2008年4月 5日 (土)

ホームレス実態調査

 私はこの「ホームレス」という呼び方にいつまで経っても「なんかこう上から目線だよね」と違和感を感じるのだが,一人で抵抗しても虚しいので,とりあえずここでは「ホームレス」を使うことにする.
 昨日,厚生労働省はホームレスに関する実態調査の結果を発表した.それを報道した朝毎読三紙を比較してみる.

 まず朝日新聞は,
総数;16,018人(昨年対比△2,546人,2003年対比△9,300人)
寝起している場所;都市公園と河川敷がそれぞれ約3割,道路が15%,駅舎が4%
都道府県別データ;
 大阪が最多で4,333人(前年比578人減),東京が3,796人(同894人減)
 前年より増えた県は沖縄200人(33人増),愛媛40人(15人増)など14県
などのデータを紹介したあと,
《厚労省は総数が減少した理由について、「雇用状況の改善や自治体の自立支援策の定着が考えられる」という》
と書いている.

 読売は,朝日の記事と同じデータに加えて,詳しく
《33都道府県で減り、沖縄(33人増)や愛媛(15人増)など14県で増えた。
 都市別では、大阪市3647人(前回比422人減)、東京23区3436人(777人減)、福岡市782人(2人減)、横浜市649人(12人減)、川崎市635人(213人減)、名古屋市608人(133人減)など》
と書き,都市部で減っているのかも知れないと思わせる内容になっている.次に
 《場所別では、河川が4907人(746人減)、都市公園が4737人(965人減)などとなった》
というデータを示したあと,
《公園からの強制退去などが進んだ結果と見られる》
という見方を示した.たしかにそうかも知れない.

 毎日新聞は,データは上の二紙と同様であるが,
《大都市での減少が目立つ一方、増加した地方もあり、経済の地域間格差を反映している》
と書いている.また
《一方、14県は昨年より増え、沖縄県(200人)、群馬県(97人)、三重県(61人)などは、ホームレス自立支援法施行(02年8月)直後の03年調査と比べても増加している》
《厚労省は「都市公園の野宿者を中心に、自立支援に取り組んだ成果が出ている」と評価する。だが、支援組織のホームレス支援全国ネットワークは「保護施設や無料低額宿泊所と路上の生活を行き来している人は増えており、自立が成功したと見るのは早計だ」と指摘している》
としており,厚労省発表を鵜呑みにした朝日新聞の記事と対照的である.新聞記者としての能力の差がこれだけ歴然としているのを見せられると,だいじょぶか朝日,と言いたくなってくる.

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2008年3月25日 (火)

赤い靴

 週刊文春(3月27日号)の書評『私の読書日記』に山崎努氏が次のように書いていた.

《赤い靴をはいた女の子が異人につれられて行っちゃった、と歌われる野口雨情の童謡『赤い靴』には「きみ」という実在のモデルがいたという定説は、テレビのドキュメンタリー番組のでっち上げたウソであると『捏像 はいてなかった赤い靴』(阿井渉介 徳間書店 1500円+消費税)が細かく検証している。》

 『捏像 はいてなかった赤い靴』は初耳だったのでウェブ検索してみたら,既にブログで取り上げている人達がいた.
 私も以前,横浜の山下公園にある『赤い靴はいてた女の子』の像に関して書いたことがあるのを思い出した.下に引用する.

《また,そのサイトの制作者は,清水市生まれで北海道にわたり,東京で亡くなった少女の像が横浜港にあることに対して「そんな『赤い靴はいてた女の子』の像が,なぜ山下公園にあるのか,私にはわかりません」と書いているのだが,なぜと言われても野口雨情の歌詞に「横浜の港からお船に乗って」とあるからに決まっている.以前,清水市の人と『赤い靴はいてた女の子』の話をした時にも,少女は横浜には行っていないのに許せん,とか言って憤慨していた.モデルと創作は別物なのに,混同しちゃう人がいるようだ.》

 あちゃー,である.《「横浜の港からお船に乗って」とあるからに決まっている》とは何たること.手拍子で書いてしまったのだね,これは.読み直して良かった.もちろん「横浜の埠頭から船に乗って」が正しい.恥じつつここに訂正する.(ついでだから上の引用中の《そのサイトの制作者は》にリンクを追加しておこう)

 この間違い以外にはヘンなことを書いてなかったので一安心.
 で,
《赤い靴をはいた女の子が異人につれられて行っちゃった、と歌われる野口雨情の童謡『赤い靴』には「きみ」という実在のモデルがいたという定説》
のこと.
『捏像 はいてなかった赤い靴』によると,この定説はでっち上げだという話だが,それが正しいとすると北海道留寿都村,北海道小樽市(まだ建設予定か),東京の麻布十番,静岡市の日本平にある「赤い靴」関係の像もでっち上げということになる.
 私は,創作物に対してすぐ「そのモデルはこれだ」と言いたがる人にあまり好感をもっていない.上記各地の「赤い靴」の像がウソだとすると結局,モデル存在説に無関係な横浜の山下公園にある少女像だけが残るわけだ.よかったよかった.

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2008年3月23日 (日)

金の定食 銀の定食

 先日,同じ職場の五人で昼飯を食いに会社近くの大衆食堂に行った.
 そこはかなり狭い店で,引き戸を開けて入ると左手にテーブル席が三つあり,右側の階段を二階に上がるとこれまた狭い座敷になっている.一階奥の配膳口の横にレジがあり,客は席に着く前にレジのお姉ちゃんに食べたいものを注文し,代金を前払いで済ませることになっている.金を払うとレジ係のお姉ちゃんが厨房に「煮魚いっちょうっ」と注文を通してくれるのだ.食券のない食券方式というか,食べ終わってから会計するのよりも,この方が合理的なように思われる.別に食い逃げの多い地帯というわけではない.
 で,私達はそれぞれ煮魚だのフライだのの定食を頼んでから二階の座敷に上がった.ほどなくして注文の品が運ばれてきたのだが,五人のうちで一番若いA君のやつが間違っていた.彼は焼き魚定食六百五十円也をオーダーしたのに,お運びの兄さんは天ぷら定食を持ってきたのである.
「僕は焼き魚なんだけど…」
「あ,失礼しましたあっ」
と兄さんは階下にあわてて戻っていった.天ぷら定食はたしか千円である.
 彼を除く私達が食べ始めて暫くすると,また兄さんが盆を持って上がってきた.
「へい,刺身定食お待ちっ」

 A君という人は大変に好人物なのである.この二度目の間違いにも怒らず
「あのお,僕のは焼き魚なんだよね」
と言った.刺身定食は九百円である.
 結局,また五分くらいしてからようやく彼は焼き魚定食にありつくことができたのだが,もう食べ終わった私達は,急いで飯をかっ込むA君を横目にお茶を飲みながら,こんなことを言った.
「最初が天ぷら定食で次に刺身定食ね」
「そういうのってさ,二度目の刺身定食も違うって言うと,女神様がでてくるんじゃないの」
「正直なサラリーマンよ,天ぷら定食も刺身定食もお前にあげるから食べなさいってか」
「そうそう,斧の話.ってそんなに食えねーよ」

 帰宅してから斧の話をWikipediaで調べてみた.『金の斧』というそのまんまな題であったが,原話に出てくるのは女神様ではなくてヘルメス神であった.この歳になるまで知らなかったぞわはは.
 それはそれとしてWikipedia『金の斧』にはもっと有用な情報が掲載されていた.関連作品(こらこら)『ドラえもん』に秘密道具『きこりの泉』というものがあるというのだ.
 この『きこりの泉』のエピソードに登場する「きれいなジャイアン」も,この歳になるまで知らなかったぞわはは.

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2008年3月20日 (木)

三里四方に

 ちょっと古い記事だが,二月五日の読売新聞夕刊コラム『よみうり寸評』
《〈三里四方の野菜を食べろ〉――畑から採りたてのものほどうまい。鮮度が高く栄養も豊富。そんな野菜を食べていれば長寿延命間違いなし。京都の言い伝えだ。「食物ことわざ事典」(平野雅章)にある》
と書かれていた《Yomiuri Online 2/5 13:46》.
 翌週の『よみうり寸評』にその続きがでていた.東京・あきる野市で自家農場で栽培した粉を使ったうどん店を経営しているSさんという方が二月五日のコラムを読んで『よみうり寸評』筆者に手紙を書いた.Sさんは「三里四方のものを食べていれば健康で長寿」という言葉にちなんで店の名を『村うどんあきる野三里』と命名したのだが,その言葉の出典をご存知なかった.そこへ『よみうり寸評』に京都の言い伝えであると出典が書かれていたので喜んで手紙を届けたということのようである.

 この「三里四方の野菜を食べろ」には,ネットで調べたところ,京都の言い伝えであるとする他に,朝鮮半島のものだという説があるらしい.類似のことわざに「三里四方に医者要らず」があり,これは朝鮮半島の仏典に起源があるとのことである.しかしその仏典にまで遡って引用した資料は今のところ私の目に触れていないので,真偽のほどは確かでないが.

 ところで「三里四方の野菜を食べろ」は,ことわざと呼ぶには如何にも中途半端であると思う.「食べろ」あたりが何となく言葉として最近のもののような気がする.下手な標語みたいでもある.
『よみうり寸評』筆者の《畑から採りたてのものほどうまい。鮮度が高く栄養も豊富。そんな野菜を食べていれば長寿延命間違いなし》という解釈も,栄養がどうのこうのと最近のテレビの情報番組が言いそうなことだ.もし仮にこれが古い言い伝えだとすれば,そんな意味ではなく,地産地消の勧めだと理解するのが正しいのではないかと私には思われる.
 比べて「三里四方に医者要らず」は大変結構である.語呂がよい.いかにも昔から言い伝えられてきたことわざっぽい雰囲気がある.そこで私は,朝鮮半島起源かどうかはわからないが古い「三里四方に医者要らず」から「三里四方の野菜を食べろ」が派生したように想像するのだが,どうだろうか.

 さて問題は出典のことではない.「三里四方に医者要らず」は本当か,ということである.果たして,「三里四方のものを食べていれば健康で長寿」なのか否か.
 大学で栄養学を学んだ人には常識であるが,戦後の我が国における驚異的な長寿化には,農水産物の広域流通網の確立が大いに寄与している.
 かつては,長生きに必要な良質の動物性たんぱく質を(実は植物性たんぱく質も)必要なだけ自給できない地域があちこちにあり,その地域では低栄養の結果,人々が短命になるという不平等があった.微量栄養素についても同様で,それは疾病に繋がっていた.
 そのような状態の中でも私達の祖先は,例えば有名な例では若狭の鯖を京都まで運ぶなど,海産物を塩蔵や乾物にして内陸に運び,栄養的地域差を緩和してきた.北海道の昆布が大阪に,さらに琉球を経て大陸中国にまで運ばれていた例もよく知られているところだ.つまり三里四方のものだけを食べていたのでは長生きできないと昔の人は理解していたのである.(私は詳しくないが,貝類の広域流通は縄文時代に遡るらしい)
 やがて近年に至り,チルドや冷凍技術の発展により全国的に食材が流通するようになったおかげで,我が国における栄養的地域差は解消された.ごく大雑把にいうと,我が国にはそのような栄養学的歴史があったのである.

 「三里四方の野菜を食べろ」が地場産品を大切にしようという提唱なら大いに賛成だ.全国各地で様々な食材が収穫され,それを用いた食品や料理が作られることが豊かな食文化の基礎であると思う.しかしこれを「三里四方のものを食べていれば健康で長寿」などと非科学的に長生きと結びつけるのはいかがなものか.それではまるで浅薄なテレビの健康番組のようである.

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2008年3月18日 (火)

嘘つき

 日経トレンディネットに『田中康夫独占インタビュー 食品偽装問題の根っこにあるもの』と題した記事がある(記事は[1][2][3][4]の四頁に分けられているので,それぞれのgoogleキャッシュをあげておく).インタビューの日か掲載日か分からないが2007年12月17日の日付がある.この記事で,田中康夫氏の発言中に虚偽があるので指摘しておく.

 まずイントロはこうだ.
《食品の偽装表示の問題、建築物の耐震偽装の問題、そして最近騒がれている血液製剤によるC型肝炎感染問題、いずれも背景にあるものは同じ、(中略) 戦後の日本が偽装し隠蔽してきたものの下にあるヘドロやメタンガスが噴出してきている、ということなのです。であるなら、根こそぎそれを掘り起こしてつくりかえるぐらいのことをやらないといけないのに、現実にはまったくできていない。食品の偽装表示はその象徴のような問題と言えるでしょう》
 これに以下の文章が続く.
★《そもそも賞味期限や消費期限は誰がどういう基準で決めているのか? 農水省と厚労省の「食品期限表示の設定のためのガイドライン」によると、期限表示の設定は、理化学試験などの科学的・合理的な根拠に基づいて製造業者が行うことになっています。第三者の認証や科学的な根拠の提出が求められることもなく、届け出もいらない。つまり、すべてメーカーにお任せなわけです》

 《科学的な根拠の提出が求められることもなく》と氏は書いているが,ある食品の期限表示が不適切であると疑われた場合,自治体(の保健所)は食品事業者に,表示の科学的な根拠の提出を求めるであろう.そして食品事業者はこれを拒否できない.
 また《すべてメーカーにお任せなわけです》を読むと,いかにも食品事業者が自己責任で期限表示を行うことが悪いことのようであるが,田中氏は私達の周囲に一体どれくらいの数の食品が存在するか,日々どれだけの新製品が発売されているか知らないかのようである.その膨大な数の食品の消費期限・賞味期限を行政が確認したり,第三者機関が認証できると思っているとすれば,まことにおめでたい.それが現実的に不可能であるから,とりあえず食品事業者が自己責任で期限表示を行うこととし,不幸にして食品事故が発生したら,個々のケースに応じて行政が指導するやり方が採られているのである.

★《たとえば、A社とB社が製造日から10日で腐敗し始めるまったく同じ商品を同じ条件でつくり、保管したとします。A社はそれを賞味期限5日として売り、B社は8日として売る。どちらでも問題ありません。ところが、A社は5日目に売れ残り商品の表示を7日に書き換えてしまった。衛生上は問題ない、食中毒もおきない。でも、これは偽装になるのだと霞が関は言う。一方、最初からギリギリの9日に設定したB社はおとがめなし。なんだかおかしな話だとは思いませんか》

 10日で腐敗が始まる場合,安全に食べられる期間は9日である.田中氏も引いている『食品期限表示の設定のためのガイドライン』によれば,これに1よりも小さい安全係数を乗じて賞味期限を決めなければならない.この安全係数は,その食品の品質のばらつきを示しており,また賞味期限の短い食品では小さな値が採用される傾向にある.
 参考までに『ガイドライン』中の該当部分を以下に引用する(太字部分).
(2)食品の特性に応じた「安全係数」の設定
 食品の特性に応じ、設定された期限に対して1未満の係数(安全係数)をかけて、客観的な項目(指標)において得られた期限よりも短い期間を設定することが基本である。
 なお、設定された期間については、時間単位で設定することも可能であると考えられることから、結果として安全係数をかける前と後の期限が同一日になることもある。
 例えば、品質が急速に劣化しやすい「消費期限」が表記される食品については、特性の一つとして品質が急速に劣化しやすいことを考慮し期限が設定されるべきである。
 また、個々の包装単位まで検査を実施すること等については、現実的に困難な状況が想定されることから、そういった観点からも「安全係数」を考慮した期限を設定することが現実的であると考えられる。

 田中氏の例では,A社は自社の品質管理の実力に照らして,安全係数に0.5あるいは0.6を採用した.一方B社は自信があって0.9を採用したということになる.
 さて《A社は5日目に売れ残り商品の表示を7日に書き換えてしまった》とすると,A社は売れ残り商品の安全係数を根拠なく勝手に0.8に変更したことになるが,こんなことをするとA社の実力からして食中毒の危険性が生じる.従って行政はこれを期限表示の偽装であるとして,改めるよう指導するのである.つまり田中氏の言う《衛生上は問題ない、食中毒もおきない》は嘘である.
 《一方、最初からギリギリの9日に設定したB社はおとがめなし》も嘘.食中毒の危険性を回避するためにガイドラインは《ギリギリの9日に設定》しないよう要求しているからである.《なんだかおかしな話だとは思いませんか》と氏は言うが,嘘を積み重ねればいくらでも変な話は作ることができる.
 実際には,過剰に安全係数を低く設定すると,返品率が高くなる等,競争上不利になる.といって科学的根拠に基づかずに安全係数を高く設定すると,食中毒の危険性が生じ,事故が発生すれば営業停止になりかねない.そんなこんなで,似たような食品の安全係数は似たようなものになり,0.7~0.8くらいにするのが普通である.

★《次から次へと出てくる偽装表示問題に大騒ぎしているみなさんは、今年のクリスマスケーキやおせち料理はどうするのでしょうか。クリスマスケーキは24日1日だけで何百万個と売れるわけですから、とても前日には作り切れません。店頭に並ぶ商品のほとんどは作り置きしたものになりますが、製造年月日はいったいいつなのか》

 大量生産する大手洋菓子メーカーではクリスマスケーキを冷凍して保存し,解凍した日を製造日としている.解凍した日を製造日としても構わないためには冷凍保存期間をどれくらい以下にしなければいけないかというデータは洋菓子メーカーが持っているはずである.
 このような製造方法は衛生的に問題なしとして行政が認めているところであり,ウェブで調べれば簡単にわかる公知の事実でもある.それをいかにも何か問題があるかのように《製造年月日はいったいいつなのか》と言うのは,無知を暴露していると言わざるを得ない.

★《コンビニで買ったおにぎりの消費期限が翌日の午前3時だったとします。でも、買った日の午後1時から夕方まで暑い車の中におきっぱなしだったら? 消費期限内だからノー・プロブレームですか?》

 消費期限はメーカーが科学的試験を行った時の温度帯で保存された場合の期限である.暑い車の中に長時間置きっ放しにしたら,その消費期限は保証されない.当たり前だ.「ノー・プロブレーム」のわけがない.非常識もここまで来るとバカである.

★《このように、今の制度は売った側、買った側双方のあいまいな甘えの上に成り立っているんです。商品がどういう状況で製造され、どんな含有物がある場合に、消費期限・賞味期限はどのくらいなのか、沖縄と北海道での気温差をどのように表示に織り込むか、これらを何ひとつ決めていません。チェックするべき人間も、製造販売する人間も、買って食べる人間もみんな怠慢なんですよ》

 こうなるともう何を言っているのかわからない.支離滅裂である.《商品がどういう状況で製造され、どんな含有物がある場合に、消費期限・賞味期限はどのくらいなのか》を,保存条件と共に示したものが消費期限あるいは賞味期限の表示に他ならないからである.食品の表示のどこを見て《何ひとつ決めていません》と言っているのか理解に苦しむ.
 次の《沖縄と北海道での気温差をどのように表示に織り込むか》には呆れる.比較的保存性の良い食品の場合,賞味期限はキッチンの冷暗所を想定して試験することが多く,このように製造する側は,表示が消費者の役に立つようにと考えているのであるが,メーカーの想定外の常識はずれの条件で保存する,例えば沖縄で屋外に食品を放置するような人の面倒までは見切れないのである.まして《おにぎりを買った日の午後1時から夕方まで暑い車の中におきっぱなし》にするなどは,する人間が非難されるであろう.そんなのは食って腹をこわしても自己責任に決まっているではないか.
 《チェックするべき人間も、製造販売する人間も、買って食べる人間もみんな怠慢なんですよ》と言うが,怠慢なのは食品について知識もなく調べもせずに,また事実をねじ曲げて放言する田中氏の方である.

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2008年3月16日 (日)

語呂合わせ市政

 今日の毎日新聞『余録』から引用.
《差別のない平等社会をいくら誇ろうとしても、白人女性と黒人男性の対決となると、支持者の本音が噴き上がる▲同じ民主党なのにこれほど行き違いがある。本選になれば文化戦争はもっと燃え盛る。米社会に潜むマグマはやけどするほど熱い》
 バラク・オバマ上院議員とヒラリー・クリントン上院議員の選挙戦には,米国社会における人種差別問題が影を落としているという指摘の一節である.
 だとすれば,オバマ対クリントンも民主党対共和党もへったくれもなく,カタカナで書くと似ているからという最低の理由でオバマ候補支持を表明した小浜市の市長と市民の頭の中はどうなっておるのか.オバマ候補の政治的理想や資質に対する共感ではなく,単に駄洒落で支持を表明するとは,それが米国民に対する侮辱であることを理解していないのであろう.お笑い芸人のような振る舞いの前に,小浜市長は『余録』が指摘するところの人種差別問題に関する見識を明らかにしなければならないはずだ.また,自らの良心にかけてこの市長に異議を申し立てる民主主義者は一人も小浜にはいないのであるか.

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読売社説

 今日の読売新聞社説「年金記録名寄せ 権利をしっかり確認したい」の中に次の一節がある.
《厚労省・社保庁は、「最後の一人まで記録を確認する」という政府の公約を胸に刻みながら、年金加入者の立場に身を置いて、もっと真摯(しんし)に取り組むべきだ》

 安倍前首相の答弁や演説をテレビや新聞の報道で見て私達国民がしっかりと覚えているのは,「最後の一人までお支払いする」だ.「最後の一人まで記録を確認する」は,最後の一人まで年金を支払うことが絶望的になった段階で舛添厚労相が突然持ち出した話である.こういうすり替えを平気でやるから読売は始末が悪い.改竄するならするでもっと巧妙にやればいいものを,論説委員の頭の程度のせいか,すぐばれる嘘になってしまっている.

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2008年3月15日 (土)

『北村薫のミステリー館』

 この数日,ものすごい花粉飛散のせいで鼻水分泌しまくりだった私は,耳鼻科にでかけた.十一時少し過ぎに着いて受付に診察券を出したら「午前中の受付はもう終わりました」と言われてしまった.私の順番は午後二時半頃だという.自宅に戻って出直すには中途半端で,まあ休みの日に街中をふらふらするのも久し振りなので,駅の近くで時間を潰すことにした.
 キオスクで毎日新聞を買い,Becker'sに入って隅から隅まで読み,これで十二時を過ぎた.
 それから昼飯を食いに回転鮨へ.コータリほどは食えぬとしても,どれくらい食えるか試してみたのだが,八皿でギブアップ.若い時は二十皿は食えたのに,としみじみ.
 次に時間潰し向きの本を探そうと有隣堂書店に行き,アンソロジィ『北村薫のミステリー館』(新潮文庫)を購入した.これを持って喫茶店へ.
 『北村薫のミステリー館』は巻末に北村薫と宮部みゆきの対談が載っている.短編を一つ読んでは,北村・宮部の対談を読んだ.
 最初に収録されているのはウィリアム・スタイグの『きいろとピンク』で,これについて北村薫がこう話している.
《私はこのスタイグという人を全然知らなかったんです。この新装版の絵本を、去年の夏、書店の平台で見つけて手にとって、へーっとびっくりしちゃました。この方はディズニーの『シュレック』の原作者なんです。(中略)映画になったディズニーのものとはだいぶ違うようです》
 いうまでもなく,アカデミー長編アニメ映画賞受賞第一作『シュレック』はディズニー映画ではなく,ディズニーを辞職したジェフリー・カッツェンバーグが旧友のスティーヴン・スピルバーグ,デヴィッド・ゲフィンと設立したドリーム・ワークスSKGの作品(2001年)である.
 北村薫ともあろう人がこれはどうしたことか.驚きつつ奥付を見ると,平成十七年十月一日発行となっている.第一刷だ.たぶんこの対談の時点では北村薫も宮部みゆきも『シュレック』を観ていなかったのだろう.今頃は誤りに気がついているかも知れないが,そんなに売れる本とも思われないから増刷なしで,訂正なくこのままになってしまうかも知れない.それにしても北村薫の勘違いを,新潮社の編集や校正の誰も気がつかなかったのか.
 ネットはどうなっているか調べてみた.誰もこの間違いを指摘している様子がない.それどころか北村薫の間違いをそのまま引用している人がいて,困ったものだと思った.

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人はうどんのみにて

 東京駅丸の内口のTOKIAビルに『野の葡萄』というレストランがあるそうだ.週刊アスキー(3/25号)の連載『Scene 2008』に神足裕司が,そこでランチを食い,安いと絶賛していた.いわく《これがホテルのビュッフェだったらもう2000円高い》と.
 ネットで『野の葡萄』を検索し,料金を調べたらブフェ・スタイルのランチが千六百円だと書いてある.とゆーことは「ホテルのビュッフェだったら」三千六百円なのか.会社員の昼飯予算@定食屋の四倍を超えとるがな.コンビニ弁当の七,八倍だ.
 コータリはこの時,全三十品を越える大食いをしたそうで,その割安感で「安い」と書いているのだろうけれど,普通のおっさん達はもう若くはないからそんなに食えないわけで,千六百円ではかなり割高感が漂ってしまうのではないか.つまり三十品もドカ食いする客のコストを負担しなければならないから割高になってしまうのであるね.だからまあブフェ・スタイルでなければ,たまにはおごって千六百円の昼飯もアリかなとは思うけれど.
 コータリは高松中央卸売市場の『やまに』の讃岐うどんも絶賛している.“かけ”が二百四十円で,アナゴ丸ごと一匹の天ぷらが八十円だから安いというのがその理由で,中国等からの食材輸入が止まって《食べ物がない。ほんとうにないとなったら私は香川へ行く》というのだが,いかに雑誌の雑文とはいえ《食べ物がない。ほんとうにない》時に何故香川にだけ食い物があるのか分からん.頭は大丈夫かコータリ.

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2008年3月12日 (水)

ハーバーライト

 明け方のニッポン放送を聴いていたら,私とほぼ同年のリスナーからのリクエスト曲が流れた.
 そのリスナーは三十九年前に高校を出て上京し,何人かが一緒に六畳間で暮らす勤め先の寮に入ったそうだ.布団にくるまって深夜のラジオを聴いていると,いつも京浜急行のCMがあり,そのCMのバックに流れていたのが,プラターズの“ハーバーライト”だったという.懐かしい歌だ.
 住み処は雑魚寝の独身寮とか四畳半一間の安アパート.すぐそばを京浜急行が走っていればなおいい.夜中に部屋の隅で膝を抱えて,電車の音が聞こえて,ラジオからプラターズの“ハーバーライト”.
 この先,自分がどうなるのか不安だという点では十八の時も今も同じではあるのだけれど,定年後の生活資金が,というのと,自分はこれから何者になっていくのだろうかという不安では大違いだ.青春期の胸ふるえる不安を宝物のように思い出す人は多いだろうと思う.
 “ハーバーライト”を聴いて,朝からセンチメンタルになってしまった.

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