2019年8月19日 (月)

なんで上から by 橋本環奈

 NHKスペシャル『昭和天皇は何を語ったのか ~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~』を視聴した高齢者は多かろう.この番組は,初代宮内庁長官の田島道治氏が記した『拝謁記』を,氏の死後保存してきた遺族がNHKに提供したことを報道したものである.今回の番組はほんの速報程度の内容であり,NHKから『拝謁記』の史料検討を依頼された日本近現代史専門家 (*) たちが,いずれ詳細な議論を国民に明らかにしてくれるものと期待される.
(*) 日本大学の古川隆久教授,志學館大学の茶谷誠一准教授,成城大学の瀬畑源非常勤講師,京都大学大学文書館の冨永望特定助教を中心メンバーとする十人.
  
『拝謁記』に関する第一報であるNHKニュースが流れたあと,おもしろいものを読んだ.
 一つは,あの八幡和郎が書いた《NHK「昭和天皇 拝謁記」の悪質な歪曲に呆れる》(掲載日時;2019年08月19日 06:01) である.この記事は政治ネットメディアである例のアゴラに掲載された.その文章中の一部を下に引用する.
 
歴史研究家が何人か登場していたが、あまり有意義なコメントは出てこなかった。外交や政治や皇室についてのリアリティの知識や感覚がない人が推理や解釈などしても価値がある分析などできるはずがない。資料分析の専門家は参考意見を言うだけに留めておいてほしいものだ。
 
 NHKスペシャルの中でコメントしていた一人に,歴史家として著名な秦郁彦氏がいる.八幡は,暗に秦氏は《外交や政治や皇室についてのリアリティの知識や感覚がない人 》だというのだが,私のような一般人は,八幡のエラソーな書きっぷりに「なんで上から」と思ってしまう.秦氏を挑発するなら,ちゃんと名指しをするのが礼儀だろうと思う.
 また八幡は『拝謁記』の内容は目新しいものではないと切り捨てている.『拝謁記』全文を読んだのはNHKから史料の分析を依頼された専門家たちであり,新聞社等のメディアに提供されたのは『拝謁記』の一部であると毎日新聞が書いている.だとすると八幡は『拝謁記』の一部分すら読んでいないわけで,NHKスペシャルを視聴しただけで,よくまあ『拝謁記』の価値を否定できるものだと感心した.
 
 もう一つは,これまた「例の」w 天木直人がアップした
NHKニュース9が報じた昭和天皇の本音と日本の夜明け 》(掲載日時;2019年8月16日) である.一部を引用する.
 
実際のところ、NHKは古川隆久という学者を登場させて要領の得ない解説をさせていた。
 古川隆久という学者は、みずから解説するのではなく、こういうべきだったのだ。
 こんな重要な史実を、私ごときが解説などする資格はないと。
 
 天木直人は,古川教授の学識を一刀両断に《私ごときが 》と書いて全否定しているが,そのエラソーな態度とは逆に史実と史料の違いを理解していないという無知をさらけ出している.古川教授がコメントしたのは『拝謁記』という「史料」についてだ.ああ恥ずかしい.その程度の学力でよくまあ,だ.橋本環奈ちゃんの最近のCМにならえば「なんで上から」である.

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2019年8月16日 (金)

マカロニ市場藤沢店は雨漏りレストラン (笑)

 藤沢市の大庭というところに,イタリア料理店「マカロニ市場 藤沢店」がある.イタリア料理といっても東京にあるような本格のイタリア料理ではない.普通のファミレスタイプのパスタとピザの店だ.郊外型レストランでフロアは広い.
 ちなみに大庭は,鎌倉武家の大庭氏が拠った土地である.
「マカロニ市場 藤沢店」は,何年か前によく利用した店である.
 どういうわけか藤沢市周辺の一帯には,軽食を出す小さなドッグカフェはあるが,犬を連れて入れるレストランはほとんどない.ペットOKと料理店のサイトに書いてあっても,屋根のないテラス席だったりする.冬は寒風に晒され,夏には炎天下に飼い主も犬も青息吐息の有様となる.また通年,雨の日は使えない.そこにいくと
「マカロニ市場 藤沢店」には犬連れ客専用の屋内スペースがあるので,飯時には犬同伴客で満席のことが多い.
 
 さて昨日,夏休みだとて息子と娘が陋屋に来てくれた.そこで西日本を台風10号が襲い関東も時折激しい雨が降る悪天候の中ではあるが,愛犬を連れて「マカロニ市場 藤沢店」へ食事に出かけた.私たちは十一時の開店と同時に店に入った.以下はそのレポートである.
 
 店の紹介サイトに「わんちゃんレストラン」と題した写真があるので紹介しておこう.九枚の写真のうち下の図で黒四角で示したのがそのスペースの内装である.(掲載は2019年8月15日時点)
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 だが,この写真はかなり前の写真であると思われ,現在は酷い状態になっている.
 まず,内装写真の一番奥,突き当りの壁にエアコンが設置されているのがわかる.このエアコンは,フィルター掃除の時に壊したのだろうが筐体の前面カバーが落ちてしまうみたいで,今はガムテープを貼って落ちないようにしてある.そこまで酷く壊れたのなら買い換えたらどうだと私は思うが,動作しないエアコンはそのままになっていて,代わりに床に置かれた二台の家庭用扇風機がブンブンと回っていた.
 この「わんちゃんレストラン」は,内装写真では天井が見えないが,実は以前から天井板がないのである.透明塩ビの波板が屋根として張ってあるだけだった.
 その波板が経年劣化して割れてしまったのだろう.現在は台風で屋根が飛ばされた家屋のようにビニールシートで一時的に補修してある.塩ビ波板を張り替えるくらいは簡単なDIYの範疇だと思うが,修繕はしていない.しかもそのシート補修を全くの素人がやったと見えて隙間があり,昨日は雨が降っていたから雨漏りがしていた.まるで豪雨で被災したレストランのようであった.w
「ひでーなー」と言いつつ私たちが着いたテーブルは,かなり汚れていた.ろくに掃除をしていないと思われた.
 以前はこのスペースの端っこに犬用の水を入れる皿があったはずだと思って,そこに行ってみた.すると,洗ったようには見えない皿に汚れた水が入れたままになって置かれていた.昨日の客が使ったあと置いていったままなのであろう.見るからに不潔で,そんな皿を愛犬に使う気になれない.私は愛犬と出かける時はプラスティックの水入れ (アウトドア用の折りたたみコップ) を持ち歩いているので,店員が持ってきたグラスの水をそれに入れて犬に飲ませた.
 窓の外は雨.ベタベタに汚れたテーブルに落ちる雨漏りのしずく.ペット用の不潔な水入れ.しみじみと気の滅入る食事となった.
 断言するが,店内の掃除をおろそかにするような店の料理がうまいはずがない.それが証拠に,下のレシートの画像に「Pzハーフ&ハーフ」とあるピザは半分がマルゲリータのはずだったのに,マルゲリータ部分にチーズが載っていなかった.チーズの載ってないピザを私は初めて見た.
 お勘定は三人で六千円だった.温パスタ「季節野菜のトマトクリーム」は,アルデンテを通り過ぎていた.逆にピザ「蓮根バジル」は,噛むと蓮根がバキバキと音を立てた.
 今の日本は,あらゆることに「割引」がある.従ってこの店には「生蓮根割」「チーズ抜きマルゲリータ割」「エアコン故障割」「雨漏り割」「不潔割」があって然るべきであると思ったが,そのようなサービスはなかった.
 もう二度と来るものか.つぶれてしまえ.そう思った.ごちそうさまでした.(←食レポサイトの定型結語 ^^)
20190816a

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2019年8月15日 (木)

真・眠れる森の美女

 先日,映画館で『天気の子』を観たのだが,本編上映が始まる前の予告編は今秋公開の『マレフィセント2』と『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』だった.そういえば日本でも大ヒットした『マレフィセント』を私は観ていなかったので,中古のブルーレイを買って鑑賞してみた.
 
 ディズニー・プリンセスたちの中で,やや存在感に欠けるのがオーロラ姫,『眠れる森の美女』のヒロインだ.この長編アニメは公開当時はあまりヒットしなかった.Wikipedia【眠れる森の美女】には次のように書かれている.
 
6年の歳月と600万ドルの費用をかけ、300人のアニメーター、セル画数100万枚。これはディズニー映画史上最も贅沢で豪華な長編アニメ映画である。だが興行収入は530万ドルにとどまった。ウォルト・ディズニーが、本作に注力出来なかった事が作品の質に悪影響を及ぼしたのではないかと指摘する論者もいる。しかし1970年、1979年、1986年の再公開で人気が高まり、ディズニーの大切な財産となった。
 
『マレフィセント』は,アニメ『眠れる森の美女』の実写版リメイクである.アニメでリメイクした場合は,様々な点でオリジナルとリメイクが競合することになるが,アニメと実写版なら共存できる.
 アニメ『眠れる森の美女』(1959年) は,白雪姫 (1937年),シンデレラ (1950年),ふしぎの国のアリス (1951年) に続くディズニー・プリンセスものの第四作で,ストーリーがいかにも古臭い.また,女性の受動的な描き方は,女性差別だと言われても仕方ないところがある.しかし最近のディズニー作品は,かつて女性差別のシンボルだと批判されてきたアニメのディズニー・プリンセスたちを,実写版化することで現代社会に up to date しようとしているかに見える.このディズニー映画の動きは最初に,アニメの実写化作品ではない『魔法にかけられて』で,ディズニー映画自身の過去の作品をパロディ化 (セルフ・パロディ) することで始まった.その路線上で,ベルもエラも,誰かが幸せにしてくれるのを待つだけのヒロインから脱却したのである.
『魔法にかけられて』以後,それまでの古臭いディズニー映画を,ディズニー映画作品が自ら嘲笑するときのキーワードが“true love's kiss”だ.(『魔法にかけられて』の主題歌“True Love's Kiss”の歌詞はここ)
 
 歌詞中の someone who was meant for you すなわち「あなたのために生まれてきた人」は,「赤い糸で結ばれている人」「運命の人」のこと.ロマンティックではあるが,ただの一目惚れを true love だと言い張っているのである.
 元祖 true love kiss はディズニーの『白雪姫』(YouTube 前半後半) だが,アニメ冒頭で,ボロを着て井戸の水汲みをしている白雪姫に王子様は一目惚れする.容姿の可愛らしい娘であれば,性格なんかはどうでもいいという王子様の頭の中身がまる見えだ.
 ちなみにグリム童話の『白雪姫』はもっと酷くて,Wikipedia【白雪姫】には《そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり、死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける 》なんて書かれている.そのため「本当はこわい」ブームの時に,王子様は本当は変態だとまで言われた.
 それはいくら何でも,と思われるが,一目惚れは一時の気の迷いであることが多い.そのため,おとぎ話の結びの決まり文句は“They lived happily ever after. ”であるが,これは“They lived happily ever after although they got married. ”の省略形であると言われる.誰が言っているかというと私だ.
 
『マレフィセント』は,この『白雪姫』型の true love's kiss を否定したものだが,『魔法にかけられて』のようなパロディではなく,いたって真面目なシナリオである.しかしさすがにアニメ映画史に傑作として残る『白雪姫』を,またディズニー・プリンセスの二枚看板である『シンデレラ』と『美女と野獣』をパロるわけにはいかなかったのであろう.そこでディズニー・プリンセスの中では影の薄いオーロラ姫を語り手に設定し「真・眠れる森の美女」として実写化されたのが『マレフィセント』なのである.
 その意図は達せられたと評価されるが,しかしこの作品は true love's kiss を否定するあまり,オーロラ姫の父である国王は,権力欲のためには平気で恋人を裏切る最低男として描かれている.またオーロラ姫はオーロラ姫で,父である国王を墜落死に追い込んでも心に何らの葛藤も呵責も覚えずに笑顔で女王の座に就いている.というわけで『マレフィセント』は,元々はおとぎ話なのに,まことに幼児教育的に好ましくない映画となっている.w

 そんなわけで『マレフィセント』を鑑賞した感想は「まぁまぁ」なのであるが,一つ不満がある.それはオーロラ姫にかけられた呪いのことだ.
『マレフィセント』以前のこととして,そもそもグリム童話でもディズニーのアニメでも,『眠れる森の美女』のお話には不可解な謎がある.それは,オーロラ姫にかけられた呪いの「糸車の針」とは一体何か,ということなのである.
 これについては,私は以前にも記事《蚕のこと 》の中で指摘したことがある.下にそれを転載する.
 
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蚕のこと  (以下,原文の一部を転載)
…  
 話は横に逸れるが,糸車については面白いことがあって,『眠れる森の美女』で主人公の王女は「指を糸車で刺して死ぬ」という呪いをかけられて長い眠りにつくのであるが,実は糸車には指を刺すような部分がないのである.
 ちなみに Wikipedia 【眠れる森の美女】から物語を抜粋してみると次のようである.
 あるところに子どもを欲しがっている国王夫妻がいたが,ようやく女の子を授かったので祝宴に十二人の魔法使いが呼ばれた.魔法使いはそれぞれ魔法を用いた贈り物をするが,その途中で,祝宴に一人だけ呼ばれなかった十三人目の魔法使いが現れて「王女は紡錘が刺さって死ぬ」という呪いをかける.まだ魔法をかけていなかった十二目の魔法使いがこれを修正し,「王女は紡錘が刺さり百年間眠りにつく」という呪いに変えた.呪いを取り消さなかったのは修正する以外に方法がなかったためである。
 王女にかけられた呪いを心配した王は国中の糸車を燃やさせてしまう.ところが王女は十五歳の時に一人で城の中を歩いていて塔の上に上ってしまい,塔の一番上で老婆が紡いでいた紡錘で手を刺し,眠りに落ちてしまう.塔は呪いによって茨が繁茂して誰も入れなくなった.
 さて百年後に,近くの国の王子が噂を聞いて城を訪れる.ここから先は黄金のパターンで,王子がキスをして王女は目を覚まし,結婚して幸せな生活を送ったとさ.よかったよかった.
 
 というのが『眠れる森の美女』のお話であるが,問題は紡錘 (スピンドル) である.上に書いたように紡錘には別段尖った部分はないから,どうすれば指に刺さるかがわからないのである.
 ここら辺のことは Wikipedia【糸車】の「物語の中の糸車」節にあるので,興味ある向きはどうぞ.
 またこの節には,
《英語の「spinster」という語は優れた紡ぎ手を指す古語だが、後に結婚しない女性のことも指すようになった(糸紡ぎの仕事で結婚しなくとも自活できるとの意味)。》
とも書かれている.
 少年の私が民家で見かけた糸を紡ぐおばあさんは,たぶん戦前の少女の頃から絹糸を紡いできた熟練の spinster で,だから誤って紡錘を指に刺して眠ってしまうようなことはなく,白馬の王子様にキスされることもなかっただろう.しかしやがてその spinster は,もう一つの語義とは異なって嫁ぎ,そして子や孫に恵まれ,老いたその日もゆっくりと糸車を回しながら糸を紡いでいたのだろう.私の記憶の中の糸車は,そういう光景の中にある.
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 上の文章は何しろ六年も前に書いたものなので,文中のWikipediaの記述も現在のものとは異なっている.そこでWikipediaから以下に直接引用する.ただし2019年8月17日時点で掲載されている記述内容である.
 
* Wikipedia【眠れる森の美女】の,呪いに関する箇所
祝宴に招待された12人の魔法使い達は、それぞれ「徳」「美」「富」など魔法を用いた贈り物を王女に授けるが、11人目の魔法使いが贈り物を終えた直後、突如として13人目の魔法使いが現れ、1人だけ祝宴に招待されなかった報復として、「王女は15歳になると、紡ぎ車の錘が指に刺さって死ぬ」という呪いをかけて立ち去る。王と王妃をはじめ城の人々が大騒ぎする中、まだ贈り物をしていなかった12人目の魔法使いが「この呪いを取り消すことはできないが、呪いの力を弱めることはできる」と言い、「王女様は死ぬのではなく、100年間眠り続けた後に目を覚ます」と告げた。
王女の運命を心配した王は、国民に命じて国中の紡ぎ車を焼き捨ててしまう。王女は順調に育っていくが、15歳になった時、一人で城の中を歩いていて、城の塔の最上階で一人の老婆が紡ぎ車を使い糸を紡いでいるのを見て興味を示し、紡ぎ車に近寄った途端に錘が手の指に刺さり、王女は深い眠りに落ちる(この老婆の正体は13人目の魔法使いであったとも言われる)。
 
* Wikipedia【眠れる森の美女 (1959年の映画)】の,呪いに関する箇所 
「16歳の誕生日の日没までに糸車で指を刺して死ぬ」という呪いをかけてしまう。
 
* Wikipedia【糸車】の,呪いに関する箇所
『眠れる森の美女』では、主人公の王女は「指を糸車で刺して死ぬ」という呪いをかけられ、死んだような眠りに陥る。この物語は多くの童話集に採録され、バレエや映画に脚色されているが、糸車には指を刺して死ぬほどの部分がないことから「指を糸車で刺して死ぬ」とはどういうことか、糸車の専門家の間で議論となってきた。ヨーロッパの非常に古いタイプの糸車はフライヤーやボビンにあたる部分がなく、「グレート・ホイール」同様に紡錘の部分で糸が紡がれていたため、繰り返しの使用で磨り減った紡錘は鋭くなる。このため、紡錘部分に指が刺さる危険があるのではという意見もある。また、糸巻き棒の先で刺したのではないかという推測もされる。
 
 Wikipedia【糸車】には,糸車の構造が図解されている (下図) のであるが,これは残念ながらグリム童話『眠れる森の美女』の時代よりも後の,十六世紀以降に考案された道具のようだ.
Ito_guruma
(Wikipedia【糸車】から引用;パブリックドメイン)
 
 古い型の糸車では,フライヤー(f) とボビン(m) がなく,その代わりに紡錘 (下図で,紡ぐ人の左手よりも下に描かれている道具;パブリックドメイン) が,上図のフライヤーとボビンと同じ位置に,同じ軸方向で取り付けられている.紡錘には,普通の使用状態では,指を刺すような尖った部分はない.上端はかぎ針になっていて,下端は独楽の足状である.
Bousui
(Wikipedia【紡錘】から引用;パブリックドメイン)
 
 さて『マレフィセント』では,オーロラ姫の指を刺した糸車は,どのように描かれているか.(下に掲載した画像はBDを再生したテレビ画面をカメラで撮影した)
 
20190816b
 
 (上の画像) 国王が国中の糸車を集めて破壊したスクラップの中から,呪いによって糸車のパーツが寄せ集められて魔法の糸車が召喚され,オーロラ姫を引き寄せる.国王は,集めた糸車を壊すだけでなく焼却してしまえば,呪いの糸車は召喚されなかったように思われるが…
 
20190817b
 
(上の画像) は謎の部品.は,を支えるための単なる横棒のように見える.本来ならばここに回転する紡錘が取り付けられているはずだ.
 
20190816c
 
 謎の部品の端には鋭く長い金属針が取り付けられている.私が調べた限り,謎の部品のような部品を有する糸車はこの世に存在しない.つまりこれは,オーロラ姫の指を刺すためにだけ作られた物体である.
 すなわち,魔女の呪いが「フライパンの針に指を刺して」であったなら,柄に部品が取り付けられたフライパンが召喚されて,オーロラ姫の指に刺さったであろう.
 こうして『マレフィセント』の制作陣は,従来から謎とされてきた「糸車の針」が一体何なのかという問題は無視して,「指を刺すための針を何の理由もなく取り付けた糸車」を強引に登場させることで,この難しいシーンを乗り切ったのである.
 しかし映画ファンとしては,やはり「オーロラ姫の指を刺した糸車の針」の謎に挑戦し,糸車を見たことのある者が納得できる解答を示して欲しかった.それが残念だ.

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2019年8月14日 (水)

モトをとりたくて (二)

 この記事の前に書いた《モトをとりたくて》に次のように書いた.
 
《(テレビドラマ『パンとスープとネコ日和』には) 無意味な小道具として野良猫が登場する.それは別に構わないけれど,シナリオも演出も,野良ネコの常識的な保護の仕方,家猫としての飼い方を全く知らないのが情けない.制作されたのは2013年だから,ネットにすでに猫動画があふれていたはずで,視聴者に「そんなことも知らないのかよ」と言われても仕方ない.
 
 明治の文豪から現代の猫マンガ家に至るまでの作家たちの中で,猫の描写をさせたら一番なのは群ようこだと私は思う.それなのに,テレビドラマ『パンとスープとネコ日和』に登場する猫「たろ」の存在感のなさは一体どういうことだろう.「たろ」がいなくても,このドラマは成立してしまうのだ.
「たろ」の描写に納得が行かなかった私は,ハルキ文庫の『パンとスープとネコ日和』を読んでみた.
 その前に一つ.
 奥付の前のページに,角川春樹事務所から単行本が出たのは《二〇一二年四月 》だとある.だとすると,作者がこの小説を執筆したのはおそらく平成二十三年 (2011年) のことだろう.ネット上の書評に,群ようこ『パンとスープとネコ日和』はテレビドラマのノベライズだと書いている人がいるが,どこからそんな話を仕入れて吹聴しているのだろう.原作はテレビドラマの二年前に書かれたものだと,一言書いておく.
 さて「たろ」のことだ.テレビドラマでは脚本家も演出家も猫についての知識経験がないと見えて,全く存在感がなかったが,群ようこの原作ではそんなことはなかった.きちんと彼女の猫ワールドに属する作品に仕上がっている.
 
「たろ」のことに限らず,テレビドラマのほうは原作の設定を変え過ぎだと思う.それが良い結果を生むなら結構なことだが,このドラマでは無意味なシーンを作ってしまったりして,悪いほうに転がってしまっている.群ようこの原作とテレビドラマと,どっちがよいかと世の猫好きに訊ねたら,百人のうちの百人が原作だと言うに違いない.
 やっぱりテレビドラマというのは,お手軽に作れるものなんだろう.それなりのものしかできないのは仕方ないと思う.

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2019年8月13日 (火)

護衛艦「かが」

 昨日のテレビ東京『池上彰の戦争を考えるSP 第11弾〜失敗は隠され、息子たちは戦場へ〜』を観た.八月の終戦記念日特番はNHKが先日,『マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束~』と『この世界の片隅に』他の番組を組んだが,民放はやや寂しい.
『池上彰 …』は,もう一時間の放送枠があれば,もっと深く掘り下げた内容になったのにと思った.番組前半に海上自衛隊の空母型の護衛艦「かが」の中に峰竜太と相内優香 (テレビ東京アナウンサー) が乗り込んで艦内の各所を撮影紹介した.下の画像は,二人が艦内に入る時のテレビ画面をカメラ撮影したものである.
 
20190813a
 
 普通にテレビニュースを見ている人は知っていると思うが,自衛隊の護衛艦の名称は「あさぎり」や「あやなみ」のように平仮名で書く.一般には航空母艦と呼ばれる艦種は公称「ヘリコプター搭載護衛艦 」といい「はるな型」「しらね型」「ひゅうが型」「いずも型」の四艦級がある.「かが」は「いずも型」の二番艦である.「いずも型」の二隻は現在の中期防衛力整備計画で改修され,戦闘機を搭載できるようになる.(これに関する解説は《海上自衛隊「悲願の空母」になる「いずも」の実力》)
 さて,上の画像で峰らテレビ局クルーが通った搭乗口には「加賀」と大書した垂れ幕が下がっていた.番組中で池上彰が,旧海軍の空母は「加賀」であったが自衛隊の護衛艦は「かが」であると解説したにもかかわらず,垂れ幕には「加賀」と書かれている.これを見た視聴者は「なぜだ」と疑問を感じるに違いない.池上はこの矛盾について全く触れなかった.
 私見だが,防衛省・自衛隊としては,「かが」は戦闘機搭載艦に改修されることで,ミッドウェー海戦で沈没した空母「加賀」を象徴的に継ぐ艦船になるのだとの意識があるのではないか.
 こういうことに触れようとしない点が池上彰の限界だろう.

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2019年8月12日 (月)

モトをとりたくて (一)

 先日の記事に書いたように私はアマゾンのプライム会員である.アマゾンの宣伝によれば,プライム会員はプライムビデオを「見放題」だという.私はふとした気の迷いでFire TV Stickを購入し,プライムビデオを鑑賞してみた.
 そしてわかったのは「見放題」の意味である.極端なことを言うと,「見放題」の対象となる映画がわずか一作しかなくても,いいのである.この「放題」は「何度でも繰り返して見てよい」というのがアマゾンの意図であった.もちろんこれは常識的な日本語の用例ではない.
「お一人様四千円で焼肉食べ放題」の店に入ったら,ロースもカルビも見当たらず,あったのはレバだけだったようなものだ.ところが焼肉屋が「レバを食べ放題」を「焼肉食べ放題」と書いたら違法であるが,プライム会員向け特典としてのプライムビデオは違法ではない.なぜなら無料だからである.(有償コンテンツのプライムビデオは違法くさいが)
 アマゾンの姑息な商売には呆れたが,齢七十近くにもなってこんな詐欺商法に引っかかった自分が情けなくもある.そこで,Fire TV Stickの代金約五千円のモトをとろうとして片っ端からテレビドラマを鑑賞してみた.というのは私は映画ファンではあるがテレビドラマはほとんど見ない人間なので,プライムビデオで「見放題」対象のテレビドラマは初見の作品ばかりだったからである.
 その無料テレビドラマの一つに『パンとスープとネコ日和』(全四話の連続ドラマ;WOWOW) がある.
 このドラマのオープニングから暫くすると,すぐに私たちは,これが『かもめ食堂』(2006年) の焼き直しであることを理解する.ただし『パンとスープとネコ日和』は,『かもめ食堂』があまりにも稚拙な映画だったので,それよりはすっきりとした作品に仕上がっている.オリジナルよりも出来が悪ければパチモンと言われても仕方ないが,元の作品『かもめ食堂』のシナリオを書いた荻上直子監督の頭が高校生レベルなので,大した作品ではないが,『パンとスープと猫日和』(監督は松本佳奈) をパチモンと呼ぶのは不当だろう.ちなみに両作品の原作は共に群ようこである.
『かもめ食堂』は真面目に批評するのもアホらしい駄作だが,『パンとスープとネコ日和』もあまり褒められたシナリオではない.これには,群ようこの趣味と思われるが,無意味な小道具として野良猫が登場する.それは別に構わないけれど,シナリオも演出も,野良ネコの常識的な保護の仕方,家猫としての飼い方を全く知らないのが情けない.制作されたのは2013年だから,ネットにすでに猫動画があふれていたはずで,視聴者に「そんなことも知らないのかよ」と言われても仕方ない.
 あと,どうみても無意味なシーンがあるのは,想像するに,シナリオが書き直しされた時に修正し忘れた箇所かも知れない.
 無意味といえば,ラストシーンで出演者が揃ってユルーいダンスを踊るのだが,これがカレー屋の店内に置かれたテレビでインド映画を見るようで,昨今のアイドルたちのキレッキレッのダンスに食傷している私たちには, そのダンスの脱力感が新鮮かも知れない.
 さて『パンとスープとネコ日和』の挿入歌「パンとスープとネコ日和」と「この空の下で」は大貫妙子さんが歌っている.これがとてもいいので,オリジナル・サウンドトラックのCDを買ってしまった.ついでにあまり古くないベスト盤も二枚買った.ドラマ『パンとスープとネコ日和』は大したことないが,でも大貫妙子さんのCDを聴くきっかけになったから,ドラマを鑑賞した甲斐があったと言う気がする.

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2019年8月 9日 (金)

プライムビデオのインチキ

 先日,娘と雑談の折,アマゾンのプライムビデオのことに話が及んだ.彼女はなんでもスマホで済ませるので,プライムビデオ推しだった.私はプライム会員だが,買い物にしかアマゾンを使っていない.そこでプライムビデオがどんなもんだか,Fire TV Stickを買ってテレビに接続してみた.
 ところが,プライムビデオのキャッチ・コピーは「対象の映画・テレビ番組が見放題」だが,「対象の映画」が非常に少ないのには驚き呆れた.これじゃあほとんど詐欺だ.
 無料の作品数は少ない上に,洋画でも邦画でも,映画史に残るほどの質の高い作品は皆無である.何が悲しくてこの歳になって『ビリギャル』とか『クレヨンしんちゃん』なんぞを見にゃならんのだ.年寄りを馬鹿にするのもいい加減にするがよい.
 多少でも「観てみるか」とそそられる作品は,すべて有料である.しかも,これまた作品数が非常に少ない.私のDVDコレクションより遥かに少ない.考えるまでもなく当然のことであるが,タダでうまい話があるはずがないのであった.
 アマゾンの通販でも「プライム会員は配送料無料」と宣伝しているが,アマゾンのプライム価格は実店舗価格に配送料を上乗せしているものが大半だ.例えばスーパー店頭で百五十円前後で販売されている鯖水煮缶詰が,アマゾンでは二百数十円で売られていたりする.
 プライム会員のメリットは,商品発送が速やかであることだが,それも最近は,到着まで一週間もかかるものがでてきた.
 そういう不満と文句はあるが,アマゾンなしでは生活に支障がでることもある.驕るアマゾンは久しからず,という具合にはいかないのが残念だ.

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トラック島 (補遺二)

 アマゾンに注文していた古書『海軍病院船はなぜ沈められたか 第二氷川丸の航跡』が届いた.
 著者の三神國隆氏は昭和十七年生れ.同三十九年に現在のテレビ東京に入社し,ニュース報道を担当した.その後はフリーのジャーナリストとして執筆活動を行ってきた.
 同書の中からトラック島空襲に関する抜粋引用するが,その前に,海軍の病院船「第二氷川丸」すなわち「天応丸」について若干の解説をする.
 第二氷川丸 (天応丸) は本来はオランダの艦船「オプテンノール (船)」である.オランダ王立郵船会社の客船として建造され,東南アジア航路に就いていたが,第二次大戦の勃発と共に, ドイツに征服されてからロンドンに逃れたオランダ亡命政府が徴用した.
 太平洋戦争が始まるとオランダ海軍はオプテンノールを改装し病院船とした.Wikipedia【病院船】に次のように書かれている.
 
近代戦時国際法のもとでは、病院船は一定の標識を行い、医療以外の軍事活動を行わないなどの要件をみたすことで、いかなる軍事的攻撃からも保護される。
 
 ところが実際には,同Wikipediaによると
 
オプテンノールを病院船とすることは1942年2月4日に日本側に通告され、オプテンノールは2月19日に病院船として就役した。2月20日に、磁気機雷対策用の舷外電路を装着するためスラバヤ軍港に入港したが、直後に日本軍機の空襲に見舞われ、至近弾で損傷、軍医や従軍看護婦ら13人が死傷した。
 
とある.さらには,昭和十七年三月一日,日本軍はオプテノールに威嚇爆撃を行い,拿捕した.同六月にはオランダ船旗を降ろし,日本海軍旗が掲げられた.同十月に日本海軍は天応丸を横須賀鎮守府に回航して大幅な改装を行い,天応丸病院船として使用することにした.捕虜となったオランダ人医療関係者や高級船員は外国人収容所へと移された.
 昭和十九年九月に横須賀鎮守府において再び改装工事が行われたが,これは擬装用の第二煙突を追加するなど外観を大きく変更して元はオプテンノールであったことを隠蔽する意図があったとされる.そして天応丸は第二氷川丸と改名された. これ以後のオプテンノールの運命の詳細はWikipediaに譲るが,その最後については以下の通りである.
 
1945年7月下旬以降、オプテンノールは舞鶴港に係留され8月15日の終戦の日を迎えた。終戦まで生きのびたオプテンノールだったが、終戦直後の8月19日に、舞鶴港外の沓島近海でキングストン弁を解放したうえ、船体に爆雷を装着して遠隔操作で起爆して自沈させられた。自沈作業は舞鶴鎮守府の隷下にある舞鶴防備隊の掃海部隊により、秘密裏に遂行された。自沈を決定したのは海軍大臣の米内光政であったとも言われる。なお、作業にあたった決死隊24人が船とともに沈んで戦死したとの情報は誤りで、全員が無事に作業を終えている。
 
 オプテンノールの自沈は,日本海軍がオプテンノールを病院船と知りつつ攻撃したこと,また拿捕後の改装と運用が戦犯問題になることを恐れた海軍による一種の証拠隠滅であり,これが『海軍病院船はなぜ沈められたか』のモチーフとなっている.
 戦後世代,とりわけ団塊の世代の者と太平洋戦争について論じていると,米内光政の評価が高い.しかし,《自沈を決定したのは海軍大臣の米内光政であったとも言われる》が事実 (この説の典拠は本書『海軍病院船はなぜ沈められたか』である) とすれば,終戦間際でなく直後に,すなわち占領軍の支配下において,旧軍に対する如何なる指揮権限が米内にあったのか知らぬ (無論,建前上はなかったはずである) が,保身の多ために証拠隠滅を図るがごときアンフェアな人格であったことを私たちは知るべきである.
 
 さて連載「トラック島」の「補遺一」は,佐藤清夫『駆逐艦「野分」物語』から,トラック島空襲について記した部分を紹介した.著者の佐藤氏は「野分」の乗組員だった人である.すなわち『駆逐艦「野分」物語』は佐藤氏の体験に基づく氏自身の「戦記」である.
 本稿で紹介する『海軍病院船はなぜ沈められたか』の著者,三神國隆氏は昭和十七年 (1942年) 生まれで,終戦前の生まれではあるが,団塊世代に少し先行する戦後世代だとしていいだろう.従って『海軍病院船はなぜ沈められたか』は氏の調査に基づいたノンフィクション作品である.昭和十九年二月十日,司令長官古賀峯一海軍大将率いる連合艦隊が,トラック泊地に多数の艦艇と兵員を置き去りにして逃げ去ったあと,十七日から十八日にかけて何があったのか.私たちが両作品を並べ読むことは,トラック泊地の海にに沈んで還らぬ七千の魂を想い,何が,誰が,責められねばならぬのかを今一度明らかにすることに繋がるだろう.そこで,本書の中からトラック島空襲の様子を書いた部分を下に抜粋引用して紹介する.
  

米軍はまず航空戦力の撃滅を狙い、これらの基地を襲ったのである。しかし、南洋生活にゆるみ切っていたトラック基地の反応は緩慢だった。
 空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り渡り、海上の艦船から戦闘ラッパが鳴り響いても迎撃に飛び立つ日本機の姿は見えない。天応丸の船上からは、春島から夏島へ向かって全速力で駆けつける内火艇が見えた。乗っているのは航空隊司令だと誰かがいう。駆けつける内火艇に向かって機銃掃射が浴びせられ、水上機基地では水上滑走中の水上機が一瞬炎に包まれ、そのまま海中に消えていった。一機だけ離水して上昇し始めたが、たちまち撃墜されてしまった。指揮官不在のため日本側の戦闘機は飛び立つこともできないのか、天応丸乗組員は歯がゆい思いで見守っていた。
 
(中略)
 
一週間ぶりに見るトラック島の光景は大きく変わっていた。泊地には大型貨物船が赤い船腹をさらして転覆しており、山肌は爆撃で掘り起こされて赤土が剥き出しになっている。海岸近くのヤシの木々は途中で折れて見る影もない。二月十七日、十八日の空襲ではトラの子の航空部隊が壊滅 (地上撃破二〇〇機、撃墜七〇機) し、軽巡洋艦「那珂」「香取」をはじめ一〇隻の艦艇と三一隻の輸送船が撃沈された。地上施設の被害も甚大で、燃料タンク三基が爆撃で破壊され、一万七〇〇〇トンの重油、ガソリンが失われ、軍需倉庫の糧食二〇〇〇トンが消失するなど、基地の機能は決定的な打撃を受けた。艦船乗組員を除いた陸上だけの死傷者も六〇〇人に達する。これだけの被害を受けた原因は油断であり士気の緩みというほかない。空襲の前夜、夏島では上級士官の異動のため送別会が深夜まで行われており、指揮官の多くは陸上の施設にそのまま泊まり込んでしまった。中には、空襲警報で浴衣のままあわててランチに飛び乗り自艦に戻った士官もいたといわれる。そんな噂が天応丸乗組員の間でもささやかれた。トラック島でなすすべもなく撃沈された商船の生き残りの間では、自分たちは連合艦隊の囮にされたという思いが強く残った。
 
『駆逐艦「野分」物語』は著者の体験を元に書かれたために,旧海軍首脳と連合艦隊司令部の卑劣さとトラック島守備部隊幹部の無能についての強い怒りが文章にあからさまであった.
 しかし『海軍病院船はなぜ沈められたか』はノンフィクションの手法で書かれたものであるから,文章に激昂した調子はない.しかしトラック島泊地の壊滅に関しては『駆逐艦「野分」物語』と同じ批判的立場に立っている.中でも,上の引用文中で文字を着色した箇所は,『駆逐艦「野分」物語』では伝聞として書かれていたことだが,本書では目撃談,証言であることが注目される.従ってこれは事実であった可能性があるが,Wikipedia【トラック島空襲】では「噂」とされている.Wikipedia【トラック島空襲】の執筆者がどのような根拠でこれらのことを「噂」として片づけたのかは不明であるが,執筆が匿名で行われている以上,文責の追及は困難である.
 
 以上,記事《トラック島 》に《トラック島 (補遺一) 》と《トラック島 (補遺二) 》を補足した.
 トラック島泊地が壊滅した主たる原因は連合艦隊が前線から逃げ去ったことであると生き残りの人々は捉えたようだが,それは戦後に証言されたことである.戦時中,帝国海軍首脳と連合艦隊司令部は,トラック泊地に沈んだ七千の
犠牲に対する責任をとらなかった.
 Wikipedia【古賀峯一】に以下のエピソードが書かれている.
 
墓所は東京都多磨霊園の名誉霊域にある。ここには古賀と並んで東郷平八郎、山本五十六が葬られている。古賀の墓は他の二人と比べて質素で目立たない。古賀が戦死した時の連合艦隊参謀長であった福留繁が、戦後になって、古賀の墓碑を立派なものに建て替えたい、と考えて古賀宅を訪問したところ、応対した古賀の妻は福留に「古賀はなんのお手柄一つ立てずあのような死を遂げたのですから、今の墓石で十分です、故人もそう思っているのにちがいありません」と述べた。
 
 福留繁は,海軍乙事件と丁事件の両方に関与した人間である.戦後も自分の責任を認めようとしなかった男だ.だが古賀峯一の妻は,夫の責任を認めた.軍人ではない人間のほうが潔かったということである.

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2019年8月 7日 (水)

ビブリア古書堂

 ビブリア古書堂の物語ファンとしては不覚の一語だった.昨年の九月に出版された『ビブリア古書堂の事件手帳 ~扉子と不思議な客人たち~』を買い落としていたのだ.原因は,アマゾンとかネットの古書店でばかり本を買っていて,書店の実店舗に行かないからだ.時々書店に行き,平棚をさーっと見るだけで,こんなミスは起きないのに.少し反省した.
 本作は,過去の七作品の数年後のお話という設定になっている.主人公の栞子と大輔は結婚して女の子が生まれており,その子は扉子という名である.第八作のタイトル『… ~扉子と不思議な客人たち~』は,第一作のそれ『ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~』と対応しているわけだ.
 
 さて本書に収められた四つの物語の中では「第三話 佐々木丸美『雪の断章』(講談社)」がいい.モチーフになっている『雪の断章』を読んでみたくなること必定だ.
 なにしろ一年近く前の出版だから,もうすぐ次作がリリースされるかも知れない.これからは改心して時々は本屋に足を運ぶことにしよう.
 
 ちなみに,私の手元にある『ビブリア古書堂の事件手帳 ~扉子と不思議な客人たち~』 は初版だが,この中に誤植 (誤字ではない;校正の時に見落としたのだろう) が一ヶ所だけある.ビブリア・ファンはお気づきだろうか.

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2019年8月 5日 (月)

金では解決できないこともある

 テレビを見ていると,中国からの観光客の爆発的増大で,京都などの歴史的景観を有する観光地における「観光公害」が起きているとの報道が目立つ.
 そんな折,AERA dot. に《京都で古い町並み崩壊の危機…深刻化する「観光公害」を考える 》という記事が掲載された.(2019/08/05 11:30)
 記事の筆者でジャーナリストの清野由美氏は次のように書いている.
 
たとえば19年版の「観光白書」(観光庁)によると、18年のインバウンド客の日本での消費額は4兆5189億円。これは日本の製造業の代表選手、トヨタ自動車の過去最高純利益である2兆4939億円(18年3月期連結)をゆうに超える。
「日本の役人や企業の担当者は、いまだに『数』を成功の指標として、300円の入場料で10万人を呼ぶことを重視しがちですが、そこが問題です。それでは行く方も迎える方も疲弊するだけ。これからは3千円の入場料で1万人を迎えて、双方の気分がよくなる、といった『質』の向上を本気で図らねばなりません」
 そう語るのは、来日して55年の東洋文化研究者、アレックス・カーさん(66)だ。カーさんは四国の秘境、祖谷(いや)(徳島県三好市)で、築300年以上の茅葺(かやぶき)古民家9軒を一棟貸しの宿に転用するプロジェクトに長年携わる。
「始めた当初は、こんな僻地(へきち)には誰も来ないと言われましたが、だからこそ魅力的なのだ、と私は力説しました。1泊3万~4万円ですが、数人の滞在が可能です。この形なら地域にダメージは与えません。フタを開けたら、外国人、日本人を問わず、予約でいっぱい。需要があることを実感しました」(カーさん)
 
 これを読んで爆笑した.《来日して55年の東洋文化研究者、アレックス・カーさん(66)だ。カーさんは四国の秘境、祖谷(いや)(徳島県三好市)で、築300年以上の茅葺(かやぶき)古民家9軒を一棟貸しの宿に転用するプロジェクトに長年携わる》と書いてあるが,このアレックスさんという人,東洋文化研究者ではなくて東洋文化研究観光業者じゃないのか.w
 それはともかく,《300円の入場料で10万人を呼ぶ 》のをやめて《3千円の入場料で1万人を迎え 》ることにしたとする.
 そんなことをしても中国人観光客が減るとは思えない.なにしろ彼らは大変な経済力 (観光旅行資金) を持っているし,数がベラボーだ.この論理で行けば,「3万円の入場料で千人を迎え」なければならなくなること必至である.それでも観光公害は収束するかどうか.
 観光コストを百倍にして,なおかつ京都市民の日常生活に打撃を与えぬようにするには,京都市民に特別な身分証明書を発行し,街中の飲食店での食事代や交通費などの観光コストに関係する日常の市民生活費用を99%割引く必要がある.
 しかし日本人観光客に同様の優遇措置をすることは法的に不可能だ.なぜならそれは人種差別,民族差別,国籍による差別に繋がるからである.
 アレックス・カー氏の方法では,日本人は国内観光ができなくなる.現在なら五万円もあれば「そうだ,京都いこう」と思い立って数日間の京都を楽しむことができるが,アレックス式では五十万円も必要になるのである.こうなるともはや日本人には付いていけない.
 いずれ《四国の秘境、祖谷 》にも中国人観光客が押し寄せて,日本と欧米からの観光客は排除され,観光公害が発生することになるだろう.
 ことは民度の問題だ.観光コストを上げることで解決するようなことではないと考える.
 清野由美氏は,
 
21世紀以降の日本は人口減少、経済停滞と行き詰まりが著しい。そんな日本にとって「観光」が20世紀の製造業に代わる、産業としての可能性を持つことは確かである。経済が成熟した国にとって、第2次産業から第3次産業への転換は、雇用の面でも、外貨獲得の面でも、必然的な流れだ。
 
と言うが,海外からの観光を外貨獲得手段とする思想では,京都が観光公害に晒されるのは《必然的な流れだ》ろう.論理として「必然的な流れ」というものは,止められない.だから「必然」なのだ.しかし「必然」でなければ食い止められる.それには,観光を外貨獲得の手段とする思想を捨てることだ.外貨獲得を目的とする限り,観光公害の解消には中国人の民度の上昇を待つしかない.中国人観光客から経済的恩恵を受けることのない私たちはそう思う.
 日本の観光コストを高騰させて中国人観光客を超富裕層に制限する方法は,日本人の一般生活者から隔離された離島など特別に開発されたリゾート地でしか実行できないと考える.観光事業者にはぜひそうして欲しい.ま,このようなリゾート開発は,そのうちに中国人資本自身が行うだろうが.
 
[追記]
 テレビ東京の『Youは何しに日本へ?』や『世界!ニッポン行きたい人応援団』には,お金はあまり持ってないけれど日本と日本人,日本文化が好きだという人々がたくさん登場する.彼らは,安宿に泊まり,コンビニでパンやおにぎりを買って食べ,日本のあちこちを旅している.彼らは,観光というものをを文化的な観点ではなく産業として位置付ける日本の観光事業者のターゲットではない.しかし,こういう人たちが世界中に増えると,外貨には換算できない無形の利益が日本にもたらされるに違いない.清野由美氏やアレックス氏が説くように日本観光のコストを上げて海外からの富裕者を事業対象とすることは,《300円の入場料 》を《3千円の入場料 》にするということは,彼ら親日派の人々を排除するということだ.私は,そうなって欲しくない.

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