2020年1月22日 (水)

忘れられた農法 /工事中

 フジテレビ《新説!所JAPAN》(2020/01/20 放送) によると,所ジョージはオオクワガタを飼っているという.本格的な趣味ではなく,ビギナーのようだ.
 そこで自分の事務所のスタッフに,オオクワガタの飼育について色々と調べさせたところ,「台場クヌギ」なるものを知った.
 これは昆虫の採集・飼育の愛好家には周知のものらしいのだが,幹の中が腐朽して生じた洞 (ウロ) に樹液が滲出することから,色々な昆虫が集まる.Wikipedia【クヌギ】には「虫の集まる木」というタブが作られ,《クヌギは幹の一部から樹液がしみ出ていることがある。カブトムシやクワガタなどの甲虫類やチョウ、オオスズメバチなどの昆虫が樹液を求めて集まる》と書かれている.
 
 それはそれとして,そもそも「台場クヌギ」とは何か,が番組の中で紹介され,これが大変に興味深いことだった.
「台場クヌギ」は,ある目的,用途のために,クヌギの樹に手を加えたものなのである.クヌギの用途は,Wikipediaに次のように記載されている.
 
クヌギは成長が早く植林から10年ほどで木材として利用できるようになる。伐採しても切り株から萌芽更新が発生し、再び数年後には樹勢を回復する。持続的な利用が可能な里山の樹木の一つで、農村に住む人々に利用されてきた。里山は下草刈りや枝打ち、定期的な伐採など人の手が入ることによって維持されていたが、近代化とともに農業や生活様式が変化し放置されることも多くなった。
材質は硬く、建築材や器具材、車両、船舶に使われるほか、薪や椎茸栽培の榾木(ほだぎ)として用いられる。
落葉は腐葉土として作物の肥料に利用される。
実は爪楊枝を刺して独楽にするなど子供の玩具として利用される。また、縄文時代の遺跡からクヌギの実が土器などともに発掘されたことから、灰汁抜きをして食べたと考えられている。
樹皮やドングリの殻は、つるばみ染め(橡染め)の染料として用いられる。つるばみ染めは媒染剤として鉄を加え、染め上がりは黒から紺色になる。
養蚕では、屋内で蚕を飼育する家蚕(かさん)が行われる以前から、野外でクヌギの葉にヤママユガ(天蚕)を付けて飼育する方法が行われていた。
樹皮は樸樕(ボクソク)という生薬であり、十味敗毒湯、治打撲一方(ヂダボクイッポウ)といった漢方薬に配合される。
中華人民共和国四川省では、標高3,500mを超える地域にクヌギ林が成立しており、マツタケ林として利用されている。

 
 クヌギを建築用材として利用するには普通に,幹を太く樹高を高く育てればよい.ところが,上の解説にあるヤママユガの飼育では,低い位置に枝がないと困る.また上の引用文中にはないが,それほど太くない枝を利用する用途もある.例えば,茶室の炉で焚く炭は,クヌギ材の炭で,断面が真円に近くて太くないものが高級品である.(資料「茶の湯炭について)
 このように,建築用材以外の用途では,クヌギの幹を,地上一メートル少しくらいの高さで切断して「仕立てる」
 こうすると,切断したところから枝が何本も発生して伸びる.つまり樹高が高くならないので,ずっと容易に枝を伐って使い続けることができる.このようなやり方で「仕立て」たクヌギを「台場クヌギ」という.写真は

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2020年1月20日 (月)

藤沢 魚とカレーのお店

 紙だとか封筒だとかを入れてある引き出しの中を整理したら,毎年使い残した未使用年賀はがきが出てきた.それと,今年の年賀はがきで切手シートが一枚当ったので,藤沢郵便局へ行ってきた.
 郵便局で用事を済ませる前に,以前から気になっていたカレー屋で,昼飯を食うことにした.
 藤沢駅の北口商店街で一番人気の食堂「ふじやす食堂」の姉妹店で,「魚とカレーのお店」という.そもそも「ふじやす食堂」は,同じ建屋の一階で昔から営業している鮮魚店「藤安水産」が,二階に出したランチ専門の食堂だ.この店については四年前に記事を書いた (その記事は《藤沢 ふじやす食堂》)
 その後,藤安水産は「ふじやす食堂」に続く姉妹店として,鮮魚店脇の小路に「魚とカレーのお店」を開店したのだが,ここもランチ専門店で飯時には混んでいるという話だった.そんなこんなで,
私はこれまで一度もこの店で食事したことがなかった.
 
 あらかじめ食べログの口コミをざっと見ると,経営は藤安水産だがこの店の店長は,鎌倉七里ヶ浜海岸の人気レストランで,カレーがおいしいと評判の「モアナマカイ珊瑚礁」(ちなみに海岸から離れた立地には「珊瑚礁本店」がある) で店長をしていたことがあり,その後は藤沢駅の南口でレストランのオーナーだった人だそうだ.
 昭和五十年代から平成にかけてのこと.クルマの助手席に女の子を乗せて海岸通りをドライブし,七里ヶ浜のランドマークである「モアナマカイ珊瑚礁」で夕飯を食うというのが湘南界隈の青年たちのデートプランだった.
 そういう一種のレジェンドがあるもんだから,口コミサイトでは「モアナマカイ珊瑚礁の流れを汲むカレー屋」と紹介されたのだが,口コミサイトの食べログでは今日現在の評点が3.35だ.よい店とそうでない店の分岐点は3.5だとされているので,あまりパッとしない点数だ.しかも高い点をつけた人は4.5で,低く評価した人は2.5という落第点をつけている.いったいどうなっているのだろうという興味もあって店に入ってみた.
 
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 店舗は小路に面して全面ガラス張になっている.ガラスの自動ドアを開けたら,内側に厚いビニールカーテン (倉庫などでよく使用される) が下がっていたので驚いた.このビニールカーテンは防風のために設置されたものだろうが,駅ナカのJR系蕎麦屋に似た簡素な内装と相まって,あたかも固定屋台のような雰囲気を醸している.おしゃれ感は皆無だが,しかし料理で勝負だというなら,それもよかろうと思う.
「おひとり様はカウンターにどうぞ」と言われて,カウンター席の椅子を引いたら,ガタガタと大きな音がした.床がチープな造作なので,こんな音がする.いよいよ路面屋台感が強まる.
 女性店員さんが持ってきたメニューから,「ごろごろエビカレー 税抜き九百八十円」をチョイスした.プラス二百円でサラダとドリンクが付けられると彼女は言ったが,二百円ではたぶんチープなものなんだろうと思ったので断った.水でよろしい.
 それほど待たずに「ごろごろエビカレー」が到着.なめらかなカレーソースの中に,確かにむき身のエビがごろごろしていた.鮮魚店でポリ袋に包装して売られている安価なむき身の冷凍稚エビ (よく冷凍のシーフードミックスに入っている輸入養殖エビ) だが,九百八十円のカレーの具ではそんなもんだろう.
 そのカレーソースは,いわゆる欧風 (イギリス風) で,香りよりも味のコクに重点が置かれているものだ.というか,最近はやりのスパイスカレー感は皆無.日本レストラン・エンタープライズがJR駅構内でやっている「カレーステーション」や,ココイチと同じ範疇のカレーだ.
 つまりは凡庸な味というか,客を店のファンにするなにものかが欠けているように思う.
 
 ところで,厨房にいる店長 (だと思う) は,ハンチング帽をかぶっていた.業として調理をする者の常識だが,厨房用の帽子は異物 (毛髪) の混入防止のために必須である.しかし帽子というものは皮脂で非常に汚れやすい.従って毎日洗濯できるような白いキャップでなければならない.
 しかるに店長が,不潔感まるだしのハンチング帽をかぶっているとはどういうことだ.金をとって客に料理を提供する最低の心構えができていない.料理人帽がダサくていやなら,洗って清潔に維持できるバンダナを,きっちり頭をくるむようにまけばいいのだ.
 この店に食べログで2.5を付けた人は《従業員のヒゲ、ピアス、ネックレス。…(中略)… 清潔感で大きくマイナス。せめて隠して。》と書いている.まことに的確な批評である.私もそう思う.この店は客をナメているに違いない.繁盛店にはならないだろう.いや,こんな不届きな店に食べログで高い評点をつけることで繁盛店にしてはいけないと思ったことである.
 
[余談] このカレー屋のおかげで,はからずもモアナマカイ珊瑚礁の食品衛生レベルが判明してしまった.

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2020年1月19日 (日)

コンソメ御飯

 冷蔵庫のチルドボックスに入れてあったウインナ・ソーセージの消費期限をみたら六日前に切れていた.
 ハムやソーセージは比較的安全性に余裕があるのだが,それにしても六日オーバーはちょっとね.炒めたりボイルして食べるより,加熱時間を長くしたい.それで,炊き込み御飯に入れて使ってしまうことにした.
 少し前,オリーブの炊き込み御飯を作ったときに使用した瓶詰オリーブ漬がまだ残っているので,それも使ってしまう.
 味付けは,JALビーフコンソメが食卓の上に一袋だけ転がったままになっているので,これを使う.
 
[材料]
米                 二合
ウインナ・ソーセージ        五本
瓶詰グリーン・オリーブ       十個
エクストラ・バージン・オリーブ油  小さじ一杯
JALビーフコンソメ        一袋

[作り方]
* 米は軽く研いで炊飯器に入れる.釜の二合目盛りに水加減する.
* ウインナは五ミリ厚くらいに切る.これと種抜きグリーン・オリーブを釜に入れる.
* JALのコンソメの素は塩気が強いので,一袋で充分だ.これを釜に入れて軽くかき混ぜる.さらにオリーブ油を加えて一時間放置する.
* あとは普通に炊飯し,炊けたらざっとかき混ぜてできあがり.
[感想]
炊き込み御飯というのは基本的に炭水化物の料理なのだが,今回はソーセージを入れたので,その点は少しマシになっている.あとは栄養のことを考えて,生野菜のサラダをたっぷりと摂りたい.
 
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2020年1月18日 (土)

小川と娘

 ジョン・エヴァレット・ミレーは1852年,戯曲『ハムレット』の登場人物のオフィーリアが溺れて死ぬ様子を描いた.
 

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(『オフィーリア』,パブリックドメイン;Wikimedia File:John Everett Millais - Ophelia - Google Art Project.jpg)

 テレビ東京の新美の巨人たち 35歳で早世…奇跡の物語!三橋節子『花折峠』×奥貫薫》(1月11日放送) をたまたま観たら,夭逝した画家の三橋節子を取り上げていた.
 私は三橋節子についてほとんど知るところはなかったのだが,番組中で紹介された絵のいくつかは既視感があった.
 彼女の代表作の一つが『花折峠』である.この作品は,引用できる画像がないようなので,テレビ画面を撮影した画像を下に示す.
 
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『花折峠』は創作民話を材に取った作品だという.テレビ画面で『花折峠』を観たとき,私は瞬間的に『オフィーリア』を想起した.
 もちろん『オフィーリア』と『花折峠』ではモチーフが全く異なるのであるが,「あ」と思ったことは確かである.
『花折峠』は大津市立の「長等創作展示館・三橋節子美術館」が所蔵している.訪ねてみたいと思った.
 
 ちなみに,創作民話「花折峠」の作者は中野隆夫というかたである.

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2020年1月16日 (木)

鉄の道 (補遺)

 昨日の記事《鉄の道》の末尾を再掲する.
 
スキタイの東端から製鉄の遺跡を辿ってユーラシア大陸を横断していくと,アルタイ地方に至る.
 スキタイは文字を持たなかったため,従来は謎に包まれていたが,現在は版図の精力的な発掘が行われており,かなり詳しいことがわかってきたらしい.同時代のギリシャの記録などから著しく野蛮な民族だと思われてきたが,非常に高度な金属文化を持っていたようだ.
 このスキタイからさらに東方へは二手に分かれて製鉄技術が伝播したという.

 
 この箇所は,誤解のないように,もう少し詳しく書く必要があった.以下の画像は,テレビ画面をカメラ撮影した画像をトリミングしたものである.
 まず,ヒッタイトが発展させた製鉄技術は,ヒッタイトが興亡したアナトリア地方 (下の画像の黄色い円形部分のあたりにある;現在のトルコ共和国のアジア部分) からコーカサス地方 (黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と,それを取り囲む低地からなる地域) を経て,スキタイの版図の西端に伝えられた.
 紀元前七世紀から前二世紀にかけて繁栄したスキタイの版図の西端から東方に,ほぼ同じ緯度の地帯に製鉄炉の遺跡が分布している.
 
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 製鉄炉が分布する地帯は,下の画像に示されているように,現在のカザフスタンからモンゴルにかけて,北の森林地帯と南の砂漠地帯の間に広がる草原地帯である.
 
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 この中央ユーラシアに紀元前四世紀に勃興したのが匈奴である.(下の画像)
 

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 匈奴が遺した製鉄炉を発掘調査している愛媛大学の笹田准教授は,匈奴の製鉄技術は西方 (スキタイ) から伝播したものだという.(下の画像)
 
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 冒頓単于が率いる匈奴の,鉄製の矢じりを付けた矢を騎射する騎馬軍団は,前漢皇帝・劉邦 (高祖) の軍を圧倒した.Wikipedia【冒頓単于】に次の記述がある.
 
紀元前200年、40万の軍勢を率いて代を攻め、その首都・馬邑で代王・韓王信を寝返らせた。前漢皇帝・劉邦(高祖)が歩兵32万を含む親征軍を率いて討伐に赴いたが、冒頓単于は弱兵を前方に置いて、負けたふりをして後退を繰り返したので、追撃を急いだ劉邦軍の戦線が伸び、劉邦は少数の兵とともに白登山で冒頓単于に包囲された。この時、劉邦は7日間食べ物が無く窮地に陥ったが、陳平の策略により冒頓単于の夫人に賄賂を贈り、脱出に成功した(白登山の戦い)。
その後、冒頓単于は自らに有利な条件で前漢と講和した。これにより、匈奴は前漢から毎年贈られる財物により、経済上の安定を得、さらに韓王信や盧綰等の漢からの亡命者をその配下に加えることで勢力を拡大させ、北方の草原地帯に一大遊牧国家を築き上げることとなった。これには、成立したての漢王朝は対抗する力を持たず、劉邦が亡くなった後に「劉邦が死んだそうだが、私でよければ慰めてやろう」と冒頓単于から侮辱的な親書を送られ、一時は開戦も辞さぬ勢いであった呂雉も、中郎将の季布の諌めにより、婉曲にそれを断る内容の手紙と財物を贈らざるを得なかった。
冒頓単于は更に月氏を攻め、更に西方へ追い立てた後、前174年に没した。
その後も東アジア最大の国として君臨していたが、前漢王朝が安定し国が富むに至り、武帝はこの屈辱的な状況を打破するため大規模な対匈奴戦争を開始する。しばらく一進一退が続いたものの、前漢の衛青と霍去病が匈奴に大勝し、結局、匈奴はより奥地へと追い払われ、その約60年続いた隆盛も終わりを告げた。
ただそれまで部族単位での略奪と牧畜が産業だった遊牧民に、国家という概念と帝国型の社会システムを根付かせたことは大きく、後のモンゴル帝国へとつながることになる。
 
 筆者が受験勉強をしていた頃の高校世界史 (五十年前 ^^;) では,上の引用文のように,匈奴が前漢を圧倒したのは冒頓単于の卓抜した軍事的才能によるとしていたが,それだけだったろうか.上記引用文中の「白登山の戦い」だが,Wikipedia【白登山の戦い】には次のように書かれている.
 
楚王項羽を滅亡させて中国再統一を果たした皇帝劉邦は、匈奴へ備えるために韓王信を馬邑(現在の山西省朔州市朔城区)に派遣するが、匈奴の脅威を間近で見た韓王信は匈奴との和平を唱えた。これを裏切りとみられた韓王信は、匈奴に投降した。韓王信の軍隊を加えた匈奴は40万の大軍で太原へ攻め込んできた。
 
 引用文中の,韓王信が目の当たりにした匈奴の脅威とは,匈奴軍の局地戦戦闘力,武器の殺傷能力ではなかったか.
 番組の放送においては,その点を匈奴軍が開発した鉄製の矢じりを用いて説明した.(下の画像の )
 
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 下の画像の字幕説明は「この矢じりは一段目の刃で相手のよろいを貫き 二段目の刃で致命傷を負わせる目的で作られました」
 
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 下の画像は実験したところ.匈奴の鉄製矢じり (赤い) は,当時の鎧と同じ厚さの銅板 (青い) と羊の肉を易々と貫通した.
 
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 これに対して漢軍は,青銅製の小さい矢じりを用いていた.匈奴の矢じりに比較して,見るからに殺傷力が低いと考えられる.
 この当時の漢には強力な鉄製武器を製造する技術がなかった.しかも匈奴は,王宮に武器を製造する工場が併設される「鉄の軍事国家」であった.
 
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 鉄と青銅.武器性能の優劣のために漢は匈奴に屈した.しかし漢においてもやがて製鉄技術の革新が行われた.
 
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 中国における製鉄の始まりについては,永田和宏『人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理』(講談社ブルーバックス,2017年) によれば,次の短い記述だけである.
 
中国には製鉄法は紀元前600年頃に伝わり、銑鉄が作られ、鍬や鎌、鑿などが鋳造で作られ、紀元前512年には鉄の大釜が鋳込まれた。一方、鋼はルツボ法で作られた。溶鉱炉は春秋時代初期に出現した。しかし、これで作った鋳鉄は質が悪く、悪金と呼ばれ、農具に使われた。
 
『人はどのように鉄を作ってきたか …… 』はつい三年前の出版であるが,ヒッタイトからスキタイに伝わった製鉄技術は全く書かれていないし,匈奴と漢の抗争における鉄と青銅の武器の優劣にも触れていない.この書籍では漢にどこから製鉄法が伝えられたかもわからない.いかに「鉄の道」の考古学が最近の学問分野であり,最新の知見に満ちたものであるかが知れる.
 この事情はWikipediaでも同じで,Wikipedia【鉄器時代】でも,わずかに次のように書かれているに過ぎない.
 
中国においては、殷代の遺跡において既に鉄器が発見されているものの、これはシュメールなどと同じくそれほど利用されていたわけではなく、主に使用されていたのはあくまでも青銅器であった。本格的に製鉄が開始されたのは春秋時代中期にあたる紀元前600年ごろであり、戦国時代には広く普及した。鉄器の普及は農具などの日用品から広がり、武器は戦国時代まで耐久性のある青銅器が使われ続けた。例えば、秦は高度に精錬された青銅剣を使っている。
 
『人はどのように鉄を作ってきたか …… 』もWikipedia【鉄器時代】も,中国で製鉄が始まったのは紀元前600年頃であり,作られた鉄は武器を作れるような品質ではなく,農具に使われたとだけ述べている.
 ところがごく最近,愛媛大学の研究グループがその後の中国の製鉄技術の発展を明らかにしている.
 
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 愛媛大学アジア古代産業考古学研究センター長・村上恭通氏によれば,中国では高炉を用いて大量の鉄が生産できるようになった.(下の画像)
 
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 しかしこの鉄は脆いため,武器には使えなかった.(下の画像)
 
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 そこで発明されたのが炒鋼炉であった.炒鋼炉は,高炉で作った銑鉄を脱炭素して鋼にする炉である.
 
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 炒鋼炉は明代の技術書『天工開物』に描かれている古代の鋼精錬法であるが,村上恭通氏らは漢代に作られた炒鋼炉の跡を発掘した.こうして漢は鋼の武器を鍛えることができる技術を手に入れたことが判明したのである.
 
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 漢の武帝は即位するや匈奴に反撃を開始した.番組は,漢軍は鋼の大型武器「」を用いることで匈奴との戦闘において優位に立ったと説明した.
 
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 Wikipedia【匈奴】には次のように書かれている.
 
匈奴で軍臣単于(在位:前161年 - 前127年)が即位し、漢で景帝(在位:前156年 - 前141年)が即位。互いに友好条約を結んでは破ることを繰り返し、外交関係は不安定な状況であったが、景帝は軍事行動を起こすことに抑制的であった。しかし、武帝(在位:前141年 - 前87年)が即位すると攻勢に転じ、元朔2年(前127年)になって漢は将軍の衛青に楼煩と白羊王を撃退させ、河南の地を奪取することに成功した。
元狩2年(前121年)、漢は驃騎将軍の霍去病に1万騎をつけて匈奴を攻撃させ、匈奴の休屠王を撃退。つづいて合騎侯の公孫敖とともに匈奴が割拠する祁連山を攻撃した。これによって匈奴は重要拠点である河西回廊を失い、渾邪王と休屠王を漢に寝返らせてしまった。さらに元狩4年(前119年)、伊稚斜単于(在位:前126年 - 前114年)は衛青と霍去病の遠征に遭って大敗し、漠南の地(内モンゴル)までも漢に奪われてしまう。ここにおいて形勢は完全に逆転し、次の烏維単于(在位:前114年 - 前105年)の代においては漢から人質が要求されるようになった。
太初3年(前102年)、漢の李広利は2度目の大宛遠征で大宛を降した。これにより、漢の西域への支配力が拡大し、匈奴の西域に対する支配力は低下していくことになる。
その後も匈奴と漢は戦闘を交え、匈奴は漢の李陵と李広利を捕らえるも、国力で勝る漢との差は次第に開いていった。
 
 以上がNHKスペシャル《アイアンロード ~知られざる古代文明の道~》を解説した記事《鉄の道》への補遺である.
 
 しかし,視聴者は,ここで大きな疑問を持たざるを得ない.
 番組の放送では漢の武器「鋼鉄製の戟」が漢の勝利の要因であるかのように説明していたが,これは納得しがたい.
 戟には長短の種類があるが,いずれにせよ漢の時代よりも古くからある近接戦闘武器である.冒頓単于の匈奴軍が劉邦の漢軍を圧倒したのは,白登山の戦いが典型だが,騎馬民族たる匈奴の戦術が,騎射のヒット・アンド・アウェイだったからである.ヒット・アンド・アウェイで戦う限り,遠隔戦闘武器である弓は絶対に近接武器に負けない.負けるとすれば,白兵戦に持ち込まれたときである.
 
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 こう考えると,武帝の時代に漢が匈奴を撃退できた要因は,単に戟が青銅製から鋼製に変化したことではあり得ない.青銅製だろうが鋼鉄製だろうが,近接戦闘武器としての性能に大差があろうはずがない.だとすれば,匈奴の側に,戦闘力が低下する要因があったと考えるのが妥当だ.第一に考えやすいのは,消耗品である矢じりを大量に生産できなくなった可能性である.次に,良馬が戦闘で消耗減少し,あるいは馬の生産力が低下し,歩兵で戦うように戦術が変化したのかも知れない.
 そこでハタと思い起こされることがある.
 番組中,匈奴が製鉄に必要とした大量の炭はどこから調達されたかについて,全く説明がなかった.スキタイの製鉄は中央ユーラシア北部の森林地帯で炭が生産されたと説明された.
 それと同じであれば,匈奴はモンゴル北部の山岳地帯で炭を作ったのだろう.
 だがしかし,番組の中で視聴者が見たモンゴル北部山岳地帯は下の画像のようであった.
 
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 見渡す限り,草とわずかな灌木しか生えない荒涼たる岩山とハゲ山.騎馬民族の王国が栄えた時代の,製鉄に使われた森林はどこにいったのだろう.
 もしかすると,匈奴は鉄の武器のために森林資源を枯渇させてしまったのだろうか.
 その結果,彼らの鋼鉄生産量は大きく減少し,軍事力の低下と共に匈奴の王国は歴史の流れの中に消えたのかも知れない.
 ともあれ,「鉄の道」の全体像を明らかにするには,この地における製炭と消費の歴史を明らかにせねばならないように思われる.
(この稿おわり)

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2020年1月15日 (水)

鉄の道

 NHKスペシャル《アイアンロード ~知られざる古代文明の道~》がおもしろかった.
 遥かな古代,シルクロードの北側に,西アジアと極東を結ぶもう一つの「文明の道」があったという内容だ.
 私が高校生の頃に勉強した世界史では,鉄器文化 (Wikipedia【鉄器時代】) の発祥はヒッタイトだということになっていたと思う.
 
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(ヒッタイトの位置)
 
 文化というレベルの話としては,現在でもその認識でよいと思われるが,製鉄法そのものはヒッタイトが興る遥か以前から知られていたというのが現在の定説だろう.Wikipedia【鉄器時代】から下に引用する.
 
鉄の利用は鉄器時代の開幕よりもはるかに古く、紀元前3000年ごろにはすでにメソポタミアで鉄は知られていた。ただしもっとも初期には融点が高いために鉄鉱石から鉄を精錬することはできず、もっぱら隕鉄を鉄の材料としていた。その後、エジプトなどでも出土例がみられるが、精錬の難しさや隕鉄の希少性などから利用は多くなく、武器や農具としての利用は青銅を主としていた。
最初の鉄器文化は紀元前15世紀ごろにあらわれたヒッタイトとされている。ヒッタイトの存在したアナトリア高原においては鉄鉱石からの製鉄法がすでに開発されていたが、ヒッタイトは紀元前1400年ごろに炭を使って鉄を鍛造することによって鋼を開発し、鉄を主力とした最初の文化を作り上げた。ヒッタイトはその高度な製鉄技術を強力な武器にし、オリエントの強国としてエジプトなどと対峙する大国となった。その鉄の製法は国家機密として厳重に秘匿されており、周辺民族に伝わる事が無かった。しかし前1200年のカタストロフが起き、ヒッタイトが紀元前1190年頃に海の民の襲撃により滅亡するとその製鉄の秘密は周辺民族に知れ渡る事になり、エジプト・メソポタミア地方で鉄器時代が始まる事になる。》(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 引用文中の着色箇所「海の民の襲撃によってヒッタイトが滅亡した」というのは信憑性がないようだ.というのは,Wikipedia【ヒッタイト】には
 
紀元前1190年頃、通説では、民族分類が不明の地中海諸地域の諸種族混成集団と見られる「海の民」によって滅ぼされたとされているが、最近の研究で王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたことが明らかになった。
 
と書かれていて,これが最近の説であるらしい.
 ともあれヒッタイトによって高度に洗練された製鉄技術は,王国の滅亡後,スキタイ (紀元前七世紀~前二世紀) の東端の地方に伝えられた.
 
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(スキタイの版図)
 
 スキタイの東端から製鉄の遺跡を辿ってユーラシア大陸を横断していくと,アルタイ地方に至る.
 スキタイは文字を持たなかったため,従来は謎に包まれていたが,現在は版図の精力的な発掘が行われており,かなり詳しいことがわかってきたらしい.同時代のギリシャの記録などから著しく野蛮な民族だと思われてきたが,非常に高度な金属文化を持っていたようだ.
 このスキタイからさらに東方へは二手に分かれて製鉄技術が伝播したという.番組放送では駆け足になってしまったが,中国大陸で鉄の農機具が開発普及し,その結果として農業の生産性が極めて高くなった.そこら辺のところをもっと詳しく知りたかったが,この放送は続編が『歴史秘話ヒストリア』で二月に放送されるらしい.これは是非とも見逃さぬようにしなければ,と思った.
[鉄の道 (補遺) に続く]

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2020年1月14日 (火)

バジル風味はお好き?

 昨日の記事に書いた日本食研とか,あるいはエスビー食品などから,高齢者世帯 (独居を含む) にとって使い勝手のよい調味料がたくさん出ている.
 使い勝手がいいという意味は,包装が「1人前×2」などとなっていることだ.
 時代が昭和から平成になった頃,「個食」という言葉が使われるようになった.Wikipedia【個食】に次のように解説されている.
 
この言葉は、日本にて1990年代より家庭のありようや一家団欒などの習慣が失われつつあることを憂う延長で使われるようになった言葉である。1980年代のカギっ子といった社会現象キーワードにも通じ家庭の持つ家庭教育の場としての機能の喪失や、あるいは食生活の不健全さといった事態を問題視する論説中に見出せる言葉である。
個人で食べる個食は20世紀末より次第に塾通いやお稽古事などで子供の帰宅が遅くなるといった事情や残業や共働きなどで親との生活サイクルがかみ合わなくなったりするなどして家族揃って一緒に食事が出来ず、子供がコンビニエンスストアの弁当やおにぎり・ファーストフードのハンバーガーセットなど出来合いの食事で夕食を済ませたり、あるいはインスタント食品やスナック菓子を夜食にと食べて済ませてしまうケースが見られる。
ただこれら簡便な食品は「とりあえず空腹が収まる」程度でしかない高カロリーで栄養面ではアンバランスなジャンクフードであるなど育ち盛りの子供は勿論、健康な生活で求められる各種栄養の不足やアンバランスの原因となりやすく問題とみなされる。
また、ちゃぶ台・ダイニングテーブルの普及とともに夕食などの一緒に食事を取る行為や一家団欒が家族間のコミュニケーションの場としても機能していた[要出典]。しかし1970年代より家族の会話がテレビ受像機の視聴にとって替わるという現象が問題視され始めたほか、この個食によってもやはり家族コミュニケーションが阻害され「暖かく幸せな家庭」という機能が失われる[要出典]、又はそういった経験を経ずに育った子供が人間性を欠くのではないかという危惧も教育・社会学方面などから挙がっている[要出典]。それに対し、そもそもの「食卓での団欒」像に疑問を投げる意見もある。


 上に引用した解説文の内容は,現在のような高齢化社会が現実となる前の,古い認識のものである.
 すなわち《この個食によってもやはり家族コミュニケーションが阻害され「暖かく幸せな家庭」という機能が失われる 》はそのまま現在も続いているとして,さらにその上,つまり家族コミュニケーションが阻害され 》る以前に「家族」そのものがないという事態が想定されていないのである.
 高齢化社会の進行は,多数の高齢者独居世帯を生み出す.さらにこれに未婚独身世帯が加わって,一人暮らしが一般的になる社会がもうすぐそこにきている.
 食品企業は,もちろんこの事態に対応しようとしているが,製品ジャンルによってやはり対応に濃淡はある.基本的食材の中で全く個食時代に対応していないのは食用油とくにサラダ油だ.スーパーに行けば,一リットルのボトルに入ったサラダ油が棚に置かれているが,この状況は昭和の中頃からずっと変わっていない.もはや一人世帯では揚げ物をせず,サラダ油の用途は炒め油だけであるから,大きいボトルのサラダ油は過去の商品なのである.昨今はオリーブ油に人気があるが,これは使いやすい容量のボトルで売られていることが大きい.
 サラダ油の他では,砂糖が高齢社会に非対応だ.一人世帯では料理用の砂糖を購入することはなくなっているのに.
 これらの食材の対極にあるのがレトルトカレーである.というか,これはそもそもの最初から個食対応なのだ.レトルトカレーの購入額は2012年から伸び続けて2017年には即席カレールーを上回った.そして以後,カレールーの購入額は減少を続けている. 
 レトルトカレーの後に続いているがパスタソースだ.缶詰の製品はもうほとんど見かけなくなり,キューピー,S&B,オーマイ,マ・マー,青の洞窟 (日清フーズ) など主な商品はレトルトパウチで「2人前」だが,「1人前×2」の製品も増えている.
 これに対してやや遅れているのが,合わせ調味料あるいは惣菜の素のジャンルだ.キッコーマンの「うちのごはん」シリーズは「2人前」「2~3人前」だが,味の素の「Cook Do」は「3~4人前」が多い.チルドの惣菜の素も同様.
 この種の商品は開封したら保存不可なので,今後は「2人前」以上の内容量の製品は売上の増加は見込めない.このままではコンビニの惣菜に座を明け渡すことになるだろう.
 
 さて総論はそんなところだが,内容量一人前のパスタソースは,なにもパスタにしか使えないわけではない.白飯に混ぜこんだり,野菜の味付けにも使える.その例として,S&Bの「SPICE & HERB バジル」でジャガイモ料理を作ってみた.
[材料]
ジャガイモ          中~大のものを二個
厚切りベーコン        ハーフサイズのもの二枚
サラダ油           適当量
バジルのパスタソース     一袋 (一人前)
[作り方]
・ジャガイモは千切りにして,ボウルに入れてしばらく放置する.その後で水洗いしてデンプンを除く.
・フライパンにサラダ油を入れて,ジャガイモとベーコンを炒める.ジャガイモに火が通って,シャキシャキとした食感が残っているところで火を止める.
・パスタソースを加えてよく混ぜる.
・あれば,パセリの粉を振る.
 
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 パスタソースというのは,どうも炭水化物と相性がいいようで,ジャガイモだけでなく,ロングパスタやペンネなどのショートパスタにもよく合う.さらにはパスタだけでなく,極端なことをいうと日本の麺でもよろしいと思う.
 下の画像は,独特の食感がおいしい半田そうめんを少し硬めに茹でて (アルデンテ w),バジルソースと和えたもの.茹ですぎると,そうめんのプツッという噛んだときの食感が失われるので,茹ですぎないこと.
 
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2020年1月13日 (月)

菜の花の辛し和え

 菜の花の旬は,関東地方では本来はもう少しあとだが,早々と店頭に出ているので辛し和えを拵えてみた.
 
 夫婦二人暮らしとか,独居老人とかが日常生活で不便するのは,ほんの少量の料理を作るときだ.
 料理本やネットのレシピを見ても,いくつもの調味料を合わせたりしなけりゃいけないので,つい億劫でやる気を失う.
 そんな貴兄の強い味方が調合済みの調味料だ.
 今回は日本食研の「辛子あえの素 」を使ってみた.
 
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 スーパー等の野菜売り場で売られている菜の花は,およそ二百グラム弱なので,作り方は包装の裏面に書いてある通りにすればよい.実に簡単で,七~八分もあれば作れる.出来上がりは四人前と書いてあるが,小鉢の副菜として二回に分けて食べてしまえるほどの量だ.
 ちなみに本品の原材料表示は以下の通り.単純な配合でなかなかよろしい.
 
[原材料]
 砂糖,デキストリン,ごま,食塩,かつおエキス,からし,粉末醤油/着色料 (クチナシ色素、リボフラビン),調味料 (アミノ酸)
 
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2020年1月12日 (日)

横浜 崎陽軒/亜利巴″巴″のランチ

 数人でランチタイムに新年会「のようなもの」をやろうという話になった.
 場所は横浜駅周辺で,店探しは私がやることになった.
 飲食代はワリカンなので,ブフェ・スタイルがよかろうと思い,ウェブを検索したところ,横浜駅のすぐ近くの崎陽軒本店地下の「亜利巴″巴″」はどうだろうかと思った.これまで私はこのレストランで食事したことがない.何事も事前調査が必要だから,昨日でかけてみた.
 
「巴″ 」は「バ」と読む.つまり店の名は「アリババ」だ.
 この店名のセンスは,昭和末期の「夜露死苦 」よりもずっと前,例えば昭和四十年代の国鉄中央線高円寺駅南口商店街裏通りのスナック・バーを想起させる.ママは推定年齢五十八,一人だけのホステスの名はアケミである.
 店の公式サイトの「店舗詳細」に↓こう書いてある.
 
[スクリーンショット]
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中近東のバザールをイメージした店内 》には中近東というよりも昭和の場末感が漂っていた.崎陽軒そのものは古い会社だが,横浜駅東口に崎陽軒本店がオープンして外食産業に参入したのは平成八年 (1996年) だから,それほど古い店ではない.つまり店の内装は最初っから昭和
レトロを意図したものと思われる.壁も調度もチープ感があるが,これは演出だろう.
 さて店の入り口を入ると,「本日はツアーの昼食会場になっております」との掲示があった.これについては店のサイトにも,下の断り書きが掲載されている.
 
[スクリーンショット]
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 しかしまだそのツアーは到着していないようで,席にはかなり余裕があった.
 実はこの日にこの店に来たのは,土日祝日はワイン飲み放題と公式サイトに書かれていたからである.新年会にもってこいだ.
 
[スクリーンショット]
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 だがしかし昨日は土曜日だったのに,テーブルに置かれたドリンクメニューには,アルコール別料金と書かれていた.《赤白ワインも飲み放題 》は羊頭狗肉というか,釣り広告であった.公式サイトの記載が更新されていないので事実とは異なってしまったのかも知れないが,たとえ結果的にであれ,公式サイトに嘘を書いてはいかんなあ.
 もうこの時点で新年会の会場にする気はなくなっていたのであるが,気を取り直して料理を取りにいった.
 その料理だが,品数が極端に少なかった.料理が並べられたテーブルは小さく,そのせいで周りを客がグルリと取り囲み,隙間がない.従って,列に並びたくても隙間がないので,どうやっても「割り込み」になってしまうのだ.
 どうしようかと思い悩んでいたら,隣に立っていた若い男の客が,女性従業員 (推定年齢四十六歳) に「どこが列の一番後ろなんすか?」と訊ねた.
 彼女は「さあ,どこなんでしょ」と答えた.
 
 しばらく待っていたら一人分の隙間ができたので,そこに潜り込んだら,すぐ後ろの女性客 (推定年齢六十三歳) に睨まれた.
 ホテルの朝食バイキング会場でも,もう少し料理の並べられているスペースはあると思う.席の数は多いのだが,料理の数が少ないことが,そもそもの問題だと私は思った.
 
 で,私が潜り込んだ列の隙間には,すぐ前にフライドポテトが置かれていたので,それを取った.下の画像のプレートの左下だ.
 ポテトフライの横には,なんだか丸いもの (白い←) があった.肉団子かと思って一つ皿に載せたら,あとでこれはタコ焼きだと判明した.店のサイトに《中華・洋食・和食にサラダ・デザートが食べ放題★》とあるが,和食とはこのタコ焼きのことだった.
 タコ焼きの隣は大きな蒸籠があって,シウマイ (緑の←) が温められていた.崎陽軒といえばシウマイだから,これは外せない.二つ取った.
 シウマイの隣はマカロニグラタン (赤い→) だった.上に載っているはずのチーズは,先客にごっそり持っていかれ,一見するとマカロニサラダのようだった.
 グラタンの次はピラフ (黄色い←) らしきもので,その隣はスープのフタ付き寸胴鍋がドーンと置かれていて,中身はクタクタに煮込んだキャベツのスープに,わずかに溶き卵が浮いていた.下の画像で,プレートの向こう側にあるカップがそれだ.クノールのスープのほうがなんぼか
 
 スープの次はサラダだが,並べられていた野菜は,レタス,キュウリ,タマネギ,トマトで,それに春雨サラダとポテトサラダが付け合わせになっていた.下の画像を見ての通り,サラダのボウルが小さすぎて,これでは喫茶店のモーニング・サービスについてくるミニサラダじゃないか.マグカップと大きさを比較してほしいと思う. 
 

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 (炭水化物ランチ)
  
 食べた感想だが,冷めたフライドポテトはたぶん業務用冷凍食品を揚げたものだ.肉団子と間違えて持ってきたタコ焼きはこれも冷凍食品を揚げたもので,揚げすぎて黒く焦げていた.中の水分は蒸発してしまったのだろう,中には空洞ができていて,フォークの背で押したらペシャリとつぶれた.タコが入っていたかどうかはよくわからなかった.
 シウマイはさすがに崎陽軒のものだから,文句はない.シウマイ界の絶対王者だ.
 次のチーズのないグラタンは冷えていて,しかも味がほとんどついていなかったが,これは何かの間違いだろうと思った.私が「グラタンの素」かなんかで作ったほうが旨いと思ったからである.

 黄色の←のピラフ的な何ものかは,すっかり冷え切っていた.私は開店してすぐに店に入ったのだが,この料理はかなり前に作り置いたものだと思われた.
 スープについては,感想を述べたくない.決して述べたくない.
 
 あんまりな料理に気落ちして,がっくりと肩を落とした私の脳内で,誰かがネバーギブアップ!と叫んだ.
 そうだ,まだ取ってきていない料理がある.それを食べてみようじゃないか.私は再び料理が並べられているスペースに行った.
 すると少し離れたところの誰も並んでいないテーブルに,「ローストビーフ」と書かれたポップがあり,二切れのローストビーフが載った皿が二枚置かれていた.
 あとは,スパゲッティ,小さくカットした魚の素揚げ,切り餅の半分くらいに四角くカットしたピザを取った.他に何だかわからない「茶色いおかず」もあったが,それは敬遠した.食べ残したらペナルティがあるらしかったからである.
 ローストビーフは,ウェルダンのステーキみたいな色をしていた.イオンの総菜売り場で販売されているローストビーフの切り落としより硬かった.
 魚の素揚げは鱈だったが,揚げすぎてパサパサになっていた.鱈は揚げすぎるとこうなっちゃうのよね.
 スパゲッティには小さな肉片のようなものとアサリが入っていた.その肉片を口に入れたら,レバーだった.私は具がレバーのスパゲッティを初めて口にした.いい経験をしたと思う.
 ピザは冷凍食品を思わせた.
 さて,まだ食べていないものがある.それはカレーだ.
 小さなボウルに白飯を少し盛り,カレーの寸胴鍋からカレー掬い取って飯にかけた.
 テレビでハウス食品のCM《プロ クオリティ<プロはソースで勝負>篇 》を見たことのある人は御存知だが,具の入っているカレーは素人クオリティなのである.プロはソースで勝負する.その点で亜利巴″巴″のシェフはプロ中のプロと思われた.具が煮溶けたのではなく,最初から具では勝負しないというコンセプトなのだと思われた.だがしかし,プロクオリティのカレーソースも,ジャーの中に保温されていた白飯も,人肌よりちょっと高い程度の温度であり,私としてはもう少し熱くして欲しかった.プロはぬるいカレーで勝負するのかも知れないが,私は素人と呼ばれてもいいと思った.
 
 残念ながら,このカレーソースのぬるいプロクオリティに完膚無きまでに打ちのめされた私には,もはやデザートに手をのばす気力が残っていなかった.伝票を取って席を立ち,ヨロヨロと歩いてレジに向かった.
 レジで「Suicaは使えますか?」と訊いたら,キャッシュレス時代なのに「使えるのはクレジットカードだけです」とのことだった.横浜駅のすぐ近くなのにSuicaが使えないとは…… SuicaはJRの駅周辺では普及していると思っていた私は驚いた.QRコード決済は言わずもがな.
 だがしかし,これは昭和レトロの演出かも知れない.上っ面だけではない,このレストランの一貫性は,もしかしたら賞賛されるべきものかも知れないと思う.
 ところで,お会計は二千四百円だった.決してお安くはない値段だが,料理は野菜サラダを除いて全品が茶色であり,お子さんに彩りもきれいなお弁当を日々工夫して作っているママさんが,亜利巴″巴″ の料理を見たら何と言うだろうと私は思った.「ボッタクリだわ!」と言 (この稿おわり)
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2020年1月10日 (金)

オリーブの炊き込み御飯

 昨年秋に書いた記事《オリーブピラフ の続き.
 この記事のもとになった上沼恵美子さんの料理番組で「オリーブピラフ」と呼んでいた料理は,正しくはピラフではなく炊き込み御飯なので,実食編であるこの記事では,炊き込み御飯としておく.
 
 さて前の記事では,材料に少量のブイヨンが必要であるため,煮込み料理を作る機会があれば,そのブイヨンを使ってこの米飯料理もついでに作ると書いた.
 しかしその後,Amazonで,洋風炊き込み御飯にちょうどいいブイヨンの素が販売されているのを発見したので,それを用いてオリーブの炊き込み御飯を作ることにした.
 それは平和食品工業の「野菜ブイヨン」で,Amazonでも楽天でも販売されている.通販では,商品名に「ブイヨン」としておきながら,実際は塩味が強い「コンソメスープ」の素が売られている,しかしこの顆粒の「野菜ブイヨン」は,賦形剤に乳糖を使うことで食塩の使用量を減らしている.塩分が少ないと,料理の塩加減の調節が楽だから,これはなかなか使い勝手のいい調味料だ.
 
 では,オリーブの炊き込み御飯のレシピを記す.
[材料] 
無洗米             二合
瓶詰グリーンオリーブ      二十粒
オリーブの漬け汁        120ml
野菜ブイヨン (平和食品工業)   小さじ二杯
厚切りベーコン         好みの量
バージンオリーブ油       大さじ一杯
コショウ            好みの量

[作り方]
 無洗米二合を炊飯器に入れ,次に水とオリーブの漬け汁で,内釜の二合の目盛りに合わせて水加減する.
 野菜ブイヨンの素とバージンオリーブ油,コショウを加え,軽くかき混ぜる.
 ベーコンとオリーブの実を入れたら一時間放置し,あとは普通に炊く.炊き上がったら,さっとほぐして出来上がり.
[感想]
 瓶詰グリーンオリーブは種抜きのものを使う.ポリ袋に包装された新漬オリーブのほうが香り高いだろうが,自宅最寄りのスーパーで販売されているものは漬け汁が入っていなかったので,瓶詰を使った.
 オリーブ油の量は,炊き上がったあとの内釜の内面に油滴が残っていたところを見ると,大さじ一杯は多いかも知れない.好みで調節するとよい.
 ベーコンは長さ十センチにカットして包装されているものを一枚使ったが,これは少なすぎた.三枚くらいが適当か.
 上沼恵美子さんの番組のオリジナル・レシピでは,盛りつけたあとパプリカのパウダーを振ることになっているが,これは飾りみたいなもんだから,パセリの粉でも何でもよろしい.
 食べた感想だが,これはうまい.ちゃんとピラフ風の味に仕上がっているので,諸兄におすすめしたい.
 
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