« あの娘はご飯を作りにいったはずだったのに | トップページ | 沖縄旅行ノート(1) »

2003年7月27日 (日)

背負うには重すぎる

 湾岸戦争を思いだしてみる.1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻,これを併合した.侵攻の4日後,国連安保理で対イラク経済制裁が決定され,国連を中心としたイラク非難の国際世論が形成された.多国籍軍は,安保理決議で要求した撤退期限切れ直後の1991年1月16日,イラクに対する戦端を開き,首都バグダードや石油産業の中心地バスラを空爆して,ほとんど一方的な勝利を収めた.

 開戦前の10月,クウェートから脱出してきたと称するナイラという少女が米下院で,ある証言を行った.証言は,クウェートの病院でイラク兵が保育器から300人近い赤ん坊を引きずりだし,床に叩きつけて殺したのを目撃したというものだった.この少女ナイラが涙ながらに語った証言は,米国内の世論を大きく開戦に傾かせたとされる.
 のちに,この少女が実はワシントン駐在の駐米クウェート大使の娘であり,ナイラ証言は米政府が大手広告代理店を使って演出した戦争プロパガンダであったと,ニューヨークタイムズ紙が暴露した.
 戦争と人間の運命.私は13年後の今,あのナイラがどうしているのか知りたい.私はナイラ証言の映像を見ていないのだが,全米の国民が騙されたくらいだから,きっと迫真の演技だったのだろう.
 証言に立った時のナイラは,自分に課せられた恥ずべき任務を,どのように納得したのだろう.そして成長した現在の彼女はどうだろうか.自分に一生について回るあの偽証を,目的のために許される手段だったと確信しているだろうか.そうでないとしたら,汚れたヒロインとして生きていく人生は余りに辛くはないか.

 イラク戦争の2003年3月23日,イラク南部ナシリヤのユーフラテス川にかかる橋付近で起きた民兵組織・フェダイン・サダム (サダム忠誠隊) との戦闘で米兵多数が死傷し,米陸軍第 507整備補給中隊に所属する十九歳の女性兵士,ジェシカ・リンチ上等兵他の6人が捕虜になった.米政府は507中隊の奮戦と,リンチ上等兵は敵の銃弾を浴びて重体であり,イラク側は彼女を治療していない,などとする発表を行った.

 米軍は救出作戦に海軍特殊部隊 SEAL を投入し,リンチ上等兵が「サダム病院」でイラク軍に拘束されているとの情報を得て,戦闘ヘリコプターで同病院を急襲した.同時に海兵隊が別の軍事拠点を一斉攻撃してイラク側を撹乱し,翌月2日,米軍はリンチ上等兵を救出したと発表した.テレビでは,病院に自動小銃で武装した部隊が突入し,救出したリンチ上等兵をヘリコプターで搬送する米軍側の映像が繰り返し放映された.そして彼女は一躍全米のヒロインとなった.
 リンチ上等兵の故郷,パレスタインは,州都チャールストンの北東にある人口千人足らずの町.この町では

リンチさんが行方不明になって以来、木や電柱などに黄色いリボンを結び、無事を祈っていたという。それだけに救出の報に、花火を打ち上げ、車のクラクションを鳴らし続けるほどの騒ぎとなった

とのことである.(《》内は東京新聞 4/5付「特報」から引用)

 しかしその後,英BBCテレビは,救出されたリンチ上等兵の体には銃創がなく,また病院にイラク兵は1人もおらず,つまりあの救出劇は国防総省によるハリウッド映画的演出であったと批判した.
 ワシントン・ポスト紙も6月17日,

リンチさん周辺や国防総省、イラクの病院関係者ら数十人に取材した特集を掲載。リンチさんの部隊は道に迷った末にイラク軍と遭遇し、慌てて交戦したため味方の車両同士が衝突▽この事故でリンチさんは重傷を負った▽銃の故障でリンチさんは1発も発砲していないと指摘。軍情報に基づく3時点の同紙の報道を訂正した》.(《》内はAsahi Com 6/23 10:08 から引用)

 7月22日,ジェシカ・リンチ上等兵はワシントンの陸軍病院を退院してウェストバージニア州の故郷に帰った.陸軍のヘリとオープンカーを乗り継いでの凱旋であった.
 星条旗を背景に記者会見したリンチ上等兵は帰郷の喜びを語ったが「偽りのヒロイン」の件については言及しなかったという.(Asahi Com 7/23 12:29)
 捕虜になった時,マスコミは,彼女は幼稚園の先生になるための学費を稼ぐ目的で陸軍に志願したと伝えた.米のメディアによればリンチ上等兵は近く軍を去るようだが,初志通りに大学へ進学して幼稚園の先生になるのだろうか.自らの意志によらず政治的ヒロインに仕立てられた彼女は,子供達の前でヒロインを演じ続けることができるのだろうか.自己責任がないだけ偽証の少女ナイラよりはましであるが,しかし若い女性が一人で背負うには重すぎる運命ではないか.

 もう一人,気がかりな女性兵士がいた.リンチ上等兵と同じ507中隊所属の炊事兵で,3月23日に捕虜となったショシャーナ・ジョンソン技術兵である.
 負傷し,怯えた彼女の姿はイラク側から世界中に流されたのだが,その映像が戦争はオモチャの軍隊の戦いではないことを示していて,戦意高揚プロパガンダに相応しくなかったためか,その後の彼女の消息は不明なままである.ウェブを検索してみたが,日本のマスコミは彼女のことを伝えていないようである.
 彼女は無事に帰国できたのだろうか.そうあって欲しい.
 リンチ上等兵とは異なってヒロインにはならなかった黒人炊事兵のことを人々はすぐに忘れるだろう.だからナイラやリンチ上等兵に比べれば,ジョンソン技術兵は幸せかも知れない.二歳の娘を育てるシングルマザーだった彼女は,いつの日か娘が成長した時に,彼女のイラク戦争をどのように我が子に語るだろうか.

|

« あの娘はご飯を作りにいったはずだったのに | トップページ | 沖縄旅行ノート(1) »

新・雑事雑感」カテゴリの記事

私が昔書いたこと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 背負うには重すぎる:

« あの娘はご飯を作りにいったはずだったのに | トップページ | 沖縄旅行ノート(1) »