牛飲
私は,まあ人並みの読書をするほうだと思う.しかし元々が理系である上に人生の大半を仕事仕事で過ごしてきたためか,我ながら教養に欠けるなあと思う.もちろん読書をするしないに関わらず培われる人間性も一方にあるわけだが,それは教養とは区別しておく.
そういう意味の教養という点で,例えば新聞コラム筆者などは尊敬に値する.次の引用(《》)は11月22日の読売新聞『編集手帳』が取り上げていた岡倉天心のエピソード.
《岡倉天心は大学で学びつつ妻帯したが、夫人はなかなか気性の激しい人であったらしい。夫が苦心して書き上げた卒業論文「国家論」を夫婦げんかでビリビリに裂いて捨ててしまった》
天心はやむなく二週間で代わりの『美術論』をまとめ,提出期限に間に合わせたという.すなわち結果的に岡倉天心を美術に誘導したのはその夫人の癇癪であったことになる.
この話はどこかで読んで知っていたが,『編集手帳』子によると,文春文庫『歴史よもやま話』(日本篇・下,池島信平編)の中にあるという.岡倉天心の項でこのエピソードを語っているのは天心の孫,岡倉古志郎氏.古い本(1982年第1刷)ではあるが,文春文庫であるから手の届かない本ではなかったはずだが,私は未読だ.ネットで探してみると,既に絶版の古書である.ううむ,どうしよう.
それはそれとして,同書によると夫人に晩酌を銚子一本と決められていた晩年の天心は,家族を相手に《コナン・ドイルの推理小説を語り聞かせ、佳境に入ったところで沈黙して「もう1本…」と催促したという》
なるほど.私もこの話を早くに承知しておれば,一人で切れ目なく鯨のように呑むことをせず,友と推理小説談義をかわしながら時折お酒のおかわりを頼み,結果的に懐を痛めることもなかったのになあ,と反省した.教養がないと栄養が身についてしまうのである.
さてさらに脇道に.
「鯨飲馬食」は辞書に「鯨が水を吸い込むように酒を飲む」とある.分かりやすいたとえだが,これって鯨と馬の取り合わせが悪くないか.私は昔から「牛飲馬食」と書いていて,それは牛と馬の語呂がいいからである.「鯨飲馬食」と「牛飲馬食」のいずれが普通に使われる四字熟語か知らないが,二葉亭四迷『浮雲』に「牛飲馬食」の用例があるそうだ.両方とも出典はここに解説されている.
「鯨飲」と並べるなら「象食」くらいでないとバランスが悪いから,「牛飲馬食」の方がいいと私は勝手に思っている.そう書いてから思ったのだが,牛ってそんなに水をがぶがぶ飲むのだろうか.
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント