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2004年1月 5日 (月)

毅然ということ

 マスコミや各種メディアで伝えられるブッシュ大統領の言動をみていると,かのSF映画のごとく,敵との戦いを前線で指揮奮闘する「強い大統領」を演出したいのだなということが理解できる.
 けれども,いくら軍服を着てさっそうとマスコミのカメラの前に登場しても,他国の人間から見ると「へっ,ヴェトナム行きが恐ろしくて徴兵を忌避したくせに」と思ってしまう.案外,それは彼のトラウマになっているのかも知れないが,今更遅い.

 公明党の神崎氏はイラクへ行って大いに男を下げて帰ってきた.行かない方がマシだったくらいの叩かれ方だった.二,三日現地に滞在していれば話は全然違ったろうに.
 首相はどうするんだろう.最高指揮者はあくまで後方で兵を指揮するのだろうか.

 私はどうかといえば,戦争なんか大嫌いだ.というより砲弾銃弾雨あられの中に行くなんて恐ろしくて震え上がってしまう.
 でも,もしも別の世界での仮の話として,第二次大戦あるいは今のイラクのような戦場に行けと命令されたらどうするか.
 たぶん行くだろう.

 昔,北山修が学生で若い時,ラジオで「徴兵されたら逃げよう,逃げて逃げまくろう」と言ってリスナーの強い共感をよんだことがある.
 若かったら私は逃げる.
 しかし今の私だったら,たぶん行くだろう.

 タイム・スリップもののSFみたいだが,古典的「有事」に日本が直面して足腰立つ成人男子はすべて銃を持って戦えという事態になったら,きっと「非国民」という言葉が復活するに違いない.
 もし私が逃げたら,私の家族は「非国民」と呼ばれて辛い思いをするだろう.それだけはいやだ.だから戦場に行くだろう.行ってベソをかきながら,恐怖で小便をちびって,しかし進めと言われればそれでも銃を持って前に進んでいくだろう.家族に悲しい思いをさせたくないから.

 『休日散歩』に書いたことの補遺.
 沖縄戦で戦死した米軍第10軍司令官・バックナー中将は,戦死した日,危険だからと周囲が止めるのも聞かず前線に出ていったのだそうだ.
 沖縄守備軍第八十九歩兵連隊長金山均大佐は,全軍玉砕が確実になった六月十五日の午後,生き残った百人ほどの部下を集め,司令部は総攻撃を命令するだろうが自分は命令に従わないと述べ,連隊旗を焼いて連隊を解散した.そして部下の将兵に対し,いたずらに死ぬな,本土に帰還したいものはそうせよと言って自らは割腹して自決した.介錯をした連隊副官の佐藤大尉も金山大佐の後を追って自決した.
 伝えられる大田海軍司令官の最期も壮絶だ.彼が打電した「沖縄県民斯ク戦ヘリ」は,非戦闘員を巻き込むという軍人らしくない戦いを強いられた司令官の悲痛な抗議ではなかったか.

 このような毅然たる人々に対しては,正直言って頭が下がる.
 だが自らが構想した沖縄戦で十五万人を死なせたあと,投降しておめおめと生き残った八原博通高級参謀という人は戦後,沖縄におけるあの悲惨な戦いは自分のせいではないという趣旨の言い訳をうだうだと言い残しているそうである.
 また沖縄守備軍司令官・牛島中将が自決したとされるのは,六月二十三日午前四時過ぎのことだったと伝えられているが,摩文仁の平和祈念公園にあったパネルには,日時は日本側資料によると書かれていた.司令官の最後の様子の真相は今も不明なのだそうだ.

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(本記事は,既に閉館した個人サイト《江分利万作の生活と意見》に掲載した文章の体裁をブログ用に整え,引用元のリンクを張ったものである)

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