 さて文庫の末尾には各巻の紹介宣伝文が載っているのだが,その結びのワンセンテンスを紹介しよう.

一の巻 天狼の星
…  激しくも哀切な興亡ドラマを雄渾華麗に謳いあげる、北方〈三国志〉第一巻。
二の巻 参旗の星
…  秋(とき)の風が波乱を起こす、北方〈三国志〉第二巻。
三の巻 玄戈の星
…  戦乱を駆け抜ける男たちの生き様を描く、北方〈三国志〉第三巻。
四の巻 列肆の星
…  戦国の両雄が激突する官渡の戦いを描く、北方〈三国志〉待望の第四巻。
五の巻 八魁の星
…  北方〈三国志〉待望の第五巻。
六の巻 陣車の星
…  北方〈三国志〉風雲の第六巻。
七の巻 諸王の星
…  周瑜、諸葛亮、希代の智将が、誇りを賭けて挑む『赤壁の戦い』を描く、北方〈三国志〉白熱の第七巻。
八の巻 水府の星
…  北方〈三国志〉激動の第八巻。
九の巻 軍市の星
…  北方〈三国志〉震撼の第九巻。
十の巻 帝座の星
…  英雄たちの見果てぬ夢が戦を呼ぶ、北方〈三国志〉波乱の第十巻。
十一の巻 鬼宿の星
…  北方〈三国志〉衝撃の第十一巻。
十二の巻 霹靂の星
…  北方〈三国志〉慟哭の第十二巻。
十三の巻 極北の星
…  北方〈三国志〉堂々の完結。

 もうおわかりであろう.第一巻から三巻は単に「北方〈三国志〉第○巻」であるのに対して,第四巻以降は,待望の第四巻,待望の第五巻,風雲の第六巻,白熱の第七巻,激動の第八巻,震撼の第九巻,波乱の第十巻,衝撃の第十一巻,慟哭の第十二巻と,一つのパターンに収まっている.
 この文章の作成者は,第三巻までは何気なく書いたものと思われるが,さすがに第四巻で「これではいかん,芸がない」と思ったのだろう,「待望の」を付け加えてみたのだ.第五巻は,締め切りに追われてうっかりまた「待望の」にしてしまったのだが,この手抜きを上司に叱責され,次巻からは性根を入れ替えて風雲,白熱,激動,震撼,波乱,衝撃,慟哭と苦しみながらもひねり出したのに違いない.きっとそうだ.文句ありませんね.はい.

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2008年12月24日 (水)

北方『三国志』(二)

 出張先での仕事を終えて博多駅に戻ってきたのは午後四時だった.福岡空港から東京行きの便は18:45なので,暇がたっぷり二時間はある.そこで同行した同僚二人と軽く飲むことにした.二人とも明日は北九州市で用事があるので,こちら泊まり.二つ返事でそうしようということになった.
 博多駅の地下街に降りて和食屋に入り,品書きを見ると芋焼酎で『赤兎馬』てのがあった.同行の二人を相手に,呂布と赤兎の物語についての蘊蓄たれつつロックで三杯飲んだ.大きなグラスになみなみと注がれていて,これがとても安い.高菜の辛子漬,板わさ,がめ煮,ざるに掬った豆腐を肴に頼み,焼酎ロックが都合六杯に熱燗三本で,三人様お会計が五千六百円.うむ安い.

 帰りの機中で北方『三国志』第五巻を読む.巻末に近いところで晩年の赤兎馬についての話があった.
 鮮卑東部白狼山に烏丸族を追撃していた曹操の陣に,劉備を師と仰ぐ馬飼いの洪紀が訊ねてくる.白狼山麓は広大な牧場であり,ここに兵を入れないでくれというのである.もし進軍するなら自警軍を出すといった.
 その軍を率いているのは誰かと問うた曹操に,洪紀は成玄固であると答えた.成玄固はかつて劉備に仕え,曹操が呂布を包囲した時,傷ついた赤兎を死なせないでくれとの呂布の最後の望みを聞きいれ,赤兎馬を連れていずこへか去った武将であった.
 曹操は洪紀に,成玄固に会いたいといい,洪紀が案内したその場面.

《「赤兎馬も老いたであろう、成玄固?」
 「はい。人の歳で測れば、もう老人でございます」
  …
 「成玄固殿、礼を申します」
  張遼が出てきて言った。
 「赤兎が死ぬことを、呂布様は恐れておられました。
  ここまで長命を保つとは、赤兎と別れても呂布様
  にとっては本望でありましょう」
 「張遼殿、赤兎は死にません。われらの心の中で、
  決して呂布様が死なぬのと同じように」
 「そうか。そうだな。赤兎は死なぬ」
 「もうよい」
  曹操が口を挟んだのは、羨ましさに似た感情に襲われたからだった。
  自分がどこかの戦場で果てたとして、心の中では生き続けている、
 と言ってくれる人間が何人いるのか。》

 赤兎馬は三頭の子をなしたという.そのうちの一頭の運命は知っているが,あと二頭はどうか.詳らかにされるのだろうか.

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2008年12月23日 (火)

北方『三国志』(一)

 仕事で博多に来ている.
 先週の末から風邪をひいて,検査してもらったらインフルエンザだという.それで酒ではなくタミフルのカプセルを飲み,ベッドで北方謙三『三国志』を読んでいる.
 人と人以外の動物に心の交流が可能なのかよくわからないが,あると思うことで私たちの心は安らぐように思える.北方『三国志』で描かれた呂布とその愛馬赤兎の物語のことだ.
 呂布の死を悟った赤兎が海に身を投じようとする場面では,すれからしのおっさんの鼻の奥がつんとした.赤兎の子孫が戦場を駆けるのは第何巻なのか.

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2008年12月22日 (月)

ヤシガニ

 読売新聞《Yomiuri Online 12/22 15:03》に,ヤシガニの産卵場所に関する論争に決着がついたとの記事があった.陸上で産卵するのかそれとも水中かの論争だという.水産総合研究センター西海区水産研究所石垣支所の研究者が世界で初めて《海岸線から3メートル離れた石灰岩の岩壁中腹にできた裂け目の奥で、卵を産んで腹に抱えている様子を》(同記事から引用)撮影することに成功した.論争が始まってから六十年だっていうから,西海区水産研究所の人達はさぞ嬉しかっただろう.
 ではあるが素人の悲しさ,この記事では隔靴掻痒,わからないことがある.ヤシガニは泳ぐことができず,海に入れないのに,どうして水中で産卵できるのかとの疑問が湧く.
 Wikipediaはどうなっているのか.
《ヤシガニは成長すると産卵時を除いて水に入る事は無い。また、まったく泳ぐことが出来ないため、波打ち際までしか入ることが出来ず、水の中では溺れる》
《雌は数ヶ月間卵を抱えたまま生活し、10月か11月の満潮時、いっせいに孵化したゾエアと呼ばれる幼生を放出する》
と述べられており,曖昧ではあるが,水中というよりは波打ち際で産卵すると書いている.今回の発見では《海岸線から3メートル》だから,水中で産卵するというよりは《波打ち際》とするのに近いだろう.またWikipediaでは数ヶ月間抱卵するとしているが,読売の記事では約一ヶ月となっていて,こっちの違いが大きいのではないか.いずれも素人考えだけど.
 とまあそんなことは専門家におまかせするとして,ヤシガニは我が国では絶滅危惧種であり,沖縄本島ではほぼ絶滅し《八重山諸島でも、ここ数年で乱獲や交通事故等のため急速に個体数が減少している》(Wikipedia)
 この「乱獲」とは何か.食っちゃうらしいのだよ,沖縄観光客が.食うやつも悪いが,食わせるやつはもっと悪い.私はそう思う.

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2008年12月18日 (木)

朱鷺

 私は母方の実家が佐渡島であったので,小学生の頃に佐渡へ何度か行ったことがある.
 その当時の日本における朱鷺の生息数をグラフから読み取ると既に10羽以下で,ほぼ絶滅寸前であった.

 朱鷺についてWikipediaには
《1934年に天然記念物に指定された。当時はまだ佐渡島全域に生息しており、生息数は100羽前後と推定されていた。終戦後は、1950年を最後に隠岐に生息していたトキの消息は途絶え、佐渡での生息数も24羽[12]と激減していたことから、1952年3月に特別天然記念物に指定され、1954年には佐渡で、1956年・57年には石川県で禁猟区が設定された。しかし、禁猟区には指定されたものの生息地周辺での開発などは制限されなかった。また、民間の佐渡朱鷺愛護会や愛好家の手でも小規模な保護活動が行われるようになったが、1958年には11羽(佐渡に6羽、能登に5羽)にまで減少した》
とある.

 相川町のひなびた漁村で漁師をしていた伯父から,昔の佐渡には朱鷺という鳥がいてなあ(実際には佐渡弁で)と聞かされた記憶があるが,既に実物を見ることはできず,額縁に納めた写真でその美しい飛翔の姿を見せてもらっただけである.そして四十数年後の2003年10月10日,最後の日本産朱鷺であった「キン」が死に,我が国の野生朱鷺は絶滅した.
 その後,朱鷺の人工繁殖に取り組む人々によって,佐渡トキ保護センターでは108羽にまで増え,今年9月25日,佐渡市西麓地域で10羽が試験放鳥された.Wikipediaから引用すれば《1981年の全鳥捕獲以来、実に27年ぶりに日本の空にトキが舞った》.この時の関係者の喜びがどれほどであったか想像に難くない.
 だが放鳥されたうちのメス一羽が14日,骨だけの死骸となって発見された.他の鳥に襲われて怪我をして動けなくなったところを,タヌキにでも食われたものと思われるという.専門家会合では緊急時に限って捕獲保護することにしたばかりであったが,不測の事態になすすべがなかったようだ.放たれた朱鷺の行方を見守っていた人達の胸中いかばかりであろうか.滅び行くものを救うこと,難しいものである.

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2008年12月14日 (日)

接続復旧うどん

 昨日ようやく@niftyのサポートから,故障したイーアクセス回線ADSLモデム・ルータの交換品が届いた.故障してから接続復旧まで約二週間かかったわけだが,復旧遅延の理由は,@niftyのサポートの悪さもあるが,本質的にはこのADSLモデム・ルータがレンタル品しかなく,代替品を他から入手できないという点にある.以前はイーアクセス回線で動作確認された代替品が店頭あるいは通販で買えたから即復旧可能だったのだが,今はすべて製造中止になってしまっている(←新規ADSL回線の需要がないから).そのため@niftyのサポートを経由しないとどうにもならないのだ.トラブル発生時の復旧の早さのことは,今後,光回線にする場合の参考にせねば.

 それと全然関係ない話.
 藤沢駅ビルの中のQUEEN'S ISETAN藤沢店の棚を漁っていたら濃縮タイプの「白だし」が何種類か置いてあるのを見つけた.これで関西風のうどんでも作ろうと,そのうちの一本を購入した.ラベルに「関西風割烹料亭の味」と大書してあり,一括表示には「販売者 株式会社あさみや」とある.
 で,早速希釈して関西風うどんをこしらえてみたら,なんじゃこれは,と言いたくなる味だった.妙に甘いのである.
 うどんの汁に好ましいほどの出汁の濃さに希釈すると甘すぎて飲めない.塩を入れると甘塩っぱくもっと変な味になる.さればとて希釈倍率を上げて塩を加えると,風味が薄くて頼りない.つまりは砂糖の入れすぎなのだ,この「白だし」は.
 調べてみると株式会社あさみやは大阪の会社で,主に茶を扱っている業者であるらしい.出汁は畑違いというわけである.そのような会社のものを買った私がバカだったという結果だが,QUEEN'S ISETAN藤沢店の仕入れ担当者の顔が見たいぞ.

 というわけでタイトルを「接続復旧うどん」としてみた.内容がわかりやすいですか.そうですか.よかったよかった.

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2008年12月 8日 (月)

接続不能

 少し前の週末に,我が家のADSLモデムルータが故障した.前夜までは異常なしだったのに,朝起きてみたらウェブに繋がらなくなっていたのである.@ニフティの接続サービスを介して,回線はイーアクセスである.今時ADSLは少数派であるが,これでネトゲもできるし,ウェブのブラウズにも特に不満はないので光にせずにADSLを使い続けているのだ.
 故障したモデムルータはPOWER LEDを含めLEDランプが全部消灯状態で,初期化もできず,直感的にこれはハードの故障であると思った.そして翌月曜に出勤してから@ニフティのサポートに状況を簡単に書いたメールを打った.
 数日後,サポートから返事があった.まず初期化・再設定をして欲しい,それで改善されなければADSLモデムルータを交換するという.
 まず初期化・再設定をしてくれって・・・POWERが入らんちゅーとるのに.

 しかし人格円満な私は争いごとを好まない.対応が遅いことにも文句を言わず「初期化操作をしましたが,状況は改善されませんでしたので交換してください」というメールを今日打った.

 ウェブに同様な例があるか調べてみた.
 すると出てくるのですね.皆さん初期化操作をしてダメだったからサポートに連絡してるのに,返ってきた回答が「初期化してくれ」ってのが.サポートは,ユーザーからのメールの内容のいかんに関わらず回答してるのかも.初期化操作って,ハード交換の際の儀式なんだろうか.
 ともあれ,交換品が送られてくるのに,一週間から十日かかるという.この記事はミニノートからアップしたが,小さいキーボードで文章を書くのって何となくめんどくさいなあ.

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